新幹線の窓から見える富士山
忙しい日常を抜け、静寂に包まれる瞬間を持つ時、私は空白の感覚を主に胸を中心にして持つ。
この感覚は私にとって大切なものであり、この空白期間というものが人生をここまで乗り切ることができた一つの要因でもある。
一人の時間を持つということが、どれほどの価値を持つのか。
創作活動をする上では欠かせないこの瞬間に、何かありきたりな感情のネームをつけることを、私はためらう。
「私」という存在がこの世界に溶け込む瞬間であり、静寂に包まれる瞬間であり、透き通った底の知れない深い湖に静かに静かに沈んでいく瞬間である。
「新幹線」というものはこの感覚に酔いしれる上ではとても欠かせない空間だと思う。
猛スピードで走りながら、それでいて緩やかな静けさ。
緩やかな揺れ。
窓から見える景色の一つ一つが左から右へ、または右から左へ通り過ぎてその一瞬の中に一つ一つの生命の営みを感じずにはいられない。
しばらくすると、目の前に聳え立つのは窓いっぱいに映った富士山の姿。
いつもそこにいて、静かに佇んでいる。
何も言わずに動かずに。
意識の上では「富士山」という言葉さえ浮かんでこないぐらいにわたしの空白期間の感情の一部と化している。
私はこの神秘的な物体に、いつも静かにマッサージをされている。
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