見出し画像

48歳で渡米!英語を学ぶことからのスタートだった永田さんの話(社員インタビュー#1)

みなさん、こんにちは!
SEGの広報担当です。

前回は当社の業務をザクザク粗めに噛み砕いてお届けしましたが、仕事内容も重要だけど、やっぱり一緒に働く”人“の話も気になるところ。ですよね!

というわけで……
今回は社員の”生の声”をお届けしたいと思います。

第一回目の話し手として白羽の矢が立ったのは、48歳で海外赴任が決まり、約15年間オハイオで生活を続ける永田さん

愛知県名古屋市←〰︎📡〰︎→オハイオ州

永田さんへ

お疲れ様です。
近年、様々な業界で人材不足が深刻化しています。
どのようにして人材を確保していくべきか、日々悩まれている永田さんのためにも、先ずは本社で人材を確保したいと考えています。

SEGという会社を、皆さんに知って頂くことが第一歩になりますが、魅力となり得る北米拠点の紹介をSNSにて発信します。

つきましては“インタビュー”のお願いです。

永田さん(in オハイオ)へのインタビュー依頼メールを一部抜粋。

快諾してくれた永田さん。(ありがとうございます!)

今や便利なネット社会。
愛知県名古屋市とオハイオをWEBで繋ぎ、インタビューが開始されることに。(日本時間では21:00スタートだったため、遅い時間帯でごめんなさいと配慮してくださった永田さん。優しい……!)


永田さんのこれまで

━━━━ noteの記事にしたいので、永田さんの経歴を改めてお聞きしたいと思います。まず、いつからアメリカに行ったのでしょうか?

永田「私が渡米したのは2011年、48歳の時でした」

━━━━ 40代後半から生活が一変!渡米への挑戦は勇気がいると思うのですが……!もしかして海外経験が豊富で、英語もペラペラだったんですか?

永田「いやいや、そんなことはないです。最初はあまり乗り気じゃなく、英語だって多少勉強した程度だったので、オハイオに来てイチから学んでいきました

━━━━ ご家族の反応はどうでした?

永田「それまでにも何度か渡米の話が出ては消えって感じだったんです。リーマンショックの後だったから、もう異動はないかもなって油断してたけど、そんなことはありませんでした(笑)。家族も賛成とか反対っていうより、やっと決まったんだねって感じの反応でした」


15年間、アメリカ暮らしが続いた理由

━━━━ 永田さんってそこから約15年間、ずっとオハイオですよね? 異動の話とかはなかったんですか?

永田「ありました(アッサリ)。元々任期は5年でしたから」

━━━━ え! じゃあ日本よりアメリカを選んだってことですか? そんなにアメリカって魅力的なのか……

永田「それが実は、私の人生は子どもに変えられてしまったんです(笑)。任期が終わるタイミングで、代表から家族も含めてみんなで食事に行こうと誘われたんです」

━━━━ ふんふん……

永田「その食事の場で、上の子どもが『私がハイスクールを卒業するまで父を日本に帰さないで』って直談判したんです」

━━━━ ええ!?

永田「子どもはこっちの学校に通っていて友達も沢山いたし、クラブ活動とかも頑張っていて、最後までやりきりたかったんだろうなと」

━━━━ なるほど、日本に戻って友達と離ればなれになっちゃうのはイヤですもんね。

永田「上の子を見て育った下の子も同じように直談判した結果、任期が5年から15年に延びたんです(笑)」


やりがい in USA

━━━━ それだけ長くいるとかなり思い入れもあるんじゃないですか?

永田「売上は赴任当初の4倍まで上がったこともあり、達成感は格別です。今では工場も、日本にある工場の3倍もの大きさに拡大しました」

━━━━ すごいですね。とてもドラマチックな人生を歩まれていると感じました……!

永田「私のようにゼロから渡米して、アメリカスタイルに合わせながら仕事をしてきた先輩たちがいます。私たちが築いてきた道を歩めるからこそ『不安だけど海外での仕事に憧れがある』なんていう人には、うってつけの環境だと思いますね」

━━━━ 新人へのフォロー体制がしっかりあるんですね。

永田「オハイオは気さくな人が多いですよ。無理なことはさせませんし、困っていれば積極的に声をかけてくれるメンバーもいますしね」


オハイオの職場風景

こうして国境を越えた社内インタビューは無事終了。新しいことに挑戦した人の話は、いつ聞いても励まされますね。

次回もよろしくお願いします!