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連載小説「和人と天音」(4)

 作文教室は、近くに住むじいちゃんの年下の知り合いが始めた。その人は、じいちゃんが数年前まで勤めていた小さな出版社の同僚編集者だった。一年前、ある小説のコンテストに応募したその人の小説が受賞作に選ばれて出版された。その人は書くことに集中しようと出版社を辞めたが、まだ書くことだけでは生活できず、作文教室を開いたのだ。作文教室のチラシを知ってる人に配ってほしいと持ってきた日、その人とじいちゃんが話し合っているのを和人もたまたま聞いていた。
「書くことで、自分の中に溢れる言葉を自分なりに心の中でもう一度整理して並べ直して、自分の文体みたいなものが表れてくると、気持ちが落ち着いてくるんです。それが、僕が書くことのいちばんの理由かな」
 その人はそんなことを言った。「書くことで、・・・気持ちが落ち着いてくるんです」と話した時の、その人の声の優しさと落ち着きみたいなものに、和人はすごく惹きつけられた。自分も心の中に湧いてくる得体の知れない不安を鎮めたいと思った。それで、じいちゃんに頼んでその人の作文教室に通い始めたのだが、まだ和人の不安、落ち着かない気分はなくならなかった。

 小学校前の自動車道と海岸沿いの自動車道に挟まれた高台の住宅街に作文教室はあって、和人の通学路の途中に位置していた。新人小説家が借家として借りていた小ぶりの古民家の一部屋が教室に使われていた。教室とはいうものの、金曜の午後四時から五時までの和人の時間は小説家の先生と一対一だった。

「コラージュ作文」と先生が名付けた作文教室のやり方は独特で、和人は好きだった。まず自分なりのイメージで写真やイラストの切り抜きをコラージュする。切り抜きをコラージュして並べていくうちに、色々な言葉やストーリーが浮かんできた。そのコラージュ作品について先生からの質問に受け答えする。先生からの質問は「なぜ、これは」とか「どうして、これを」とか和人がよく考えないで選んだ素材について、選んだ理由を考えさせられるような問いが多かった。先生の質問に答えていると、自分の書きたいことがはっきりしてくるような気がした。あとは自由に書きたいことを作文していく。和人が作業している間、先生も自分のコラージュ作品を作り、それを元に作文した。そして、先生自身の作品についても、「なぜ」とか「どうして」と選んだ理由を話してくれた。
 選ぶ理由が大事なことだと、先生は教えてくれているのかな、そして、じいちゃんと同じように、先生も、大事なことは自分で決めるんだと言いたいんだ、と和人は思った。

 その日、和人は作文教室の時間に遅れた。その日のテーマは「ゴールデンウィーク」だった。じいちゃんの持っていた雑誌と幼稚園の頃に買ってもらった遊園地や動物の絵本から、写真やイラストを切り抜いたり、コピーしたりしてコラージュ素材を用意して、スケッチブックにたくさん挟み込んでいた。掃除が終わった教室で使えるものと使えないものに選別したり、並べ替えたりしているうちに、つい学校を出るのが遅くなったのだ。

 作文教室の五十メートルほど手前に周囲を欅の木で囲まれた駐車場があった。その一帯の地主でもある神社の駐車場だった。駐車場の一隅に鳥居があり、そこから石の階段を登ったところに拝殿が見えていた。小さな山の上に神社はあったのだ。その時あたりには、和人以外に人通りがなかった。山側からさらっと湿り気のない風が吹いてきた。駐車場の前を通り過ぎる時、和人は拳法の練習の時いつも耳にする物音を聞いて立ち止まった。人の身体がぶつかり合う鈍い音と激しい息遣いの音だった。和人が道路に面した車の出入り口から駐車場に入っていくと、車は一台も止まっておらず、奥の方で数名の中学生がもみ合っているのが見えた。

 よく見ると、三対一で殴り合ったり取っ組み合ったりしていた。たった一人を三人がかりで押さえつけようとしていたが、なかなか一人の動きを止めることはできず、もつれ合っていた。その一人で抵抗していたのが芦田恭二だった。
「逃げろー、警察が来たぞー」
 和人は大声で叫んだ。恭二は和人の方をちらと見たが、他の三人は和人の方を見ようともせず恭二を突き飛ばして、いきなり全力疾走で駐車場の奥にあったもう一方の出入り口から逃げていった。

 和人もすぐに回れ右をして、作文教室まで走った。それでなくても遅れていたのだ。作文教室の扉を開いた時、後方から規則正しい足音が追ってきた。和人が後ろを振り返ると、恭二が走ってきているのが見えた。
「今日は遅かったね。さあ、早く入んなさい」
 玄関から先生の声がした。和人は先生の方に向き直っていつもの調子で挨拶をし中に入った。

 翌週、ゴールデンウィーク前の最後の金曜日から、作文教室に芦田恭司が加わった。
「一人増えるよ」
 先生は和人に一言そう言っただけだった。恭二は和人を見てニヤッと笑った。和人も何気ない顔で笑顔を返した。和人と同じくらい恭二も余計なことを喋らない少年だった。その日、先週の喧嘩のことは何も言わなかったし、和人に礼を言うこともなかった。あえて聞かなかったが、和人は恭二の気持ちがわかったつもりだった。その日から三浦和人と芦田恭二は学年違いを気にせず、精一杯の親しみを込めて「作文仲間」と呼び合うようになった。お互いのコラージュ作品や作文に、言葉数は少ないが感じたままの感想を言い合うのが、和人には新しい楽しみになった。

つづく


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