お人好しの責任感
私は双極性障害、いわゆる躁鬱病を患っている。
以前、ある方とTwitter上で知り合い、DMをやりとりするように。
彼は言う。「文字のやりとりだけでもほとんどのことはわかりますよ」。
まだメッセージを数回やりとりしてこう公言する人を私は信用できない。
こうとも言う。「知り合いに躁鬱病の方がいるから、躁鬱病のことはよく心得てます」
はぁ。なんとも頼もしい…。
私は双極性障害1型、症状が激しいタイプ。でも、しばらく前から自分がどのあたりの状態にいるのか、また、ある程度はブレーキをかけられるようになりつつある。つもりだ。ただ、どうしても躁状態が強いとマウントをとるような発言にもなりがち。彼にもそんな思いはさせたのだろう。
彼がチャット開始時に真っ先に私に尋ねるようになった。
彼「今、躁ですか?鬱ですか?」
こう聞かれるのは少なくとも私はあまりいい気分ではない。「あなた今、泥酔してますか?素面ですか?」と聞かれて気持ちのいい人はあまりいないだろう。
私「文字だけでわかるんでしょ?察してくださいな」
彼「わかるわけないじゃないですか。予め知っておかないと僕がいやな思いをするんですよ」
私「お知り合いにも躁鬱の方がいて、対処は心得てるんでしたよね?」
彼「あなたとその方は違うんですよ。教えてくださいよ」
アホくさ。でもちょっとした経緯があって、この程度でいきなりフォロー解除できなかった私。というのは彼とやり取りするうちに私は彼がうつ病だと気づき、心療内科に行くことを勧めた。結果を聞くと「薬をもらってきました」。
それ以来彼は毎日、「今日は早退しちゃいました」「今日は出勤できませんでした…」「今日もまた、脳疲弊です」
彼がうつ病であると気づいたのはどうやら私だけ。私にだけ、その辛さをぶつけてくるのだった。私だってうつ状態のつらさは嫌という程身に染みているけど、まだ寛解には達せず、そんなにすっかり寄りかかられてはたまらない。例えば「脳疲弊って私の脳まで疲弊する気がするから使わないで」と。
そもそも彼と知り合ったのは、あるアーティストのファンとして。ピアノを独学で始めたという彼に、私がちょっとだけ「こうしてみたら?」と提案をしたのが、メッセージをやり取りするようになったきっかけ。しかし、うつ病を指摘してからというもの、推しの話題は一切ない。ピアノも。
そして言う。「あなたは他の方と違って話しにくい。タブー語も多いし。あなたのために言いますけど、そんなんじゃ、あなたがみんなに嫌われますよ」
はいはい、ご親切にどうも。
「ほかの皆さんとも、こうして病気の話しや相談してるんですか?」
「いいえ、あなたとだけです。皆さんとは推しの話しだけですよ」
なんじゃそりゃ。
「そんなに話してて不愉快なら、お互いフォロー解除して、かかわり合うのはやめましょう」
すると彼は言う。「待ってください、私、人間が好きなんです。もう少し続けましょうよ」
こんなやりとりを2回。私もとんだお人好しだ。「彼の病気に気づいたのは自分だし、病気の辛さも共有できる。私は今まで周りの人達にそうやって支えられてきた、というか今も大いに支えられている。「今度は私が彼に手を差し伸べなくては」そんな責任感のようなものを抱いて依存性の高い彼の相手をしてしまった。
他にも私をいらだたせることがある。誰かが「不安だ、心配だ、大丈夫かな、どうしよう」という、不安や心配に満ちた投稿をする。すると彼は目ざとくそれを見つけて「心配ないですよ、大丈夫ですよ」と声をかけて回る。決して自身の体験に基づく「大丈夫」ではない。自身が大丈夫ではないこと、うつ病を患っていることには一切触れない。私にはこのような行為、「不遜」とすら思える。
まあ、最後は私がぶち切れて相互フォロー解除となった。
さっさと解除すりゃよかった。
まだまだ書けるけど、いい加減このぐらいにしておこう。
まだ吐き出しきれないけど、カウンセラーの先生にも大分聞いてもらったし、吐き出したら大分治まった気がする。
お人好しが手に負えない責任感を抱えちゃいけない、ってことかな。
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