【小説】水上リフレクション9

第九章【天使の血と悪魔の血】

 あの【華美】での出来事から丸一日が過ぎた。歳三は今日、図書館にもレース場にも行っていない。朝早く起きて、コーヒーを飲みながら部屋で考え事をしていた。もちろん昨日の出来事についてだが、まだ何も理解できなかった。理由は分からないが、たったあれだけのことであんなに同様を見せた千晶が、歳三には少し怖く感じていた。そして、いつも冷静で笑顔の美鈴の態度。腑に落ちないことばかりだった.

歳三にも似たような経験があった。歳三がまだ小さい時に、滑り台の下をくぐろうとして、頭を上げた瞬間に、滑り台の側面が後頭部を直撃して少し出血をしてしまったことがある。その時、母親は尋常ではない慌てぶりで、すぐさま歳三を病院へ連れて行った。怪我はたいしたことなく、病院の先生に過保護すぎると半分笑われたらしい。少し違う話かもしれないが、そんなことを歳三は思い出していた。

歳三の携帯電話が鳴った。携帯には美鈴の名前が表示されていた。
「昨日は本当にゴメンね。とりあえず千晶は大丈夫やけん」
歳三はとりあえす良かったと伝えたが・・・。
「ごめんね。千晶は血を見るのが何よりも怖い子なんよ。幽霊とか痴漢とかよりもね」
美鈴の態度も含めてその言葉は、歳三を納得させるものではなかった。ただ、あれでは事故を恐れるのも無理はない。そう歳三は思った。それと同時に事故が起きても、パニックに陥らない精神力をつける方法を考えていた。しかし歳三は昨日の出来事の意味を、自分が理解していなければ前に進めないとも感じていた。
今後、千晶のサポートをする上で重要なことかもしれない。そして歳三は思い切ってに事の真相を聞いてみることにした。
「分かった。あたしが話すから、今からあたしの家に来れる?」
「あぁ大丈夫だよ」
そう歳三が返すと美鈴は住所と部屋番号を教えた。

歳三はバカでかいマンションの玄関口にいた。そして美鈴に電話をした。
「着いたよ」
「案外、早かったね。そこはセキュリティカードがないと開かないから、今からこっちで玄関のロック開けるけん。開いたら奥のナンバーテーブルで部屋番号と暗証番号を押して。番号は3814ね」
 このマンションはセキュリティも充実しており二重の玄関ロックになっている。監視カメラも数台。二十四時間体制でセキュリティ会社の警備員も在中している。
歳三は言われるがままに、ナンバーテーブルに行き部屋番号の705と暗証番号を打ち込んだ。すぐに二個目の自動ドアは開き、エレベーターを七階で降りると部屋の前に行きチャイムを鳴らした。程なくして美鈴が玄関を開け出迎えてくれた。
「上がって」
美鈴はそう言うと奥の部屋へと歳三を案内した。そこに千晶の姿はなかった。
 想像したとおりの部屋だった。若い女性らしくかわいい部屋で、いい香りが部屋中に漂っていた。
美鈴はコーヒーを差し出すとゆっくりと話始めた。


「千晶とは入校式のオリエンテーションでたまたま、席が隣でね。ひまじぃも知ってるとおり千晶は天然やん。だけん話してるうちにすぐに仲良くなってね。それからは二人で、やまと学校を卒業した。厳しかったけど千晶と二人だったから楽しかった思い出のほうが多いかな。その時、血液型の話を聞いたの」

(俺はその話を聞いて、ふっと昔のことを思い出した。俺の時代は学校で血液検査らしきものがあったが、耳たぶにパチッとする器具が怖かった。しかし血液型の話とはどういうことなのだろうか)

「千晶の血液型は特殊なの。通称、〈黄金の血〉って呼ばれてるみたい」

(黄金の血とはRH NULL型というもので、現在では全世界で四十人程度しか確認されおらず、突然変異で生まれたものらしい。ただ確認されているのが四十人というだけで未確認のものも含めると、もう少しいるかもしれないとのことだった。現段階で輸血に応じているのは六人だけで、この血液型を持つ者は出血を伴う事故や病気になると、輸血が非常に困難になる。俺はそんなに希少な血液は初めて知った。突然変異なんてのはSFの世界だけだと思っていたが、身近に存在するなど信じられないし、実感も沸いてこなかった)

「千晶の血液型は抗体を持たない特殊なものらしくて、輸血に関しては、一部を除いてどの血液型の人にも輸血できるみたい。つまりどんな人でも助けられる。まさに天使の血液やね。でもその反面、自分がに輸血が必要になった時には、誰にも助けてもらえない悪魔の血液に変わるの。だから千晶は恐れていた」
 
(これでやっと謎が解けた。プロのボートレーサーである以上、転覆なんてよくあることだ。転覆した時の練習なんかもするらしい。さらに言うと《転覆王》なる異名を持つ選手すらいる。しかし、その選手の勝率は高い。つまりリスクを恐れていては勝てないということだ。千晶の母親が、絶対に伝えなければならない事とは、血液型の話だった。確かに子供では話しても理解できないだろう。手紙で残しておけば、いずれ理解することができる。俺は話を聞いて昨日の件は納得した。だが別にある疑問が沸いてきた。それは、そんな状況なら何故、危険なボートレーサーを職業として選んだのか)

「それは時期がきたら分かるよ」

(なんとも歯切れの悪い返答だ)
 
その時、聞きなれない音楽が鳴った。美鈴の携帯だ。
Mr・Childrenの《Sign》という曲らしい。電話の 相手は千晶だった。
「ちょうどよかった。今、ひまじぃと家におるけん代わるね」
「えっ、ひまじぃが家に来てるの?何で?」
千晶は驚いた様子で尋ねたが、美鈴はその問いに答えることなく歳三に携帯を手渡した。歳三は携帯を受け取ると
「お邪魔してるよ」
「なんだ。家に来てるんだ」そして暫くの沈黙の後

「昨日は本当にごめんなさい」
「いや、謝ることではないよ。誰でもそういうことはある。この俺も虫を見ると震えて身動きがとれなくなるから」
歳三はとりあえず美鈴の話は聞いてないふりをした。
「ははは、そうなんだ。私も嫌いだけどそこまではなんないよ。でもそう言ってくれてありがとう」
千晶はいつもの元気さを取り戻しているようだった。
「昨日の話は面白かったし為になったよ。寝る前にイメージトレーニングやったし、朝起きてもね」
「そうか。焦らなくてもいいから少しずつな」
「うん。それと十月十五日から若松の新鋭レディース戦に出るんだ。G3だけどね。よかったら見に来ない?もちろんレース中には会えないけど」
「そりゃ楽しみだな。若松だったら同じ福岡だし、誠二を連れて応援に行くよ」
「本当!、じゃぁ思いっきり頑張るから」
千晶はいつになく嬉しそうに返答した。
「新鋭レディースに向けて他に出来ることあるかな?」
歳三はもう一度、会う約束を取りつけた。電話を切ると美鈴はニコニコしながら歳三を見ていた。美鈴は明日から次開催のレース場に前乗りして練習するらしい。
「美鈴ちゃんも忙しいな」
「当たり前やん。賞金いっぱい稼がんとね」

(そして数日後の日曜日)
 歳三は千晶と【華美】で待ち合わせをした後に、映画を見に行った。千晶が見たい映画があると無理やり連れて行かれたのだ。映画を見た後、少し遅いお昼ご飯をパスタで済ました。後は買い物に付き合ってブラブラしたり、ゲームセンターで楽しく遊んだり。いったい何をしているんだろうと歳三は思ったが、千晶の気晴らしになればと、言われるがままについて行った。千晶の笑顔を見ていると、これはこれでメンタル強化にかかせない儀式だと歳三は自分に言い聞かせた。
それと同時に歳三は、、年甲斐もなく楽しかったのも事実である。彼女とデートをしているかのようだった。いやこの年だ。娘と遊んでいる、の方がしっくりくる。彼はそんなことを考えながら時を過ごした。
 

気がつくと十八時を過ぎ【アトリエ】で晩御飯を兼ねて一杯飲むことにした。これも千晶の提案だった。
そこでやっと今度のレースに向けて、いろいろ話をできた。あまり急にいろいろと詰め込んで話をしても、ダメだと彼は考え前回の続きと経験を千晶に話した。どう理解するかは千晶に委ねることにした。
それから【華美】での一件を踏まえて、千晶が最も恐れている事故レースについて。その話をするかどうか歳三は迷ったが今日は何もふれなかった。彼自身どんなアドバイスをしたらいいのかまだ、見えていなかったからだ。

夜も更け店を出た後、歳三は千晶を送ろうとしたが、また美鈴の家に行くということだった。【アトリエ】からは近いので平気だからと。歳三は路上で千晶を見送った。
しかし、美鈴は次のレース場に出発しているはずだった。歳三は千晶に聞いた。すると千晶は美鈴から鍵を預かっているらしく、部屋の掃除をしとくように言われたらしい。美鈴らしい提案だが、歳三には仲の良い二人が微笑ましく思えた。
最近はよく天神の街を歩くことが多くなった。歳三は空を見上げた。


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