小説家はなぜブルゾンを着るのか(表面主義という主義)
こんにちは彭城吾朗(さかきごろう)です。
思わせぶりなタイトルですね。
でもあまり深い話ではありません。
わたくし1975年生まれなんですが、
十代後半くらいから世の小説家という人種のことを意識するようになり、
将来自分もその一人になれたらなあなんて夢見るようにもなりました。
で、
芥川、太宰の時代の作家というと和服の印象が強いのですが、
そこから第三の新人あたりを飛び越え、
その後の世代の小説家って、
なんかみょうにブルゾンを着てる写真が多いんですよね。
まあ、
男性ですけど。
どっちかというと純文学系よりは大衆系、推理作家系の人が着てる場合が多かったでしょうか。
小説家がブルゾンを着るっていう風習は、
どういう経路でそうなっていったのでしょう。
二十世紀の欧米の作家の真似、影響なんでしょうかね。
で、
わたくし、
なんでもカタチから入るのが好きなんで、
これから作家活動を芸術活動の主軸にするということで、
自分用の「作家ブルゾン」を一着買っておきたいと、
思っております。
笑
数年前まで青色のを持ってたのですが、
ちょっと破けちゃって、
それと、
カラー占いだったか、四柱推命だったかで、
自分は青色はあまり身に着けないほうがいいって鑑定出て、
それでそのブルゾン着なくなりました。
さて、
じゃあ何色のブルゾンにしましょうね。
カッコいいの買えるといいな。
過去を振り返ってみると、
自分は「何々ごっこ」がとても好きな人間だったように思います。
キースリチャーズになったつもりでギターを弾いたり、
ホルストヤンセンになったつもりでデッサン画を描いたり、
太宰か吉行になったつもりで短編小説を綴ってきたり。
ルックスが気に入ると、
そのアーティストの作るものにも魅力が付加され増幅される。
なんでもカタチから入り、
ごっこを楽しみ、
それで人生に活気を添える。
名付けて「表面主義」。
でも、
それって言い方を変えるとうわべ主義ってことだから、
なめられそうな隙がありありですけどね。
けっして人真似ではない、深みとオリジナリティのある表面主義、表層主義を、
確立できたらいいのかな。
何よりまずは作家ブルゾンを買わねば笑
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