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知らなかった。それはひどいな

横殴りの雨に、傘も役に立たず。

今日と明日はもともと有給の予定だった。台風警報により、会社から自宅勤務推奨のメールが届く。どうせ家でのんびりできるなら、わざわざ有給を消化しなくても良かったような気がしないでもない。

朝は日記を書いて、そのあとジムに行く。雨脚は強くないが、風は強い。橋の下を流れる川の濁流の勢いが、嵐の到来を予感させる。平日の、しかも台風が接近する荒天のさなか、ジムを利用する客は少ない。そのうち、利用客は私ひとりになった。

中村寛『残響のハーレム』の続きを読む。ハーレム地区で、アフリカン・アメリカンの若者たちがアフリカ移民の老人に集団暴行を加える事件が発生する。第三章では、その事件直後の人々の反応を描写している。

アイシャはこの日、「アフリカの民族衣装」に身を包み、スカーフを着用していた。それは珍しいことではない。特別な行事のときだけでなく、日常生活のなかでこの種の衣装を身に着けるアフリカン・アメリカンの女性は多い。

 「彼らが今日したことは、真剣なムスリムとそれほど真剣ではないムスリムとのあいだに、亀裂をもたらすことでしょうね。わたしたちはまだ、こういうことも考えなければいけませんね。ハーレムには、白人の警官がこれまで好き勝手にやってきたという歴史があります。いまでも、黒人やアジア人の警官が少ないことに気づくでしょう。彼らはかつて、わたしを警察にリクルートしようとしたことがあります。けれどね、わたしは断りましたよ。わたしは断ったんです、ユタカ。そんなこと、できませんよ。彼らがハーレムの人びとになにをしてきたのかを見てしまったあとではね。とてもできません。〔······〕彼らが今日やってきたことは、正しくありません。人間の意志のもとでおこなわれたのであって、アッラーの意志ではありません。〔······〕彼らの歴史を考えてみてください。私たちを白人に売ったのはアフリカ人だけだったんですよ。彼らはそのことを知っています。なぜ若者たちは、アフリカ人の若者にあんなこと〔「てめえらの国に帰んな」〕と言ったんだと思いますか? それには理由があるんですよ。すべてのことには理由があります。今日起きたことにも理由があります。すべてはアッラーの意思の通りです。」

中村寛『残響のハーレム』共和国,p.186

私たちを白人に売ったのはアフリカ人だけだったんですよ。という言葉が重い。

その後、著者はちょっとしたトラブルに巻き込まれる。このエピソードに登場する人々の振る舞いは、絶妙に人を苛つかせる。私などは、読むだけで腹を立ててしまった。だからこそ、ハミッドの言動が心にずしっとくる。

突然、中年の太ったアフリカン・アメリカンの女性が僕のところにやってきて、一言も発さないまま、持っていた椅子のひとつをひったくるようにして奪い取り、そのままあるき去っていった。そして、すぐ近くにあった九九セント·ストアのまえにその椅子を置くと、そこに腰かけた。すると今度は別の痩せたアフリカ人の女性がやってきて、「コレ、ワタシノ椅子」と言ったかと思うと、なすべきことを知らずに呆気にとられている僕の手から、もう一方の椅子をひったくり、隣にあるアフリカ人の営む雑貨屋の中へと消えていった。僕は去ってゆく彼女に「おい!」と大声をあげることくらいしかできなかった。
 もちろんその声は無視された。どうすることもできず、呆然と立ち尽くしていた。
 そしてこのときになって、ハミッドが外に出てきた。彼は僕の表情に気づき、なにが起きたのかと尋ねた。
 「あの女性が椅子を持ってったんだ」
 ハミッドはそれを聞いてもとくに驚いた表情は見せず、ただ最初に去った女のもとにあるいていった。女は、なにごともなかったかのようにさっきから椅子に腰かけ、くつろいでいる。ハミッドは彼女と短くやり取りを交わしたあと、ふたたびもとに戻ってきて言った。
 「大丈夫、あの人は椅子を戻しにくるよ。心配するな。」
 「いつもあんな感じなの? めちゃくちゃだね」

<中略>

 しばらくしてハミッドが言った。
 「おまえがこういうことを経験できてよかったよ。おまえが言ってた警察署での抗議集会のことは、このコミュニティのメンタリティが理解できないとわかんないんだよ。起きた事件はひどいことだし、俺も賛成はしない。だけど、仮に、さっきの女がおまえから椅子をひったくろうとして、そのときにおまえが抵抗して、そうするつもりがなくても彼女を叩いたとしたら、どうなると思う? 彼女は、『あの男がわたしを叩いた』って言うだろ。自分が椅子を盗もうとしたことは語らない。わかるかい? 人ってのは、自分の身を守るために必要なことは、なんだってするんだ。それでも、俺たちにできることはある。ひとつは、定期的に対話することのできる場所をつくることだね」

 ハミッドが話しているあいだに急激に雲行きが変わり、小雨が降りはじめた。白い民族衣装に身を包んだアフリカ人の男が、ハミッドの床屋のまえに折り畳み式の自分のテーブルを運んできた。床屋の店頭には庇がついていて、雨を避けるのに適した小さなスペースになっているのだ。彼は、こちらを見ることなく眼のまえでテーブルを設置し、アフリカの民族衣装やTシャツ、アロマ·オイルなどを並べた。ハミッドはその様子をじっと見守った。
 「たとえば、あいつがいま、そこに自分のテーブルをセッティングしようとしているだろ? 」
 ハミッドは、抑えた声で言った。
 「まともな人間なら、ほかの人の店のまでそんなことはしない。あいつは俺たちになんにも断りをいれなかったろ? だけど俺はあいつに対してどなったりはしない。あとで個人的に話しかけて、穏やかに言うんだ。もし俺が騒いで問題にしたら、〔アフリカ人とアフリカン・アメリカンとのあいだの〕緊張関係がひどくなるからね」

同上,p.191-192

最後、ハミッドとアリが取り交わす会話の場面は、本書全体のハイライトに違いない。まだ全体の半分しか読んでいないが、そう思う。

長いこと一一六丁目に来ていなかったというアリは、すぐにアフリカ人移民の数の増加を指摘した。
 「それにしても、いまじゃ、アフリカ人がずいぶんたくさんいるな。ここにある建物はかつて俺らのものだったのに。奴ら、自分たちのモスクまで建ててるじゃねえか。それって、俺がアフリカに行って、自分のモスクを建てるようなもんだろ」
 アリは、ハーレムでのアフリカ人の行動を快く思っていないようだった。アリにとっては、アフリカ人がハーレムの只中に自分たちのモスクを建てることは、無礼な行為だった。アフリカ人は、すでに地元のモスク—アフリカン・アメリカンによって建てられ運営されている地元のモスク―に通うべきだ、と彼は言う。
 このアリの発言を聞きながら、僕はハミッドのこれまでのアフリカ人ムスリムに関する発言と重ねていた。ハミッドがアリに賛同するだろうと勝手にも考えたのだが、そうではなかった。
 「いや」
 と、ハミッドはゆっくりと穏やかに返した。
 「だけど、〔アフリカン・アメリカンのモスクの〕イマームが奴ら〔アフリカ人〕を見下したようにしゃべるんだ。そのイマームが奴らにひどいこと言うんだよ。俺だってあのモスクには礼拝をしにいくだけだ。あいつのフトバ〔説教〕を聞くためにいくわけじゃない。けどあいつはそういうのが嫌いなんだ。エゴイストなんだよ」
 <中略>ハミッドによれば、かつて通ってきていたアフリカ人ムスリムたちをモスクから追い出し、自分たちのモスク設立にいたらしめたのは、そのイマームと彼を取り巻くアフリカン・アメリカン·ムスリムだという。
 ハミッドはここでもふたたび、仲裁の役割を果たしていた。彼は、アフリカ人ムスリムが自分たちのモスクを建てるにいたった社会·文化的背景を引き合いに出し、アリや自分自身の憤りに対置させていた。
 「そうなのか······」
 アリは穏やかに、静かに呟いた。
 「それは知らなかったな。そうか······。知らなかった。それはひどいな」
 アリは顎を撫で、どう考えてよいのか思案している様子だった。ハーレムの抱える問題について、通常は強い言語を用いて自分の態度や位置取りを表明してきたアリが、こうした応答を魅せることも珍しいことだった。ハミッドと話しているいま、アリの態度は著しく変化していた。いつもの戦闘的なトーンや挑発的な仕草は鳴りをひそめ、ハミッドの話に耳を傾けていた。
 「そうだよ」
 ハミッドは静かに言った。

同上,p.206

会話から価値観が変わる。日常生活の中で、変容の瞬間を目撃する機会が、どれだけあるだろう。この章に辿り着いただけで、この本を買って良かったと思う。

雨風の勢いが強くなる。店で夕飯の食材を買い込んだ後、ずぶ濡れになりながら帰宅。今日はこんな天気だがらと自分に言い訳をして、残りの一日を家の中でだらだらすることに決める。夕食の下準備を済ませたあとは、日記を書いたり、手元の本をぱらぱら読んだりする。今月のナショナルジオグラフィックには、インドネシアの島で、蝶の採集によって生計を立てている人々が紹介されていた。最近は、なにかと蝶と縁がある。

ジャスミンの父は1970年代初頭からチョウの捕獲を始めた。一家が暮らしていたバンティムルン村は、英国の偉大な博物学者アルフレッド・ラッセル・ウォレスが19世紀半ばに訪ねたところだ。そのときのことをウォレスはこう記している。「オレンジ、黄、白、青、緑の艶やかなチョウの群れがそこここにいる光景は実に美しい。何百というチョウが驚いて一斉に飛び立つと、空中に色とりどりの雲ができる」
 父のやり方は素人同然で、家の近くで見つけたチョウを手あたり次第に捕まえては、外国人に売っていた。やがて、チョウについて島民より知識のある外国人が訪れるようになる。ジャスミンが子どもの頃、フランス人コレクターがガラス瓶にチョウを入れ、そこに麻酔薬としても使われるエチルエーテルを垂らすのを見た。「毒瓶ですよ」とジャスミンは言った。瓶の中のチョウが、あっという間に動かなくなった様子は、ジャスミンの脳裏に深く刻まれた。

『ナショナル ジオグラフィック日本版 2018年8月号』日経ナショナルジオグラフィック社,p.98

図書館から借りてきたヴァージニア・ウルフの『』を開く。夜明けの海の描写から始まる。美しい瞬間の儚さが、ひとつひとつ言葉に置き換わってゆく。だが、登場人物たちの独白がはじまると、その訳のわからなさに面食らう。

「輪がみえるぞ」、バーナードは言う、「空中にぶら下がっているのが。光の輪が揺れ動きながら、宙に浮いているぞ」
「うす黄色の平らな板が見えるわ」、スーザンは言う、「のびひろがって、紫色の筋と交わっているのよ。」
「ほら、音がするわ」、ロウダは言う、「ぴよぴよ、ちいちい。あちらこちらで。」
「球が見えるよ」、ネヴィルは言う、「どこかの丘の大きな横っ腹めがけて、滴り落ちていくぞ。」
「真っ赤なふさが見えるわ」、ジニイは言う、「金色の糸でより合わされているのよ。」
「足を踏み鳴らす音がするぞ」、ルイスは言う。「大きな獣が足を繋がれているんだ。ずしん、ずしんと踏み鳴らすよ。」

ヴァージニア・ウルフ(著)川本静子(訳)『波』みすず書房,P.5

この物語に、語り手はいない。六人の登場人物の独白だけが続く。各々の独白の中で、他の誰かについて言及するが、六人の関係性がよく分からない。彼らは詩を呟いているのか。分からない。分からないが、判断を保留して読み続ける。

数頁で幕が変わり、再び誰もいない海の描写。朝焼けの海から、太陽が昇りはじめる。


 陽は高く昇った。青い波、緑の波は浜辺に素早く扇型にひろがり、ひごたいざこの穂花をひとめぐりすると、砂浜のあちこちに光り輝く浅い水溜りを残して去った。

同上,p.23


登場人物たちは幼児から学生に成長していた。彼らの独白だけが交互に続く構成はまるきり同じだが、各々が語る言葉は、だいぶ意味が通じるものに変化している。大人の思考に近づいている?時間の経過によって、海が変化するように、登場人物たちの人生も変化する、ということ?これなら読み続けられそうだと安堵したところで、本を閉じる。台風は進路を外れたのか、窓の外は思ったより静かだ。

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・翁長知事死去:辺野古移設反対派に悲しみと喪失感(朝日新聞)
・ロシア:プーチン氏支持急落 年金支給年齢引き上げで(毎日新聞)
・東芝、一段の事業売却へLNG候補、人員削減も(共同通信)

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