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もはや閉める人などどこにもいないのだ

朝、喉の痛みで目が覚める。昨晩、土砂降りの中走ったのが不味かったようだが後の祭り。仕事中も、咳が止まらない。

昼、ドトールでランチ。お気に入りのメニューがリニューアルされてしまったため、近々店を変えるだろう。夏目漱石『吾輩は猫である』を読み始めるが、止まらぬ咳に読書は捗らず、すぐに辞める。

「よくいろいろな事を知っていらっしゃるのね、感心ねえ」「ええ大概の事は知っていますよ。知らないのは自分の馬鹿な事くらいなものです。しかしそれも薄々は知ってます」「ホホホホ面白い事ばかり……」と細君相形を崩して笑っていると、格子戸のベルが相変らず着けた時と同じような音を出して鳴る。「おやまた御客様だ」と細君は茶の間へ引き下がる。

夏目漱石『吾輩は猫である』[Kindle版]青空文庫,Kindleの位置No.4120

夜、帰宅。症状の悪化を感じ、薬を飲んで21時前に床に就く。

深夜、激しい雨音で何度か目が醒める。雨と言うより、滝が枕元に降り注いでいるかのような間欠なき轟音で、この世の終わりのようだ。せめてこの世が終わる前に、風邪は治ってほしい。

ただし、ここで言っておかないといけないのは、葬儀の数がこれだけ増えてしまうと、市民も以前のようにお互いに弔いの鐘を鳴らしたり、お悔やみを述べたり、涙を流したり、黒服を着て弔意を示したりはできなくなったことだ。いやそれどころか、死者のために棺桶を作るのさえ間に合わなくなった。だからしばらくして、疫病の猛威がさらに増大すると、端的にいって家屋の閉鎖もなくなった。もう十分だった。その手の対策は、どれもやり尽くされたけれど効果がなかったし、なにをしようとペストは怒濤の勢いで感染を広げていた。その勢いたるや、翌年のロンドンの大火が猛然と広がるのを見て、希望を失った市民たちが消化に努める気も起らなかったのと同じで、ペストも最終的には手がつけられなくなり、市民はじっと座ったまま顔を見合わせるばかりで、ただ絶望に心を奪われていた。どの通りでも人影が絶え、閉鎖された家ならまだしも、誰も住んでいない家ばかりになった。こうした空き家では、玄関のドアは開けっ放し、風が吹けば窓がガタガタ音を立てた。もはや閉める人などどこにもいないのだ。

ダニエル・デフォー(著),武田将明(訳)『ペストの記憶』研究者,p.219

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