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異世界で暮らす義母へ、ミモザの花束を贈る。

長い長い夜を、抜ける。

富士山に近づくに連れ、車内の温度がだんだんと下がってきた。いつもより多めに回っている環状線のおかげで、だいぶ到着が遅れそうだ。

助手席から、キャップを外したペットボトルが差し出された。

「ここらへんの子はさ、小学生になると宝永山まで遠足に行くんだ」

富士山の中腹にぽっこり小山があって、それが宝永山って名前なんだけど。宝永山が見える位置で富士山の顔が変わるから、道に迷ったら富士山を眺めるといい。そうすれば自分がどこにいるのか、なんとなく掴める。
大丈夫。なっちゃんもその内、分かるようになるよ。

「昌(しょう)さん、東京でも富士山探してたもんね」

「ビルに隠れて見えなかったけどな。スカイツリーは小さ過ぎて目印になんないし」

慣れない急カーブばかりで肩が凝った。途中立ち寄ったコンビニで缶コーヒーを買いつつ、昌さんに運転席を譲る。

山に囲まれているせいで、市街地でも影が深い。半分滑り落ちているガードレールを目の端に捉えながら、眠気覚ましに「一年生になったら」を二人で熱唱した。年が明けると雪が積もると言うから、荷解きがひと段落ついたら、スタッドレスタイヤに履き替えるとしよう。

ともだち100人、できるといいな。


上京してきた夫と新婚生活を始めて半年。彼の勤める会社が、倒産した。

コロナ不況というやつだ。よもやよもや、東京を追放されたわたしと昌さんは、借金をして買った車へ積荷を満載に、クリスマスの夜に首都高を下ることとなったのである。

進路は西南。富士山の麓に居を構える、昌さんの実家だ。彼の両親が小さな畑を耕しながら暮らしている。子どもができたら田舎でのびのび育てたいね、なんて語らってはいたものの、まさかこんなに早く戸を叩くことになろうとは思ってもみなかった。

「お世話になります。これから、宜しくお願いします」

三つ指をついて頭を下げる。手土産に持ってきた、後部座席で若干潰れてしまった十万石まんじゅうを、差し出した。我が地元埼玉でのみ生産される伝説のまんじゅうだ。食した者は皆、風と語らう力を手にするという。「風!」と言って「うまい!うますぎる!」と返して来る者がいれば、それは埼玉県民である。

炬燵に入るよう促されたので、お言葉に甘えて足を突っ込んだ。なぜかお義父さんだけが、座布団代わりに薄べったいマットレスを尻に敷いている。どうにも、数年前に空き巣に入られて、それ以来居間で眠るようになったらしい。用心に越したことはないが、本当に泥棒に遭遇してしまったらお義父さんの身が危ぶまれる。

一緒に食卓を囲むようになって知ったのは、お義母さんが重度の世話焼きということだった。わんこそば方式でわたしの取り皿に惣菜を盛りまくり、茶が減れば随時注ぎ足す。ほかにも炊事洗濯、黙っていると全ての世話を焼こうとする。朝7時に起床したら「まだ寝てていいよ」と二度寝を促された。
埼玉の実家とは大違いだ。朝食は各々で摂り、夜は家に最初に帰ってきたひとが食事の準備をして。食器洗いや洗濯は家族で分担するのが、我が家のルールだった。


富士山方面に向かうことを「上り」と表現する富士山至上主義にはじまり、原住民にのみ通じる、主語を省略した言葉の数々。

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方言が聞き取れずにいると、「標準語だら?」と方言混じりに返される。

風呂場にはカビ取りハイターすらも跳ね除ける、カビのようなナニカが巣食っている。もしかするとプロトンビームで撃退できる可能性も秘めているが、そもそも何故ここまで放置してきたのかが謎だ。もはや飼っているとしか思えない。

厄介だったのは、旧暦で神棚に供物を捧げる風習だ。この家には神様が11体もいるのだ。場所を覚えるのにひと苦労したし、かつて供えられたであろう干からびた年越し蕎麦を発見したときには、手の平サイズの王蟲と勘違いして大絶叫した。

誰かが積み上げてきた習慣が、長い長い年月をかけて染み込んだ空間。蔓延する異文化。

玄関を開けると、そこは異世界だった。

「頑張らなくていいよ」と声をかけてくれる夫。
なんでもやってくれる義母。
口数の少な過ぎる義父。

仕事は、引っ越しと一緒に辞めてきた。

なにかしていないと、いま自分がどこにいるのか、どこに立っているのか、見失ってしまう。

富士山は。

富士山は、わたしの居場所を、指し示してはくれない。


腐海に飲み込まれた納谷から、石になった梅干しを発掘して思ったことがある。

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壊れたまま放置された書斎のエアコンと、寝室のエアコンと、客間のエアコンに、リモコンを投げつけたときにも思った。

いままで別世界を生きてきた赤の他人相手に、本意をねじ曲げずに自分の意思を伝えるのは、想像以上に難しい。

わたしの夫であり義父母にとっては息子である昌さんは、言うなれば通訳のような存在で。お互い、少し言いにくいことは、昌さんを介して話し合う。

そもそもが異世界人同士なのだから、仕方がないのかも知れないけど。

「19で嫁にきたときは大変だったのよ、わたしも。なぁんも出来なくってね。70過ぎたって魚焦がしてんだから、やんなっちゃう。なっちゃんは、無理してないかしら」

この言葉も。お義母さんが心配そうに溢していたのだと、後日昌さんから漏れ聞いたものである。

半分忘れていたけど、お義母さんだってかつては別の家からこの家へ嫁いできた身だ。

世話好きなのに少しモノグサなお義母さん。

それに居間で見張り番をする、頑固で寡黙なお義父さんがいて。

実直で優しく、面倒見が良くてちょっぴりのんびり屋なわたしの夫は、間違いなくここで生まれ育ったのだと、確信する。

彼らからしてみれば、異世界人はわたしの方だ。

わたしは、この家の住人たちが持つ大らかさに、日々救われているのである。


3月8日。お義母さんに、ミモザの花束を贈る。

「きょうね、外国では身近な女性に感謝の気持ちを込めて、ミモザの花を贈る日なんだって」

はい、これ。

小さく綿毛のような花弁が、黄色く鈴生りになった可愛らしい花。市内の花屋を5軒ハシゴして、ようやく出会えた。

「あら、かわいいね。ありがとさん」

なっちゃんが料理をしてくれるから暇ができたのよと、ここ最近お義母さんが熱心に編んでいた真っ白のレースを、花瓶の下に添える。

本当はミモザの力なんて借りなくたって。

昌さんの言葉を、借りなくたって。

愚痴も心配も、感謝の気持ちも。

なんだって言い合えるような関係になれたら、
そんなに嬉しいことはない。



3月8日「国際女性デー」は、身近な女性へ感謝を伝える日。この文は、フェレロロシェが協賛する「#ミモザの日だから伝えたいこと」の企画に合わせて書きました。


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フォトギャラリー

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早咲きの河津桜。2月にはもう咲いている。

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久能山。1159段の階段を登ると、山門から海が見渡せる。

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年始のどんど焼き。一般的な名称は「さいと焼き」らしい。お焚き上げのこと。拳くらいあるデカい三色だんごが食べられる。

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腐海に飲み込まれた納谷(水谷)。竈門があるので火の神が祀られている。小さな王蟲に出会ったのはここ。

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さわやかの炭火焼きハンバーグ。これだけで静岡きて良かったなと思う。宝永山は山梨側からは見えない。

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息を吸って、吐きます。