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『This is My Column_240901』 Vol.1. 鈴木勝秀さんの舞台音楽

8月28日のライブ、『This is My Socre』にて会場限定でお配りした冊子の冒頭のエッセイ部分のみ公開いたします。
Vol.1. 鈴木勝秀さんの舞台音楽

鈴木勝秀さんの演出作品の音楽を手掛けるようになって10年程になる。そもそものきっかけは2008年8月にシアタークリエにて上演された【デュエット】という舞台にアンサンブルとして出演したのが始まりで、それがスズカツさんとの出会い。直前に知り合ったミュージシャンで俳優の結樺健(ゆからけん)くんの推薦での出演だった。その頃はスタジオミュージシャン、サポートミュージシャン、いわゆる職業ミュージシャンとしての仕事が主で、まさか自分が舞台に出るとは思ってもいなかった。最初に話を頂いた時はオケピでコーラスをやる仕事かと思ったくらい。が、実際はオンステでの「出演」だった。当時はあらゆる面で音楽制作と舞台制作の作法の違いに戸惑い、稽古中から結構ハチャメチャで多大なご迷惑をお掛けした。これについてはまたの機会に。そして開演してすぐに結樺健君は体調不良で降板し、その年の11月1日に亡くなった。健ちゃんには感謝してもしきれない。

そこから時を経て、2011年、【ROCK OF AGES】
という舞台に出演させてもらい、
2015年【魔王】【We are ウォンテッド!俺たちを捕まえろ/都倉俊一シアトリカルコンサート】の音楽を担当する事になり、
2016年【僕のリヴァ•る】【喜びの歌】【サムライモード】などにお声がけ頂き、【バイオハザード】【ディファイルド】【グローリアス】【ウエアハウス】と続く。そして其の間、スズカツさんとは実験的なリーディングをライブハウスで数回やった。実はそれがスズカツさんとのコンビネーションを確立していく重要な作業となった。 

僕はロックが好きだ。ニューヨークに渡り数年ジャズをやっていた事はあるが、それもロックの延長線上にあった。要するにスリルのある音楽が好きで、色んなスタイルのスリルを追求していたという事である。とカッコよく言ってはみたがニューヨーク時代は何も出来ない何者でもない、無意味なプライドだけが高いただの勘違い野郎だったことは間違いない。そして帰国後はコーラスを主に、音楽制作のお仕事を頂きながら現在に至る。

音楽のお仕事はとても難しい。なぜならあらゆるタイプの音楽に幅広く対応する必要がある中で、自分にできる事がとても限られるからだ。そして自分の代わりはいくらでもいる。そんな中でなんとか請け負ったお仕事。満足な結果など出るわけもなく、自分の出来なさを痛感しながら経験を積むしかない。だからお仕事の度に一回りづつ小さくなっていくのである。最後に残るのは「それでも好き」という感情のみかも知れない。

それでも好きという感情を持ち続けたのはドラムの村上ポンタ秀一さんのおかげかも知れない。ポンタさんとは「アマチュアバンドやって好き放題やろう!」と20年以上ライブをやり続けてきた。アマチュアというのはそれで食ってはいないという事、全てが遊びで何もかもが自由。僕がアマチュアにこだわり、自由な発想で音楽を作り続けられるのはポンタさんのおかげだ。

さて、そんな僕と演劇のスズカツさんとの共通項は何かというと「ロックをやっている」に尽きる。演劇でロック! カッコいい。こんなどストレートなことになぜ今まで出会わなかったんだろう。スズカツさんの手法に触れると、ロックをやるのに音楽のフォーマットである必要はないと肌で感じられる。カッコいい。そうだ! デビッドボウイもルーリードもイギーポップもザ スミスも僕が好きなアーティストはみんなシアトリカルで演劇的じゃないか。今まで分かっていても触れることが出来なかった空間が突然目の前に広がった。そして演劇=ロックの可能性はどこにも辿りつかない程果てしないじゃないか。こうしてスズカツさん作品の音楽を作る事がロックをやる喜びとなった。案件ごとにいろんな実験を積み重ね、緊張感のある空間を生み出す事に喜びを感じている。

そもそもロックとは何か?なんて限局する必要もないが、僕が定義の一つとして感じているのは「何かに中指を立てている」という事である。近年舞台に取り上げた芥川龍之介も原作を読むと存分に中指を立てている。芥川龍之介はロックだ。畢竟、ロックとはまさに衝動なのだ。だから気持ちいい。

さて、音楽の作り方であるが、まずスズカツさんは音楽を熟知しているし、音楽として演劇を作っている。どういうことか。「ここに何かシーンに合ういい感じの音楽、ピアノかなーつけて欲しいんだけど。うーんなんか違うな、もっとなんていうか、心情を表現するというか、とにかく泣けるやつ」 なんてオーダーは一切ない。スズカツさんのステージはどんな空間を作りあげるのかの意図、そして何よりも芝居のテンポがすでに考えられている。なのでそこに必要な曲やサウンドが最初から明確に存在している。僕はそれを感じ取って作るだけ。セリフも一瞬の間(ま)もそして長い沈黙も全てはテンポなのである。全てがテンポで埋め尽くされ、最終的にはジェットコースターの90分となるのである。ありがたい事にボツとなった曲はほとんどない。もし結果使わない曲が出てきたとしても、以降の作品で必ず必要とされる場面が出てくる。
台本には、もし既存の曲を使うならこれ、といったメモが添えられている場合がある。そこに疑問を感じた事はない。僕はニヤニヤしながら同じような温度感、質感のものを作るのである。だからあーでもないこーでもないと思い悩む事もない。いいものができたか、もうちょっと練ってみようと思うかだけである。なので作業は至って早い。1日に何曲もあげる事もある。稽古初日にはほとんどの曲とスコアが出来上がっている。但し、ステージのラスト曲だけはスズカツさんも予測できない空間を生み出すこともあるために、稽古中に作ることが多い。「最後の曲は景色が見えてから作ります。」なんてカッコいい事を言ったりしています。

書きはじめたら関係のない話ばかりを一気に綴ってしまいました。

長文になりましたが、枕はここまで。

以上、冒頭のエッセイ部分でした。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
2024年9月1日 大嶋吾郎

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