ホテル・ムンバイを見たので
個人的にはここ20年来、テロ = イスラーム的な印象を受けているのですが、実際はどうかわかりませんけど、何故そのような考えに至ってしまうのかの考察
イスラームを崇拝するスンニ派が生活する地域は、全体として近代文明が行き届いていないというか、貧しい(今の日本のように貧困層が多いとかいう次元では無くて、太平洋戦争時の日本のような感じ)ので、皆が金というか富に対する誘惑に弱く、また情報が十分に行き届いていない為に、洗脳(騙)しやすいというのが一つあるのではないでしょうか。
そして、自爆は潔いとでも言わんばかりの思想に浸かり、それを疑うことすら悪とされ、いつしかそれが当然の事となっていく。
その思想に則り、上手く立ち回り組織の重要なポストまで辿り着ければよいのだろうが、大半は心と体の訓練を受け、最前線で散っていく。そして、その大半が前途ある若者。
思想が凝り固まるまで、年老いてしまえれば、ある意味楽なのかも知れないが、やはり教えに従順とはいえ、10代や20代の人間。
きっと、色恋に花も咲かせたいだろし、仲間と遊びたいだろうし、自由を謳歌したいのであろうに。
それに、自分達が犠牲になれば、家族が救われるという言葉に対しても、いくら情報が制御なれているとはいえ、漏れ伝わった噂や実際の身の回りの状況を鑑み、疑わしく思う気持ちも持ち合わせているのではないか。
しかし、そんな弱い気持ちや疑いの心を回りに悟られてしまっては、自分だけではなく、家族にも危険が及ぶという恐怖心から自分を圧し殺し必死に生きているのであろう。
そういう、複雑な背景をから来るであろう複雑な思いが、この映画には描かれているのでは無いのであろうか。
ある種、今の日本なんかより家族の絆とか、愛情みたいなものは凄く深いんじゃないでしょうかね?
別に今の国内で話題になっている夫婦別姓を唱える思想が問題とか、家制度の崩壊を嘆くとかそういう次元の話ではなくて、気持ちの問題。別に別姓だろうが、同姓だろうが、籍を入れてなかろうがそんなことは問題ではないということ。
だから、一部の支配層の人達を除いては、きっと人としての心の豊かさみたいなものは凄くいいのものをもっている人達なのでしょうね。
しかし、貧困故に教育が不足し、政治的な背景から宗教が上手く利用され、知識が無いが故に疑いの心が持てず、無下に命が失われていく。。。
内政干渉と言われてしまえば、外からの手出しはしにくく、中に入り込んでも大きな変化は埋めず、かといってアメリカがアフガンに進行したように武力をもって介入したとしても地域に染み込んだ問題は根深く根本解決には至らず。。。
そんな答えの見えない事に想いを巡らせながら、映画を堪能していたのでありました。
世の中なら1日も早く武力が無くなる日を迎えられることを切に願いつつ。
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