Goro Nagaoka

物流会社カナダ支社勤務からキャリアチェンジ、外資系メディア・外資系広告代理店を経て、P…

Goro Nagaoka

物流会社カナダ支社勤務からキャリアチェンジ、外資系メディア・外資系広告代理店を経て、PR会社を起業して16年目の江戸っ子団塊ジュニア。歌謡曲の作詞 | 広報アドバイザリー | 小規模会社の起業と経営 | ライター | 社外取締役 | 食レポ | 保護犬 | カナダ移民歴あり

マガジン

  • 起業・経営論(ベンチャー・創業・スタートアップなど)

    2009年に起業。 創業16年目の筆者がお伝えしたい経営のヒントやサバイバル論!

  • 社会・文化・トレンドに関するちょっとDeepなコラム

    社会・文化・トレンド・経済などの、ちょっとDeepなコラムです。

  • 都市のブランディング論 (街並み・景観・環境・都市再生など)

    こうしたら日本の街はもっとよくなる!そんな気づきを色々とまとめています。

  • ムード歌謡・フォークソングの作詞

    仕事でコピーライティングをしているついでに、趣味で作詞活動をしています。 70年代には美しい曲が数多く存在していて、その感性を今の時代にアップデートさせていくのが目標です。

最近の記事

  • 固定された記事

<犬の介護で悩んでいる方に> 紀州犬ミックスの保護犬の介護の日々 (腎臓病・認知のため13歳で死去。一年間強のとても濃い日々。介護は大変でしたが、とても幸せな日々でした)

Q&AプラットフォームのQuoraにて「老いた痴呆の犬を飼っています。17歳です。毎日世話をしていますが、痴呆の世話は面倒で哀しくて、時には可哀想でも嫌気がさす事があります。私は冷たいのでしょうか?」という質問に私の体験談を投稿したところ、沢山の高評価とコメントをいただいたので、NOTEでも紹介したいと思います。ペットの介護中の方、ペットロスの方にぜひ読んでいただきたいです。(*この体験談は2022年のものです。) 「老いた痴呆の犬を飼っています。17歳です。毎日世話をして

    • なぜ多くの起業家は途中で挫折、もしくは失敗してしまうのでしょうか?

      35歳の時にサラリーマンから突然起業し、今年で16年目になります。その経験からいくつか私感を申し上げたいと思います。 最近若い方から起業についてのアドバイスを求められます。多くの方がメディアなどから影響を受け(ほんの一握りの派手な若社長などから)イメージを重視、自分のアイディアを売って(認めてもらって)ファンド会社から資金を集め、渋谷は高すぎるので五反田や恵比寿辺りのガラス張りのビルもしくはデザイナーズオフィスを借りて、創造性を大切にするためにお揃いのTシャツを着ながら仕事

      • 外国人観光客からも人気の風景、品川駅の平日の朝の行進はどうしてなくならないのでしょうか?

        外国人観光客からも大人気のこの風景。この写真だけをみると「Oh my god, Japan is crazy!」なんて海外の人たちから笑われそうです。でもその理由をきちんと考察すればその成り立ちと理由がわかってきます。 品川駅の港南口は、JRの再開発によって今から約20年ほど前に今の形となりました。それまでは何もないエリアで、高輪エリアとは見事に分断され、もちろん当時は新幹線の駅もなく、地方の過疎った駅前よりも酷いような状態でした。また華やかな高輪口(当時は)に比べると、当

        • 日本が世界に比べて劣っている点はどこだと思いますか?(冬・日本の家は寒すぎる)

          温水暖房(セントラルヒーティング・スチーム暖房)です。北海道や寒冷地の一部では普及し始めていますがまだまだ贅沢品。特に本州ではほぼないに等しいです。 冬の暖房、北半球における主流は環境にも優しい温水暖房(セントラルヒーティング)が一般的です。 日本に暮らす外国人から指摘を受けることの一つに、「日本の冬は、カナダやロシア、北欧よりも寒い」ということがあります。冬でも比較的暖かいエリアも多い日本の冬と-20度にもなるカナダでは、カナダの方が断然寒いのではとお思いになるでしょう

        • 固定された記事

        <犬の介護で悩んでいる方に> 紀州犬ミックスの保護犬の介護の日々 (腎臓病・認知のため13歳で死去。一年間強のとても濃い日々。介護は大変でしたが、とても幸せな日々でした)

        • なぜ多くの起業家は途中で挫折、もしくは失敗してしまうのでしょうか?

        • 外国人観光客からも人気の風景、品川駅の平日の朝の行進はどうしてなくならないのでしょうか?

        • 日本が世界に比べて劣っている点はどこだと思いますか?(冬・日本の家は寒すぎる)

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        • 起業・経営論(ベンチャー・創業・スタートアップなど)
          3本
        • 社会・文化・トレンドに関するちょっとDeepなコラム
          7本
        • 都市のブランディング論 (街並み・景観・環境・都市再生など)
          1本
        • ムード歌謡・フォークソングの作詞
          3本

        記事

          東京(+横浜)の高級スーパーマーケットはどこ? [2024年版]

          東京(+横浜)の場合は以下のスーパーマーケットになりますでしょうか。 ◉日進ワールドデリカテッセン(東麻布) カリフォルニア州知事時代、アーノルドシュワルツネッガーさんも訪問したスーパーです。元々あった場所から通りを挟んだ向かいに移転しましたが、最近は店舗の拡大も図り、「入るとまるで欧米にいるような海外型のスーパー」になりました。近隣に住む欧米人が非常に多い、国際色豊かなスーパーです。勿論日本の食品もあります。元々肉問屋なのでハムやソーセージが有名ですが、個人的にはパン売り

          東京(+横浜)の高級スーパーマーケットはどこ? [2024年版]

          広告代理店がブラックな理由をお教えします!

          もう少し若い頃、まさにそのような環境におりましたので、お答えしたいと思います。 広告代理店は、いわゆる「エアービジネス」です。これは自社の製品や確固たるサービスを持たない「空気のようなビジネス」のことで、基本「身ひとつ」で収益を取っていく仕事です。もし無くなったとしても生命の維持への必須項目ではない業種の一つです。 言うならば、商品は「人そのもの」です。ビジネスコンサルティングなども同じカテゴリーになりますね。ご存知の通り、この業界には非常にブラックな部分も多くありますが

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          一見素晴らしく見えて、実際は無能な経営者とは、どういう人のことをいうのでしょうか?

          KDDI (au) の小野寺正 元社長をノミネートしたいと思います。(ご本人さまには申し訳ありません、ごめんなさい!) 2007年〜2009年、あの当時はまだガラケー全盛時代の延長上で、私は広告代理店の社員としてモトローラ社に出向し、ガラケー製品のPRを担当していました。(カシャッと開閉する懐かしいアレです。当時はその開け閉めがかっこよかったのです!) 新製品(ガラケー)が出ては海外からセレブタレントを日本に来日させて記者会見やイベントを仕掛けたり、ドコモなど各社に挨拶に

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          1970代生まれが、今のZ世代・ミレニアム世代の若者に言ったら驚かれる当時の「当たり前」はなんですか?

          70年代生まれのアラフィフです。東京で育ったのでそのお話を。(地域ネタも入っておりますがお許しください。) ●小学校の頃「私たちの東京」という社会科の教科書があり、夢の島(今の江東区の埋立地エリアはゴミ処理場だった)は私たちのゴミで作られているという項目があり、本当に洗濯機やら冷蔵庫、家具などがそのまま埋まっている写真があった。リサイクルと言う言葉がまだきちんと理解されて無かった時代。 ●父親は仕事中心で家庭を顧みず(帰宅時間も遅く、週末も接待ゴルフ。猛烈なサラリーマン社

          1970代生まれが、今のZ世代・ミレニアム世代の若者に言ったら驚かれる当時の「当たり前」はなんですか?

          都心の一等地(港区等)に住むことは幸せに直結しますか?ステータスによる優越感のみがそれをもたらしますか?

          曾祖父、曾祖母がいた明治時代からずっと港区でしたが(現在は違います)、多くの方は、青山や麻布、白金台、芝浦などの表通りの煌びやかな部分、もしくは一部の高台の高級住宅街・高級マンションの(港区の一部分を切り取って)イメージを膨らませすぎており、港区自体を誤解していると思います。港区女子、港区おじさんなどはその典型です。 下記の写真は私の港区です。1枚目から4枚目は、各国の大使館がちらばっている港区元麻布。表の通りや高級と言われている区画を歩くと欧米系の外国人が多く闊歩していま

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          かつて存在した日本のバイクメーカー「目黒製作所」(メグロ)の足跡

          大正2年生まれの祖父は、戦後直後はニコンで働いていましたが、昭和10年代から終戦直前までは目黒製作所という会社に勤めていました。目黒製作所はかつて日本に存在していた日本を代表するバイクメーカーで、本社は品川区西五反田4丁目(現在の日産目黒店・ショールーム)にあったそうです。「メグロ」と呼ばれ、第二次大戦前からの日本メーカーとしては最も長く活動していたとのことですが、昭和39年に川崎重工業(当時の川崎航空機工業)に吸収合併されて消滅してしまいました。今でもメグロバイクの愛好家が

          かつて存在した日本のバイクメーカー「目黒製作所」(メグロ)の足跡

          1970代生まれが、今の若者に言ったら驚かれる当時の「当たり前」

          70年代生まれのアラフィフ(団塊ジュニアという言葉も死語ですね)です。東京で生まれ育ったのでその当時のお話をさせていただきます。(地域ネタも入っておりますがお許しください。) *このコラムは筆者がQ&Aプラットホーム「Quora」内で発表し人気のあった内容を、少し編集をしてからnoteに掲載したものです。 ●私たちの東京 小学校の頃「私たちの東京」という社会科の教科書があり、夢の島(今の江東区の埋立地エリアはゴミ処理場だった)は私たちのゴミで作られているという項目があり、

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          <ジム>「ティップネス」から「エニタイム」に移行して感じたこと

          33歳の時にティップネス(Tipness)に入会し、今年の5月まで何と15年間も通い続けました。(48歳です…汗)が、近年は色々思うこともあり、今回一念発起してエニタイム(ANYTIME) に引っ越しをしました。エニタイムは独特な文化もあり入会しようかどうかで悩んでいる方もいるかもしれません。そんな方に、私の体験談が少しでも参考になればな〜と思います。 ■なぜティップネスに入ったのか20年ほど前までは、ティップネス、コナミ、セントラルのような、筋トレやエクササイズマシン以外

          <ジム>「ティップネス」から「エニタイム」に移行して感じたこと

          <作詞>雨の門司港(ほろ酔いカクテル) (ご当地系ムード歌謡・北九州編)

          ■日本の素晴らしい夜景の一つ、美しい門司港を舞台にした歌を作詞してみました。レトロ感溢れる門司は、街が持つ魅力という意味で、これから大きな可能性を持つ旅情あふれる港町だと思っています。大人の許されない恋を、旅の郷愁とともに唄う「雨の門司港(ほろ酔いカクテル)」です 。 雨の門司港(ほろ酔いカクテル) 作詞:長岡吾朗 (1) 滲む空気に 色褪せた 夜の灯りに 濡れる街角 船の汽笛が 遠くに木魂(こだま)し 丘の上から 港を見下ろす 嗚呼、嗚呼 色っぽいフリをした、私 嘘

          <作詞>雨の門司港(ほろ酔いカクテル) (ご当地系ムード歌謡・北九州編)

          <作詞>並木通りは恋の路 (ご当地系ムード歌謡・銀座編)

          ■この作詞は当初厳しい評価が多かったため再編集しました。 ■夕方の銀座並木通りには、出勤をする着飾った美しいお人形さんが沢山集まってきます。そしてその小悪魔たちに出会うためにやってくる戦士たちの姿も。銀座が高揚感に包まれる「大人の時間」が始まるのです。それはまさに「ドラマ」。そんな小粋な並木通りの黄昏の、そして夜の銀座の雰囲気を感じ取っていただけると嬉しいです。 並木通りは恋の路 (ムード歌謡) 作詞:長岡 吾朗 (1) 日暮れあたりに 小悪魔のフリした人形たちが かわい

          <作詞>並木通りは恋の路 (ご当地系ムード歌謡・銀座編)

          プロフィール (長岡吾朗)

          著書ランチブログQuora写真撮影長岡吾朗のプロフィール■1973年東京都港区生まれ品川育ち。 ■郵船ロジスティクス(旧郵船航空)カナダオンタリオ州トロント支店に入社。グループ会社(三菱重工)の精密機器部品を、航空機製造会社ボンバルディア(デ・ハビランド・カナダ)のプラント(トロント・モントリオール)へ届ける任務と広報を担当した。また現地の多民族放送局(トロント市)にて日系情報番組「わいわいワイド(旧ジャパンジャーナル)」の番組制作とレポーターを担当。(カナダの人種問題を提

          プロフィール (長岡吾朗)

          <作詞>アカシヤの港町(ご当地系ムード歌謡・大連編)

          作詞(歌謡曲)が趣味です。旅情溢れる中国の東北部に魅力を感じていた頃、 風光明媚で港町が美しい大連の街に関する歌詞を作ってみました。 (中国語は初心者なので、まずは日本語です。) ■日本人にも親しみのある異国の街、情緒あふれ、路面電車のある港町「大連」を舞台にした 追憶の詩。 ■子供も独立し、自分自身の時間が取れるようになったとき、ふと過去の人生を振り返り、 若き日々の思い出を辿るという設定です。 ■過去から今、そして未来へ、港町「大連」が 醸し出す郷愁を、ぜひ味わっていた

          <作詞>アカシヤの港町(ご当地系ムード歌謡・大連編)