日本寺薬師堂
これまで
日本寺の山頂付近まで登ったきょうさん一行は、道中の景色を自慢した後、駐車場付近にもどると今回の目的の一つ、薬師堂を訪れていた
来訪
日本寺についての資料は豊富ではないらしい。初めて薬師堂の記述がみられたのは、慶長16(1611)年の資料でそのときには既に存在していたというのだから、薬師堂の歴史は短くても江戸初期から続いていることになる。
さて、きょうさんが気になっていたところの話をしたい。薬師堂の軒下は一階と二階でつくりが異なっている。軒下を支える細長い木材を垂木というが、その配置の仕方が一階では平行に、二階では放射状になっている。垂木を平行に配置すると、四隅の垂木は屋根を支えるというよりむしろ隅木に刺さっているだけであるので、構造的には、こういう四つ棟の建物の場合、扇垂木(放射状の垂木配置)の方が自然だし有利である。
まあ、なんでなのかというのははっきりわかんないのだが、こうした建築は当初のきょうさんの印象とは裏腹に珍しくもなんともない。薬師堂の建築様式は、鎌倉時代に普及した「禅宗様」と呼ばれるもので、禅宗様の建築は一重の裳階(もこし)を持っており、身舎(しんしゃ)の軒が扇垂木であるのに対し、裳階のそれが扇垂木なのが一般的なのである。
一応付言しておくと、薬師堂は外見上は屋根が二個あるから二階建てに見えるが違う。何となくイメージがつくと思うが、中の仏像様のいる部屋の上に二階があるわけではない。
細長い身舎の周りに屋根とそれを支える柱がぐるっと囲んでくっついているイメージが裳階なので、結構構造的にも分離している。
実は、これ以外にも軒が反っていたり、組み物が複雑でたくさんあったり、特徴的な窓の形など薬師堂本殿は禅宗様に特徴的な構造を備えているのだが、それはまた今度話すとして、大方のイメージとして禅宗様は木材が細く、繊細なイメージだ。2007年に再建された本堂は、にぎわう大仏前と異なりひっそりとした森に囲まれ、新しいヒノキのにおいのする風が几帳をそよそよと揺らしていました。
さてさて、こんなに山を上り下りしていたら気が付けば膝が本当にガクガクしてきた。そろそろ撤収しようかな、おなかもすいてきたので駐車場でお弁当を食べる。
手作りのお弁当
きょうさんはずぼらだから車に野地板だのなんだのと端材が積んであって、これを机代わりにして車でお弁当をいただく。ずいぶんと早起きして彼女が唐揚げを仕込んでくれていたのだ!おにぎりは満腹仕様に大き目にした。私はおばあちゃん子だったがおばあちゃんちで出る唐揚げはなぜかやたらと黒くて縮んでいてそれでいてジューシーな謎唐揚げだった。だから、お店で唐揚げを頼んでキツネ色の唐揚げがでてきては「ちがうなあ」と思っていたのだった。
ところがどうした、彼女が作ってくれた唐揚げはあの唐揚げと瓜二つではないか!私も料理を作っては彼女に食べさせているので、胃袋をお互いつかみあっているのだが、これには一本取られたような思いだった。
最期の目的地
海沿いの温泉は、保田漁協にある「ばんやの湯」。
銭湯の中は当たり前だが写真NGだったが、入り口で靴をぬぐと左右に伸びる廊下があって左方に休憩室、目の前に女湯と男湯の入り口があった、右手はカウンターで料金をはらってすぐ、温泉に入った。
まあ、想像と違ってというか立地から考えればあたりまえだが、外の景色が見えることもなく、よくあるただの公衆浴場だった。それでも、いつもと違うお風呂というのはいいものだ。のびのびと湯につかり足の疲れをもみほぐしておいた。それだけで、贅沢だ。
帰路につく
さあ、のんびりしつくしたことだし、そろそろ帰ろうかな。
この近辺は、思ったよりも観光地としてにぎわっているようで、海沿いの道にはおしゃれな飲食店が立ち並んでいた。確かに、海自体もきれいだったし景色もきれい。アクアラインを使えば都心からのアクセスも悪くないだろうからいい立地なのかもしれない。
また来たい土地になった。
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