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追求・執着・自己・価値そして解放
最近、自分の耳がTOMOOの虜になっている 芥拾い です。
ベーコンエピと地下鉄モグラロードで、現実から逃避行中です。
なぜ人は、何者か【社会的地位】になろうとするのでしょうか。
社会的な地位を手に入れる事が、果たして真の目的だろうか。
何者かになれば、社会的地位と自己が融合し、それに対する執着が生まれ、手放すことが難しくなり、失ったときに虚しさが押し寄せてくるだろう。特に、激しい競争を勝ち抜いて手に入れたものであれば、尚更。
自分にとって、何者かになる必要はないと理解しているし、何者かになることを生きる目的とする必要はないし、そこに価値はない。
しかし、家族や家のローンなど、現実的な問題を考えると、手放せないのも事実です。このように考えると、私も既にその道を歩んでいるようです。
それでも、執着せず、自由に手放せる自分でいたいと思っています。それに気づいただけで良いかな。
今日も、麦酒片手にソファーで逃避行中。
好きに触れていられる幸せを感じてます。
今日のゴミ拾いは
プラスチックのスプーン、カップラーメンの蓋、紙屑、
たばこの吸い殻(セブンスター)×2。
チャオ (一一 )
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