見出し画像

俺の話Ⅱ

どうも、筒子丸です。

まず始めに言わせていただくが、このnoteは以下のnoteの続きになっている。焼き直しの部分もあるが、未読の方は是非ご一読願いたい。それでは始めよう。


俺は資本主義が嫌いだ。
それはもう親の仇かのように。と言うか、俺の中では実際に親の仇なのだ。俺が親父と過ごした時は僅か11年。仕事で忙しくなり、俺と過ごしてくれる時間がめっきり減った後、そのまま帰らぬ人となってしまった。会社に親父を奪われた。会社が親父を潰した。会社が、いや資本主義が、親父を殺した。この倒錯した考えは今もなお俺の中に存在する。成人してからの日々は、この考えとの闘いの日々だった。


ガキの内は資本主義について考える事は少ない。親が稼いで来てお小遣いを貰い、お小遣いの中から好きな物を買う。額は小さく、買える物も少ない。誰しもが子どもの頃思っただろう。「早く大人になりたい」と。だが大人になるに連れ、そんな考えも変わって来る。迫る高校や大学の卒業、労働の開始。経験も技術もなく、右も左もわからない中ひたすら働くしかない。必死こいてやっと稼いだお金も家賃やら生活費で泡のように消えていく。そこで大人は皆この時こう思う。「あの頃に戻りてえなぁ」と。少なくても全て好きに使える金。ないに等しい責任。学校に行って友達と遊んで、親の作った飯を食べて寝る。決して自由ではないが、満たされていたあの日々。それを懐古し、今日も自分を殺して働く。「仕方ない」と自分に言い聞かせて。

これが20歳の俺が考えた「大人になる」と言う事だ。「こんな大人にはなりたくない。」
もちろんそう思った。読者のあなたも一度はこう思った事があるだろう。だが大多数の人間は時が経つに連れ、夢と決別して現実を受け入れる。就職活動をする。やりたくもねえ仕事に週の大半を費やす。「仕方ない」から。
なりたくないと言っていたような大人になって行く友達が見ていられなかった。個性を殺して就活生となり、親父を殺した社会に魂を売って行く仲間。許せなかった。社会に出て行く奴らも、社会を拒絶する自分自身も。


そうして同級生は皆卒業して行き、働き始めた。もう大学に行っても友達は居ない。1人残された俺はヤケクソで家を出た。働いてもない奴に何故一人暮らしを始められるような金があったのかって?遺産だ。祖父が死んだ時、俺はかなりの大金を相続した。皮肉な話だ。資本主義を何よりも憎んでいる奴を社会から守っていたのは資本主義その物だった。その事実から目を背け、自己診断の鬱病を理由に休学し、俺はただひたすらに腐った。ゴミ屋敷の中で1人狂い、叫び、救いを乞うた。減って行く貯金。近づくタイムリミット。見つからない「やりたい事」。死にたかった。全てが憎かった。


そんな俺を救ったのは青い鳥だった。
人間関係に飢えていた俺に沢山の仲間ができた。会話に飢えていた俺に色んな人と話す場をくれた。そして、生きる意味までくれた。

俺は彼女の為に生きると決め、信念を捻じ曲げて就職した。社員数4人のスタートアップに。最悪の組み合わせだった。資本主義を何よりも憎む俺が、ひたすら金を稼ごうとする人達と働く。その上、業務量もとてつもなかった。平日は馬車馬の如く働き、休日もかかって来る電話に怯える日々。俺は思った。「やっぱり社会はクソだ。このままじゃ俺も親父みたいに潰される。」そう思った俺は半年で会社を離れた。

会社を辞めても、俺にはまだ遺産が残っていた。しかしそれも遠距離の彼女と会う為に使い、減って行く一方。俺は決めた。彼女の元へ行こうと。もう東京に俺を縛る物は何もない。俺は自由だ。俺は残り少ない遺産をはたいて彼女といつでも会える距離に越し、車を買った。
俺は浮かれていた。ここからハッピーライフが始まるだろうと。

だが現実は半分そうで、半分違った。確かに彼女といつでも会えるのは筆舌に尽くし難いほど嬉しい。だが、遺産はもうない。割の良いアルバイトは見つけたが、それでも生活はカツカツ。将来のビジョンもYouTubeで見かけたネットビジネスを何とか軌道に乗せて稼ぐぐらいしか考えていなかった上、口ばかりで行動はほとんどしていなかった。少ない稼ぎ、追われる支払い。遺産があった頃は彼女と色んな所に行けたし、色んな事ができた。だが今は何もできない。激安スーパーで買った食材で作った飯を出してあげるのがやっとだ。悔しい。嫌だ。

ケツに火が点いた俺は自分を変えると決めた。
目を背けて来た精神障害と向き合った。俺は明らかに普通じゃない。どう考えてもADHDだ。Twitterで色んな精神障害を持つ人と話し、俺はそう確信したし、実際そうだった。
「先延ばし癖も、物忘れの酷さも、全部ADHDのせい。俺は悪くない。」
そう言う事もできた。だがそう言った所で誰が助けてくれる?もちろん障害者手帳を取って国からお金をもらう生き方もできる。でもそれが俺のやりたい事なのか?弱者である事に甘んずる事なのか?俺はやれる。親父の子なんだから。この時、俺の中で考え方が変わった。

「親父を殺した資本主義は拒絶する」から
「親父を殺した資本主義を俺が克服する」に。

そこから俺は自分の強みである英語で、何とか食って行けないか模索した。経験はないがやはり自由な時間は欲しい。フリーランスでやって行けないか?しかし、社会は経験のないシャバ僧をフリーランスで雇ってくれるほど甘くなかった。何ヶ月も続けていればラッキーパンチが決まる可能性も0ではないが、かなり厳しい。
ならば、と俺は決心した。就職しようと。
求人サイトを漁り、唯一近場で俺の探しているような募集をしていた1社に応募して、数週間発狂しながら面接の結果を待った。受かれば安定。落ちれば借金。気が気ではなかった。そんな中、電話が入った。社会は俺が思っているほど冷酷ではなかったらしい。内定。
「ッッッッッしゃぁぁぁああああ!!!」
こうして、俺は来週からまたキャリアを進める事になった。前の会社のようにならない事だけを祈っている。

かつての俺は社会の歯車になったら、もう終わりだと思っていた。親父が俺に遺してくれた「自由」すら売り渡したら、親父に顔向けできないと。しかし、皮肉な事にずっと金に守られて来た俺は身を持って理解していなかった。この社会の中で真に「自由」である為には、「時間」も「金」も必要だと言う事に。当たり前の事だ。こんな事に気付くのに四半世紀もかかった事が本当に馬鹿らしい。親父は「自由」を俺に遺した訳じゃなかった。「自由」は与えられる物ではなく、勝ち取る物だったのだ。そう思った瞬間、背負い続けて来た十字架が、気付けばなくなっていた。「自由」と言う呪縛から解き放たれ、俺はやっと真の意味で「自由」になった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?