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豊かな世界へ

人は、いだって"生きてる"事を肯定する。
生きてるだけで素晴らしい! なんて事を言う。

でもよくよーく考えてみればね
人なんてものは死んでいる状態の方が
遥かに長いという事に気付かないだろうか?

この宇宙が誕生したのは、130億年前とかなんとか言われてるけど、
この130億年の沈黙を通して、やっとこの世に産声を上げた訳だ。
人は生きてる状態を豊かに語ろうとする。
が、人というのは、この"130億年の死んでいる" 状態だった時の方が
遥かに豊かな時間を過ごしていたのだ。

人は五感を通して、この世の仕組みを知ろうとする。
しかし、森羅万象の世界は、このたった"五感" によってその総てを知り尽くす事は不可能なのだ。
この森羅万象の世界とは、五感以上の遥かな豊かさによって絶えず交換と輪廻を繰り返しながら、
人間の知りうる以上の世界を生み出している。

たかが五感でしか計れないものの視点なんてのは
結局は、仮象の世界でしかない。
人はそれ以上の豊かな世界の彩りの中で、"生かされている"
自分の力で積み立てた功績なんてのは、単なる妄想である。
人というのは、五感の中で生きていると思っている内は、
この130億年に渡っての、かつて
"死んでいた" 時代の豊かな世界の彩りを知り得ないだろうから。。

かつて "死んでいた" 時代の方が、
より豊かな世界を感じていただろう。
リアルこそは、この世に生を受ける以前の方が優勢だった。

人は、"生きている" 状態を通して自分を肯定するが、
そのような肯定感は、刹那的なものの見方に過ぎない事に気づかされるだろう。
人は "死んでいた" 時代を通してこそ、自分を肯定できる。
やがて "死んでいる" 状態に還る時に想いを馳せながら、刹那的な時間を生きる。
これを想うと人は、この世でひたむきになれるような気がする。

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