3歳半健診に行って悲しくなった夏とそれから
心の整理がついたので、2021年7月半ばに書きかけた記事の続きを書いて公開します。3歳半検診を受けた直後の日記と、6歳になった今の長男について。
7月、夏休み前の3歳半検診で長男が「引っかかった」
今日は長男の3歳半検診でした。結論から言うと、個別相談を受けるか聞かれて、中途半端な終わり方が嫌だったので受けてきました。次は半年後に様子見。
長男はかなりの人見知りで、子ども大好きオーラが出ていない人に対しては心を開くのに時間がかかります。何かを試されるのも苦手。質問されるのも苦手。3歳半健診は、そういう彼の苦手分野がギュッと詰め込まれたような診断内容でした。
「引っかかった」のは、
◎名前をフルネームで言えない(普段は聞いてもいないのに言う)
◎年齢を言えない(2歳の時は言えたけど、3歳になってから言えなくなった)
◎「コップに積み木をふたつだけ戻して」と言っても、顔色を伺いつつ全部の積み木を戻してしまう
◎「喉が渇いたらどうする?」「お腹が空いたらどうする?」に答えられない
保健士さんは一見、穏やかそうだったけれど、「家ではふたつ、みっつを混同しつつも練習中」と伝えた時に「でも全部戻したし、おうむ返ししていたので理解していないと思う」と。
個別相談を受けてよかったと思ったのは、受けずに後味が悪いまま帰っていたら、落ち込み方が半端なかったなあと思うからです。
個別相談では、子どもの発達に詳しい専門家の方が個室で遊びの延長線上のようなクイズを出して、長男の認識や思考、理解度などをひとつひとつ確かめてくれました。
この方の声のトーンはやはりプロだけあって、長男はすぐにリラックス。遊びに近いもの、特に「目で見たもの」に対しては難なくクリアしていくけれど、「聞いて答える」ものになると、途端に自信なさげになる長男。理解できていないだけではなく、試されていると気づいて怖気付いているような、そんな印象の方が強く残ってしまいました。
なんというか、失敗してはいけないと思っているような。
その様子を見ていて、悲しくなりました。
私の接し方で何か不足があるんでしょうか?と聞いてみても、そういうわけではないらしいし、今すぐ何か対応すべきというより、その子その子のペースがあると思っておいていいのか?と聞くと、それでいいと。ただ、「2歳台までの発達は確認ができたものの、言葉については遅れが見える」という判断は覆りませんでした。
「楽しいのが一番大事」「質問はある種、攻撃と同じ(だから、子どもが警戒するのは当たり前)」ということも聞きました。
私が思い詰める方だと話した上で、本やネットで調べたりしなくて大丈夫、とは言われたものの。
家に帰ってから、やっぱり調べてしまって。でも、ネットに出てくるものと比べるとそこまで深刻には思えない。けれど、気持ちは落ち込む一方。
その時に「できないことにばかり目を向けるからしんどいんだな」と気付きました。
長男は、ブロックが好きで、「ロボットを作って」と言うといろんなバリエーションのロボットをあれよあれよと作ってくれます。今日も言ってみると、張り切って作ってくれました。でも、そんなイキイキとした姿を、保健士さんも専門家の方も知らない。
「できていないこと」を周りの平均点と比較して、「できること」には目を向けない。
それって、悲しいことだなあと思わずにいられません。
健診前に幼稚園へ迎えに行った時に、担任の先生から「初めての人相手だと緊張してしまうかもしれないけれど、幼稚園ではもうすっかり慣れて、いろんなことをたくさん話してくれたり、今日も友達が椅子を片付けていないのを教えてくれたり、元気に過ごしていますよ。大丈夫ですよ」と前もって言ってくれた真意に後になって気付きました。
大丈夫。
それにしても、やっぱり私は私の接し方に不足があったように思えてなりません。フルネームで呼び始めたのも幼稚園に入ってから。男の子、女の子の違いなんて思いつきもしなくて教えたことがなかったし、兄という立場を押し付けたくなくて次男のことを「弟だ」と教えたこともありませんでした。
もっとそういう、目に見えない概念的なものを教えてあげる必要があったんだろうか。知るのが遅く、場数を踏んだ数が足りないせいで自信を失い行動を引っ込めてしまうことに繋がっているのだとしたら、それは私の責任だと思う。でも、3歳半の時点でこうなっていなきゃいけないなんて、そんなにハッキリと言えることなんだろうか。
本人ができることをベースに、のびのびと育ってはいけないのかな。育つペースにも「輪を乱すな、迷惑をかけるな」って強いられている気がして、心がグッタリしてしまいました。他人と同じことができなきゃダメですか?
私にとっては至ってふつうの子どもなんだけどな。
夏休みはスマホとタブレットを隠して、子どものことだけに集中した
3歳半検診を終えた直後、夏休みが始まりました。これはいい機会だと思って、それまで頼りがちだったデジタル機器をいっさい封印し、プライベートワークもお休みして、子どもたちのためだけに時間を使うことにしました。
やったことは、
毎日お気に入りの公園で思い切り遊ぶ
絵本の読み聞かせを再開
スイミングスクールに通い始める
工作やワークに取り組んでみる
お箸もエジソンで挑戦してみる
言葉に関しては絵本がやっぱり近道だなあと。それとは別に、幼稚園で体力のなさからしんどくなるシーンがあるようだったのでスイミングに通わせてみたら結構楽しかったようで。
ただ、この夏の期間は私は内心「長男は大丈夫なんだろうか」「この関わり方でいいんだろうか」と悩み続けていました。
夏休み明け、追い詰められた心境を幼稚園の先生に打ち明ける
言葉の発達の遅れについては連絡帳を介して夏休み前に伝えていたものの、時間が経てば経つほど不安が募り、疑心暗鬼になり、たびたび先生に「ニコは大丈夫そうですか?他の子と比べる機会がなかったから、成長の遅れの有無がわからないんです」と聞いていました。
先生はその様子を見て「実際のニコくんを見てもらう方が早い」と思ったようで、コロナ禍で面談を避けているタイミングではあったものの、ニコの幼稚園での様子を見る機会を設け、その後に先生方と私の面談をセッティングしてくださいました。
幼稚園での子どもたちは、ニコと変わりがないようにも見えるし、もっとしっかりしているようにも見えるし、一方で泣き続けている子もいて、やっぱり私にはニコだけが明らかに浮いているようには見えませんでした。けれど、反対に「ニコは全然大丈夫!」と言い切る自信もありませんでした。
その後の面談で、先生方からニコの日々の様子をより細かく教えてもらいました。
「ニコくん、夏休みでずいぶん成長して見違えるほどですよ。お母さんが夏休みで取り組まれたことは全て良い形で作用していると思いますよ」
そう声をかけてもらい、ようやく少し、安心することができました。
もう6歳になりました
この記事を書き始めた頃から、もう3年以上経ちました。だいぶ長い間、本当にしんどかったですが、少し前に受けた「就学前健診」ではすべてクリアし、ニコからは「楽しかったー」とのんきで嬉しい感想も聞けました。
ニコは正直ゆっくりした成長だったように思います。でも、着実に成長していきました。
個人的に良い影響があったと思うのは、奄美の島時間のゆったりした中でいろいろと学べたこと。預かり保育で長時間、先生や友達と一緒にいたこと。
結果どうなったかというと、運動会では応援団メンバーとして前に出て大きな声で「スマイル全開がんばるぞ!フレー!フレー!〇〇組!」と掛け声をしたり、七五三礼拝でお祈りしたり、クリスマス音楽会では羊飼い役で台詞を話したり、和太鼓を上手に演奏したり。そんなことできると思えなかった時期があったので、今書いていても涙腺がヤバいです。
もちろん、まだまだマイペースな部分はあります。「指示が通らない」と感じるシーンにも出くわします。言葉も得意な方ではないかもしれない。小学校に上がった後、私は勉強を見る時間をある程度割かないといけないかなと覚悟もしています。
でも、ニコにフォーカスして考えれば、彼の中では日々できることがずいぶんと増えました。数年考え続けたけれど、子どもを他の子と比べることより、その子の歩んできた道を見ること、比べるなら過去のその子と比べたいと、やっぱりそう思います。
もちろん、支援が必要な子どもにいち早く気づくことはその子にとっても大切で、だからこその健診だし、それがあったから彼に何が必要なのかをより強く考え続けたので意味があったとも思います。でも、親である私までその尺度で考えなくていいかなと。
この記事は彼自身のことをどこまで書くべきか悩んだため、公開をずっと先送りしてきました。でも、もう大丈夫。やっとそう思えたので公開したいと思います。
これからも、できないことではなく、「できること」に目を向けて大切に育てていきたいな。