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メルヘン廃墟

 プラントノベル

 西洋のお城、カラフルなログハウス、ファンシーな雑貨。
 にぎわう街、あふれる人、さわやかな風。
 はじめてのデート。
 リョウ君が詰めた距離、許した私。
 つないだ手のぬくもり。
 あの日、私は夢の高原を歩いていた。

 14歳の夏、精一杯背伸びした恋だった。
 一つ年上のリョウ君と電車に乗って清里にやってきたのは、35年前のこと。  

 あの日着ていた水色のワンピースをリョウ君はカワイイと言ってくれた。                       

 まだ未熟な私。

 あの頃、人生は直線の上にあって、望む方へ傾いてゆくと信じていた。

 でも、それは、もう昔の話。

 35年は長すぎたのか。

 閑散とした駅前を歩く。シャッター通りなんて、今どき珍しくないけれど、清里も例外ではない。  

 メルヘンな建物の多くは、主を失ない、二人で巡ったタレントショップはもうなかった。 

 朝食をすませ、夫を職場へ、娘を高校へ送り出したあと、車に乗って中央高速を走り、この街に来た。 

 ひとりベンチに座りバッグからスマホを取り出す。 

 干からびた肌、ボサボサの髪、無精ひげを生やした男が画面に映っている。 この男を廃人と呼ばずに、何と呼べばいいのか。 

 薬物中毒になったリョウ君が逮捕されたのは、2か月前のこと。
 同級生のカナコがSNSで教えてくれた。

 ”視線ヤバくない。終わってるよね、昔はカッコ良かったのにさぁ”

 カナコの文面に私はうなづいた。
 カメラを見つめる鋭い眼光に嫌悪感を抱いた。
 中学を卒業して、リョウ君はアイドルになったけど。
 テレビに出ていたのは、ずいぶん前のことだ。

 そろそろ、あれを捨ててしまおうかと思うが、踏ん切りがつかない。

 リョウ君は、特別だから、ずっと捨てずに持っていたけど、あの画像を見て、もう捨てようと思った。


 ベンチに座ったまま、周囲を見渡してみる。
 清里の現状は知っていた。
 あの華やかだった建物たちは、メルヘン廃墟と呼ばれいる。
 あふれる人たちは、どこへ行ったのか、通りを歩く私とすれちがう人は誰もいない。

「高原の原宿と呼ばれた頃は、何をやっても儲かった。あの頃は良かった」
 テレビの中で昔を語る商店街のおじさんを思い出す。

 時間はいろいろなものを変えてしまう。
 街も人も私の体型も。

 お腹の脂肪をつまむ。

 流行りのスキニーパンツなんて恥ずかしくてとても履けない、はち切れそうになってしまうから。中年太りした体型だから、スカートを履くか、パンツルックならワイドタイプを選んで買っている。

 14歳の私から、現実に引き戻された気分だ。

 私は何をしているのだろう。昔の男を思い出して、こんな所にまで来て。

 いいの、捨てられない物は、思い出の場所に置いてくることにしているから。

 高校時代に付き合った、彼の写真は、デートした公園のゴミ箱に捨てた。 
 OLになって、2年間付き合った彼と別れたときは、良く着ていたビキニを海水浴場に捨ててきた。

 だから、べつにいいの、いつものこと。
 そう、自分に言い訳してみる。

 捨てるのは、牧場を見てからにしよう。

 駐車場に戻り、シートに座りエンジンを吹かした。

 牧場に着いたら売店に入り、お土産ものを眺める。焼きたてパンを買いたいけれど、家族には、内緒で来ているから諦めよう。

 キーホルダーを眺めていたら、名前入りのものを見つけた。『なっちゃん』思わず自分の名前を見つけると手に取ってしまうが、とはいえ、買わずに店を出た。

 リョウ君と来たときは、牧場なんて来なかっただろう。若い二人だから、商店街で洋服や小物を夢中で見ていたはず。

 外に出ると、八ヶ岳から吹く風が樹々をゆらす。葉の揺れる音とともに、あのフレーズを思い出す。

 『木漏れ日の中でキミとふたり 交わした言葉 奪った唇
 いつまでも変わらないでと 誓い合った あの日の約束』

 EIJIの歌詞を思い出した。ヒットしたバラード曲だ。

 私は、それ唄を口づさみながら、バックからビニール袋を取り出す。中には、あの日着ていた水色のワンピースが入っている。

 このワンピースは、腰元は青いリボンで結び、胸にはチャックの着いた小さなポケットがあった。

 ビニール袋から、取り出してみる。周囲には、誰もいないし、鼻唄を唄おうが、洋服を広げようが気にしない。

 リョウ君との思い出を大事にしたくて、あの後、一度も着なかった。

 ポケットに何か入っているようだ。取り出してみると、『なっちゃん』と書かれたキーホルダーが出てきた。

 さっきお店で見たものとデザインも材質も違うけど、『なっちゃん』とある。

 指でつまんだキーホルダーが、ゆらゆら揺れて、記憶を呼び起こす。

 私は、知らぬ間あの頃の思い出を、メルヘンチックに変えていた。
 あの日の苦しさを忘れて。

 人は過去を変えてしまう生きもの。

 あの頃、私はEIJIのファンだった。 
 でも彼は、薬物に汚染されて、28歳の若さで自ら命を絶った。 

 時を同じくして、私は部活の先輩や同級生にいじめられて、大好きなだったバレーボールを辞めている。やがていじめは拡大し、部活を辞めた後もクラスの子たちから無視されていた。 

 もう死にたいと思った。

 そんなときにリョウ君に、デートしようと誘われる。 ボロボロになった心を抱えて、夢の高原を歩いていたんだ。 

 あのとき、二人で牧場に行って、リョウ君にキーホルダーを買ってもらい。ソフトクリームを食べたあと、草原に寝転がった。  

「EIJIは永遠になったんだよね」 

『もしも俺たち 引き裂かれても 永遠に放つテレパシー』
 歌詞を思い出しながら私は言った。 

 しばらく間が空いて、リョウ君が言った。

「ちがうよ。EIJIは間違えたんだよ。音楽が出来なくなっても、他に道はあったはずだよ。生きてさえいれば」 

 気づくと、リョウ君は私を見つめていた。二人の目が合う。

 「なっちゃんだってやり直せるよ」 

 リョウ君の言葉が、鋭い視線が、私の心に突き刺さった。 

 帰りの電車の中、ずっと手をつないでいた。
 頬に唇が触れて、胸が高鳴った。 


 夏休みが終わるとリョウ君は他の女の子と結ばれて、私の恋も終わった。私のことなんて好きじゃなかったんだ。

 中学を卒業すると、リョウ君は地元の町を出ていった。
 それからは、テレビに映る姿をいつも見ていた。

 30歳のとき、私は夫と出会う。彼は弁護士を務めたあと、裁判官になった。


 再び車に乗って走り出す。峠道を下り、道の駅を過ぎて、長坂インターから中央高速に乗った。

 ”視線ヤバくない。終わってるよね、昔はカッコ良かったのにさぁ”
 カナコの言葉を思い出すと、首を横に振った。

 終わるってなに。どうして終わるの。

 カメラを見つめる鋭い視線は、変わりたいという意思かもしれないのに。

 助手席に置いたバッグの中には、水色のワンピースがある。 

 さっき、牧場で広げた後にを捨てようとしたが辞めてしまった。

 やり直せるよ。廃人は、命ある限り。廃墟は、人がいる限り。

 やり直してみせてよ。あの日私に言ったみたいに。

 心で強く思うと、体の芯が震えてきた。
 テレパシーがリョウ君に届いたのだろか。
 少女じみた発想に、ひとりで苦笑した。

 帰ったら、それとなく夫に聞いてみよう。 

 初公判のリョウ君はどんな様子だったのか。

 あの思い出は、捨てられない。


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