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娘たちへ(10)熱狂がもたらすもの

およそ、熱狂がもたらすものは害悪である。

スポーツの試合に熱狂した観客の一部が暴徒化する光景を見て、人間の狂気に背筋が寒くなることがある。しかし、その理由を、その人個人の人間性、国民性だからと結論づけてはならない。決して他人事と考えてはならない。

かのアドルフ・ヒトラーも、当時のドイツ国民の一部の熱狂的な支持によって、この国のトップの座に登りつめた。彼がもたらした許し難い蛮行のきっかけを、国民が与えたことを忘れてはならないだろう。

経済の混乱、政治不信などをきっかけにして、このような事例はどの国でも、どの時代にも起こり得るはずだ。

熱狂は長く続かない。その後に必ず失望というプロセスを経る。自分は、この熱狂と失望はセットだと思っていた。しかし最近、その考えを改めなければならないと感じている。

ドナルド・トランプ氏の岩盤支持層は、日本人の我々が考えるより、ずっと堅固なようだ。大統領選挙後の議事堂に向かうように民衆を扇動した件でも、職を辞した後に機密文書を所持した疑いで起訴されそうになっても、コアな支持層の牙城は揺らがなかった。トランプ本人が「フェイクだ」と言えば、彼等もそれを信じているように思える。

数年前、ダーウィンの進化論を否定する人が、米国民の四割程度いるというニュースを読んで、愕然としたことがある。「創世記」を絶対のものと信じて疑わないキリスト教原理主義者が、国民の三割くらい存在するのだそうだ。

私は、進化論の正否について述べたいのではない。根源的な問題は、進化論について理解していないことではなく、そもそも理解しようとしないことにある。人は得てして、真実よりも、自ら信じたいものを信じる傾向があるものだ。

彼らキリスト教原理主義者たちが、ズル賢い連中に利用される構図を見ると、仮にトランプがいなくなっても、すぐに、第二のトランプが現れて、彼らの求心力となるだろう。

かつて、十字軍の名の下で、二百年にわたって、西欧の武装勢力が東方世界に八回も軍事侵攻した歴史から学ぶへきことは、こうした行為が、熱狂という一時的なものではなく、人間の心理に潜む根深い問題であろう。

熱狂的に何かしらの信条を盲信する人々と、冷静さを保とうとする者が対峙した時、往々にして、前者が力に勝ることがある。これが怖い。

私たちは、常に冷静さを保ちつづけなければならないが、それは時としてマイノリティとなる覚悟が必要な心構えでもある。

人間が本物の智慧を得るのはまだまだ先のようだ。

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