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私の履歴書(5)大学時代②男声合唱にどっぷり

 法学部のクラスには、真面目に法曹界への道を目指す学生もいましたが、私は、そんな気はさらさら無く、ただ自由な4年間が欲しかっただけの不真面目な学生でした。

 部活では、音楽をやると決めていました。クラシック好きなので、オーケストラの練習も見に行きましたが、弾ける楽器がない自分は、何をするにも、一からレッスンを受けなければならず、その楽器(おそらく高額)も買わなくてはなりません。一浪して私立大学に入学させてくれた親に、これ以上金銭的な負担をかけられないと思い、高校時代にかじっていたことのある合唱団にしようと考えました。

 大学には、混声合唱、男声合唱の二つの団体がありました。両方とも見学に行きました。後者の男声合唱団は、全員詰襟を着て勧誘しています。この体育会的な奇妙な団体は、得体の知れない活気がありました。アクの強い先輩が何人もいて、私は、その人たちに取り囲まれ、巧みな話術にまんまとはまり、男声合唱団に入ることにしました(この事が、後々の自分の人生に大きな影響を与えるとは思いませんでしたが)。

 この体育会的合唱団の拘束時間は半端なく、平日に週に4回の練習のほか、たまに、土日にも各種イベントの出演などもあって、勉強どころではありません。浪人時代に、あれだけ勉強した英語も、四年間ですっかり頭から抜けていきました。

 活動費を賄うために、アルバイトをしなければなりませんが、練習日が多いので、あらかじめ曜日の決まったバイトはできません。そんな我々を救ったのが、OBの先輩の勤務先からオファーがくるスポットのアルバイトでした。日曜日に製本工場で一日十時間働くと、10,000〜12,000円くらい貰えましたが、それらは部活動費とレコード、CDに消えていきました。

 高校まで音楽と無縁の団員が大半なので、自分のような楽譜が読める者は、必然的にパートリーダーや指揮者の候補です。三年生でパートリーダー、四年生で学生指揮者になりました。

 私は常々、生まれ変わったらオーケストラの指揮者になりたいと思っています。そんな自分が素人合唱団相手とは言え、数十人を前に指揮するのらのは一人だけ。自分の音楽に対する考え方や美的感覚を表現できることに喜びを感じました。

 団員の多くは、自分のパートを覚えるのも精一杯です。全員に何度か歌わせて、曲に慣らせる作業、その後の細かい修正をする作業、先生がどう振るかを予想して、あらかじめ指示をする作業など、やることはたくさんありました。

 男声合唱は、音域がやや下に密集しているので、多少ハーモニーが崩れていても、「それらしく」聴こえてしまうきらいがあります。音楽にうるさい人でなければ、「迫力がある」とか「重厚だ」と感じてしまいます。個人的に、それが我慢できません。指揮者になって以降、歌い慣れた愛唱曲も、あらためて細かい音程の取り直させ、ハーモニーを整え、またチェックする地道な作業を繰り返しました。

 合唱団には常任指揮者の先生がいらしたので、この先生が演奏会で取り上げる曲を、あらかじめ団員に稽古をつけておく作業(下振り)も学生指揮者の大切な仕事。誰よりも楽譜を読み込んでおかなければなりません。

 指揮法は、別の指揮者の先生に学びました。とても合理的な指揮法を、基本から丁寧に指導していただき、余計な動きを注意されました。この先生は、とても颯爽とした指揮をなさる方だったので、出演なさる演奏会では、ステージ近くで、その細かな動きを観察させていただきました。

 この時期、自分の内面に潜んでいた「表現することの欲求」と、「自己を抑制する側面」が相剋していました。その結果、「内面に熱い情熱を持ちつつも、客観的で明晰な音楽」作りが自分の理想となりました。この考えは、三十年以上経った今でも変わりません。

 

 

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