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#59_「こんなことを学んで、何の役に立つの?

さてさて、この質問に、どう答えるべきか……。

先日、定期テストがありました。子どもたちは、それぞれに、がんばって勉強していました。そのなかで、ある生徒が問うてきました。「こんなことを学んで、何の役に立つの?」さてさて、この質問に、どう答えるべきか。

この問い、いろんな時代、いろんな場所で、いろんな子どもたちが問い続けてきた問いではないでしょうか。私自身も、そう問うていた記憶があります。いまだかつて、納得できる「答え」には出会っていません。だから、これを問うてくれた生徒に「答え」を提供することもできません。ただ、「答え」は提供できないとしても、考えるための足場をつくることはできそうです。やってみようと思います。

論点1 あやしげなセールストーク

教師が授業でこんなふうに言います。

「今日、君たちが学習する内容は、将来、こんな場面で、こんなふうに役立つんだよ。逆に言えば、今日の内容をきちんと理解していなければ、将来、君たちは困ってしまうかもしれないよ。」

ありがちです。やってしまいがちです。言ってしまいがちです。

この言い方、私自身もやっていたことがありますし、今もときどきやっています。そして、言い終わったあと、いつもこう思います。

「これって、なんか、詐欺師っぽくないか?」

詐欺師の、うそっぽくて、でも、本当っぽいセールストークのように感じてしまうのです。

私自身の、とても限られた人生経験と知識にもとづいて、これまでの人類が大切にリレーしてきた知の意義を語っています。子どもたちがこれからどんな人生を歩むのか、ほんの少しもわかっていないのに、知の意義を語ってます。そして、いちばん大事なことは、私は自分自身の発言の責任をとることはないし、責任をとることはできないということなのです。

論点2 「内容」と「方法」にわけてみる

「こんなことを学んで、何の役に立つの?」

この問いの言葉を、丁寧に解いてみます。

「こんなこと」の「こと」が指しているのは、いったい、何でしょうか。

ここでは「こんなこと」の「こと」を、「内容」と「方法」という2つの視点にわけて考えてみたいと思います。

たとえば数学で連立方程式を学んでいる子どもたちを想定してみましょう。このとき、「内容」として措定されるのは「連立方程式」です。「こんな内容を学んで、何の役に立つの?」という問いは、「連立方程式を学んで、何の役に立つの(大人になって、連立方程式とか使うわけ)?」とパラフレーズできます。このようなかたちで問われると、私も、何と言っていいのか困ってしまいます。

一方、「方法」として措定されるのは「論理的に物事を考えていく方法」です。「この方法を学んで、何の役に立つの?」という問いは、「論理的に物事を考えていく方法を学んで、何の役に立つの(大人になって、論理的に物事を考えるわけ)?」とパラフレーズできます。このようなかたちで問われれば、私でも、なんとか、答えられそうな気がします。

「こんなことを学んで、何の役に立つの?」

「こんなこと」を「内容」として措定するのか、それとも、「方法」として措定するのか。これだけで、もうちょっと、この問いについて考え続けることができそうです。

子どもたちが「こんなことを学んで、何の役に立つの?」と問うてきたとき、まずは「え、それって、内容のこと?それとも、方法のこと?」と、まずは問い返してみようと思います。

(……おそらく、おそらくですが、子どもたちは「ああ、もう、ほんと、めんどくさっ。もういいよ、やればいいんでしょ。勉強。はいはい。やりますよ。」と言いそうです。)

論点3 「海を泳いでいる最中に、海の広さはわからんよ」

マンガ『バガボンド』に出てくる言葉です。

私が、とてもとても大切にしている言葉です。

「勉強している最中に、人類がリレーしてきた知の広さ・深さなんてわからんよ。」

子どもたちは、納得しないはずです。「なに言ってんだよ、こいつ」という目で私を見るはずです(笑)

この言葉を子どもたちが実感できるようになるために、教師は何ができるのか?

いつもながらの着地点です。

「探究」です。

今日は、ひとまず、ここまでにしたいと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。


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