『14歳の栞』ありがとうございます。

見始めた瞬間、しまった。と思った。

2年6組。35名の全生徒にスポットライトを当てたドキュメンタリー。2022年から毎年春に再上映をしていて、今年も再上映が決まった。「登場人物は全て実在する人物です」と、今の時代見たことがないようなテロップ。その特性から、オンライン配信にもDVDにもならないのはよく分かる。

中学2年生、人生の中で最も多感な時期に密着した映像は、持て余すほどの生モノで、これを残そう、残していいですよという全員の勇気に、まずは感謝を述べたいという気持ちになる。

冒頭、独り立ちしていく生き物の様が数分流れ、しだいにある埼玉の中学校に焦点が合っていく。机が並ぶ教室。先生の話を聞く生徒。なんか盛り上がってる男子、集まって話す女子。

始まった瞬間、しまった。と思った。

もしかしてこれは、”学校が好きだった人”たちが、その青春を思い出して懐かしく思うための映画なのではないか。青春とはすばらしく、あなたたちにもそんな時期があったでしょう、良かろう良かろう。というきれいな映画に思えた。当然、私には場違いな気がした。

短くもリズムよく、1人1人のエピソードが紹介され始める。盛り上げ役の男の子。おしゃべり好きな女の子。最初はなじめなかったけど、今はこのクラスが好きな男の子。

なるほど。みんな、色々あるけどこのクラスが好きってことね。と、やはりきれいな感じでまとまるとみて、なんとなくの全体像を想像した。

でも一人、また一人と流れるエピソードを見るうちに、この想像は違ったんだとわかる。これはガチで、35人分のリアルだ。無暗に深掘ろうとはせず(実在するからこその配慮とも思うが)それぞれの話した言葉、輪の中での立ち振る舞い、そういうのをむしろ淡々と映そうとしているように思えた。

早く大人になりたい、という子。14歳から始めるのは遅すぎる、という子。
自分のことを子供だと思うから大人になりたいし、子供じゃないと思うから将来の天井を見る。子供と大人の狭間を行き来する彼らの感情が、あまりに手に取るようにわかり、なんて大事な時期なんだろうと実感する。

学校という社会で生きていくための術を学びだし、本音を語る場所がなくなっていくあの閉塞感。インタビューには、みんなそれぞれ本音を吐露しているように思えたけれど、あれでさえ、もしかすると作り込んだ彼らだったのかもしれない。

それでも、本当に感心したのは、みんなそれぞれが自分の言葉を持っていたこと。それが嘘か誠かはわからないけれど、「わたしはこういう人で、こんな感情を持っていて、この状況をこう思っている。」と言葉にしていたこと。変に気取らず、自分のことを客観視しようとしていたこと。

私が中学2年の時にこんなインタビューを受けていたら、理想の自分(像)を語りだして周りを困惑させていたと思う。自分の内面を冷静に捉えること自体、今でも結構難しく感じているんだけど、私もあの頃、彼らのように自分を直視できる勇気があればよかったなと思う。

私には忘れたい過去がいっぱいある。でも皮肉なことに記憶力が割と良い方だったらしく、今だ忘れられないことも多い。だからこそ、この映画を観るのはかなり悩んだ。実は2022年公開当初から存在は知っていたのだけれど、キラキラした青春映画(しかも実在の)を”じゃない”自分が見れるのか、少しずつ忘れてきた自分にほっとしているのに、また思い出すんじゃないか。と、自然に距離を取ってきた。

今回、えいやと観てみたけれど、やっぱり観てよかった。

自分にとってはモブな同級生も、思考して、言葉を話して、取り巻く環境を捉えて、感じて、生きている。逆も然り。私は誰かの人生にとってはモブだっただろうけど、私は私の人生をなんとか生きている。

この映画を観たからと言って、中学時代の友達に会いたくなったり、昔を思い出して懐かしむようなことはしない。そういうキラキラした感情は沸かなかったけれど、人には人の人生あり。という納得感。なのかな。満足感、でいっぱいだ。

彼らがもっと大人になった時、例えばこの映画を彼らがもう1度観る機会があるなら、全員そろって出席してほしい、とは思わなくて。
出席しません、全然連絡取れませんという人がいたらいいなとさえ思う。それこそがリアルだから。

最後に、繰り返しにはなるけれど、こんな人生の大切な瞬間をみせてくれた2年6組の皆さん、本当にありがとうございます。ありがとう、というか、ありがたい。というか。

これからも、彼らのあの一瞬が何の記録媒体にも残らず、記憶にだけ残っていくことを祈りたい。

まさに、栞。あなたたちの一瞬に、少しだけの足跡を。


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