もうだめかも

眠りたいのに眠れない、叫びたいのに叫ぶ言葉がみつからない、わかりたいのにわかれない、もうなにもできないような感覚になって、わたしの輪郭がどこにあるのか、掴めなくなっていく。どこでどのように溶けだした輪郭をもとに戻せばいいのか。

若い頃、いや今もおそらく定義的には若いんだけど、ちゃんと自由に恋愛ができるときに恋愛を楽しんでおかなかったことを、今になって後悔している。べつに今から恋愛を楽しみたいとか、浮気や不倫をしてみたいとか、だれかと猛烈にアツい恋に落ちたいとかではないんだけど、恋のはじまりのきもちをもっとストックしておくんだった、と思う。ほのかに春が香るような、だれかに甘く噛まれたような感覚。

とにかくあたまのなかがメチャクチャで、整理するにもどこから手をつけたらいいのか分からない。そもそもわたしはあたまのなかを片付けたことがあったっけ。掃除機も箒もチリトリも持ち合わせていないあたまのなかで、一体どこからなにを片付ければ平和に戻れるんだろう。

自分の脳みその限界というものを最近感じている。ひとつのことを考えはじめるとそれ以外なにもできない。脳みそがひとより少ない自負はあるが、それにしたってあんまりだ。ごはんも水分補給もまともにできなくなって、なにも考えないようにするにはねむるしかなくて、ひたすら傾眠傾向に陥る。

何にもなれないまま、ただ日々がただ過ぎていく感覚にずっと苛まれている。これといって人様にいえる特技もなく、全身全霊で楽しんでいる趣味もない。楽しいと思えるひとときは、友人たちとお酒を飲んだりご飯を食べたりしながら話したり、お出かけしたりしているときくらいで、あとは別に、ずっと平坦。あのときこうしていればよかった、ちょっとの罪悪感を持ってもいいからこうやって対応していれば人生は変わったかもしれない、という感覚に一生追いかけられてこれからも生きていくのかもしれない。

一日の大半を家で過ごす。片手間の仕事、片手間の家事。起きてから寝るまで、事細かに行動を言葉にできるくらいには単調な毎日。ただ、帰りを待っていることだけがわたしの仕事なのではないかと思えてしまう。こんなことなら在宅の仕事ではなく、フル出社でバカ忙しいところに転職するんだったな。あまりにも退屈すぎて始めた副業はそこそこ楽しいが、そこで新しくうまれた人間関係に困惑する。友達の作り方も、だれかから受動的にもらうしかない恋愛常套句のかわし方も、わたしはうまく知らない。笑って流す以外の方法があるならおしえてくれよ。

あのとき手を握り返せばよかった。あのとき、もうすこしお話しようと言えたらよかった。あのとき、あのとき。小さい後悔が振り積もって大きな石になり、花を育てるのに邪魔だ。これじゃあ水もあげられない。自分の感情に近しいことを歌った曲ばかり耳にして、その世界観に浸って悲劇のヒロインになりきることだけがわたしの特技だ。わたしの感情はだれかがつくりだした言葉や表現の引用でしかなく、ほんとうのところでうまれた感情なんてどこにもないのかもしれない。

酩酊を生きていることの免罪符にできるならいくらでもお酒に溺れたかった。強いアルコールに連れ去られたい。嘘、もうどこにも行きたくない。だけどここにも居たくない。だれか連れ出して、と思う時点でわたしは自分の人生の主導権を手放している。煙草吸おうかな。だれかとふたりで一本にして。そうしたらわたしの肺と、だれかの肺が半分ずつ汚れるんだろうか。

もうだめかも。思考のまとまりを手放して、どこにもいけない自分だけを祝福している。もうだめかも。仕事も人間関係もだれもかれも放り出して、海とか、森林とか、そういう感情のない美しいところに逃げてしまおうか。引用のくせに次々と生まれる感情に、支配されている。ねむれない風の強い夜、やさしくない脳の暴走、もう銘柄も思い出せない煙草の匂い。

これは恋じゃない。だけど愛でもない、一時的な揺らぎにすらなれなかった、くだらないだけの自己陶酔。あの子がわたしの人生からいなくなったら、もうひとつピアスを開けよう、そして、同じ煙草を吸ってやる。

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