断片的なものの社会学

東京都現代美術館で『私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ』という美術展が開催されている。

そのタイトルを見た際に思い出したのが、『断片的なものの社会学』の中の一節である。

私たちが持っている、そうした幸せのイメージは、ときとして、いろいろなかたちで、それが得られない人びとへの暴力になる。

この本は、2年ほど前のコロナ禍の最中に初めて読んだ。その時いちばん心に残ったのが、先に引用した『手のひらのスイッチ』という章である。誰もが心の余裕が無くなり、情報も錯綜している中で、それぞれが信じる正しさや幸せは、他人を傷付けることにもなり得るということを目の当たりにした。家族でさえも意見が違っていて、こんなにも他人と分かり合うのは難しいのかと感じていた中、この本にはとても救われた。

そして今回、Twitterで流れてきた美術展をきっかけに2年ぶりに読み返した。この2年で世の中も回復し、自分自身の環境も変わった。前回は読み流していた箇所が深く刺さったし、冒頭の一節は改めて心に留めておきたい文章だと感じた。

この本が不思議で面白いと感じる理由は、ビジネス書のように解決策が書かれているわけではなく、ただ、人々の断片的な生活や思いが、そのままの形で書かれているところにあると思う。

通勤電車に乗り合わせている人、喫茶店で隣に座っている人。その一人一人にそれぞれの人生があって、思いがある。それは直接聞かない限り、知り得ないものだし存在しないものになる。でも、世の中は、そうした“何者でもない”人々の生活が集まってできているもので、そうした人々の語りを拾い上げた文章を読むと、ハッとするほど自分の物語でもあると気付く。
(わたしがnoteやTwitterで人の文章を読むことが好きなのも、こうした無数の人たちの存在に触れることができる場所だからかもしれない。)

この本に答えはないけれど、だからこそ、読んだ人にとっての救いにもなるし、自分と社会・他人との関わりを考え直す問いにもなる。わたしが出会えてよかったと思ったように、誰かにとっても大事な一冊になるといいなと思います。


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