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今夜も召し上がれ 第15夜

第15夜 鶏モモ肉と憂鬱のトマトジュース煮パスタ

 すべてが無理な時ってあるものだ。
 ノートや脱ぎ捨てた服で半分の広さになった布団の上で、夏目球を見ながら、生命活動以外の何もしていない木曜の昼。
 俺は、自分で言っちゃあれだが、ひとりで生きていけるタイプの人類だと思う。大概のことはひとりでできるし、ストレス解消法もたくさんあるし、なによりも自己肯定感が高い。我ながらいい育てられ方をしてきたと思う。
 けれど、どうしたってあるのだ。
 すべてがメキャメキャになって、もうひとりでは立ち上がれない日が。

 それが、先々週の火曜日である。

 そのちょっと前まで、俺はかなり頑張っていた。かなり頑張っていたのだが、それでも保育園児がミルフィーユ食ってんのかレベルでボロボロ無理が露呈するような状態だった。お笑い動画を見て大泣きしたのだから、本当に限界だったのだろう。
 それからやっと解き放たれて、やっと味のある食事をして、このあとの第4学期はもう年度末まで、しばらくの愉快な大学生活。そう思っていたのだが、そうは卸してくれない意地悪な問屋もいたものである。
 枕にしているぬいぐるみを抱えたまま、目と鼻の先でスマホのアラームが力尽きるのを、ただぼーっと眺めている。そのうちに、スマホは本当に力尽きて、アラームも鳴らなくなった。
 空気の抜けた風船細工のように、煎餅布団に転がっている以上のことが、なにも出来なくなってしまったのである。
 俺の城にはまだ掛布団がない。なくはないのだが、春に、引っ越すためにぺしゃんこにしたままである。
 薄い毛布にくるまって、寝たり起きたり寝たり、たまに冷蔵庫を漁ってなにかを食べたり。
 授業が始まったばかりだというのに、最速で単位を全部失うという史上最も不名誉なストレートを達成しかねないのは分かっていても、身体が動かないのでいかんともしがたいのだ。
 いや、本当に、これはまずい。
 冷蔵庫の中の食糧も、もともと籠り切りになる予定はなかったのだ。もういつ開けたか分からないコーヒー牛乳だの、不自然に袋が膨らんだはんぺんだの、そういうものしか残っていない。
 スマホに充電ケーブルを挿して、もぞもぞ起き上がる。
 正直、今が何日なのかもわからん。
「腰……痛ァ……」
 なかなかたいそうな音を立てて伸びをして、身長を取り戻す。
「…………」
 ゴミ袋や、それに収まりきらなかったゴミ、洗濯する前なのかした後なのか分からない服、レジ袋から出してもいない大学ノート、給料袋まで散らかった部屋の有様を見る。
 そりゃあまあ、ここ8週間くらいの無理の仕様を思えば、当然のしわ寄せだろう。暖かい時期ならば、家賃を請求してもいいぐらいの虫のわきようだったに違いない。
 家に帰るなり気絶するように眠って、カラスの行水RTAをして、ベルトを締めながら駅まで走って。遅刻だのミスだの提案についてだの、何回頭を下げたのかもう覚えていない。アルバイトの日を5回連続で間違って、そろそろクビにすらなりそうだが、おかげで今月の後半にシフトがなかったのは助かったと言ってもいいかもしれない。

「がんばったなァ……俺」
 再起動したスマホに通知が流れ込んでくる。
 幼馴染から、今までだって何回と来た文章だ。
『おーい、生きてるかー』
 もしも。
 もしも、この2週間弱の間に、俺が死んでいたら。

 俺が「かなり頑張っていたこと」は、つまるところ大学の課題なのだが、これが大した曲者だったのである。
 俺が今まで丁寧に育ててきた苦手意識とトラウマ、外に出しがたい痛みのすべてを煎じて煮詰めて蒸留して、美しく取り繕おうとしたような過程と結果に関わることを余儀なくされたのである。なまじ俺に、0を1に近い何かにするだけの能力が備わっているばかりに、逃げることも叶わずに。
「…………」
 それは少し違うかもしれない。
 ここまで消耗しつくすまで、俺が自発的に助けを求めたことなどあっただろうか。結果的にどうにもできなくて、他人の手を用意されたことは幾度となくあったが。
 俺は昔から、誰かに助けを求めるということが出来ない人間らしい。
 それは、土壇場でなんとかできてしまう俺の器用さによるものでもあるし、幼い頃から必ず、俺がどうにもならなくなっているところに救いの手を差し伸べてくれる大人がいたからでもある。

 それだけではないことなんて、自分がいちばん分かっている。
 立ち眩みでふっと、部屋が真っ白になる。
「……腹減ったな」
 毛布に巻き込んでいた洗濯物を、洗濯機に放り込みついでに台所に立つ。
 立ち上がる元気すらなかったわけで、料理をしようだなんてこれっぱかしも思わなかったし、メニューも思い浮かばなかったが、なんだろうな、少しは回復したらしい。
 夕飯というにはあまりにも遅いから、夜食だろうが、本日の1食目ということは朝食なのかもしれない。
「しっかし、何にも食えるもんねえな」
 リュックを足で追いやって、冷凍庫を開ける。
「あ、鶏ももまだあったのか」
 いつ買ったのかも覚えていないトマトジュースと、芽の出た玉ねぎ、シンク下に帝国を築いている安売りのパスタからは、早ゆでのマカロニを選ぶ。
「飯だ!」
 生存は戦闘だ。そして、腹が減っては戦が出来ぬ。
 鍋に冷凍していた鶏肉を放り込む。多分1枚分くらいだろう。本当はしっかり解凍しないといけないのだが、この際気にしない。キッチンばさみでがしがし切った玉ねぎも投入し、たぷたぷにトマトジュースを注ぐ。
「俺玉ねぎの芯って好きじゃねえんだよな……まあ、芽は取っちゃうけど」
 目分量の塩を鍋に入れてから、生ごみの袋に玉ねぎの皮と肉を包んでいたラップを押し込んで、袋の口を縛る。
 さして中身が入っていないとはいえ、2週間放置した生ごみである。
 手を洗ってから、どういうわけか閉まっていたガス栓を開けて、弱火でコトコト煮込むのだ。
「本当はもっと色々入れるんだけどな、セロリとか人参とか」
 それはまた今度。

 鍋に届かないでゆらゆら揺れる火を、行儀悪く米びつに腰かけて眺める。
 背中に当たる洗濯機が脱水に変わり、ゴトゴト揺すられる。
 いつも通り作ったつもりだが、ずいぶん手際が寝ぼけていたらしい。
 溜め込んだ洗い物も片付けないといけない。ひと口残ったペットボトルなんて、一体何本あるのやら。
「………」
 手が痛い。
 いつからか分からないが、ずっともう昔から、すぐに右手が痛くなる。
 手首に始まり、なんでここも二の腕と言うのか分からない手首と肘の間、指、果ては、翼の付け根まで、息もうまくできないほどに重苦しい痛みだ。
 初めに問題になったのは、高校2年のときだった。
 ついに痛みに耐えるにも限界が来て、ペンが持てなくなったからだ。
 いくつかの医者にかかったところ、使いすぎと血行不良が原因という診断だったが、血行を改善する薬は副作用の眠気で使い物にならず、使わないというわけにはいかない。
 俺から「書く」ないしは「描く」行為を奪ったら、ばっちり二重ぐらいしか残らないのである。
 今よりもさらに視野の狭い、高校生の俺は、それを本気で怖がった。
「存在していてはいけなくなるのではないか?」
 という、死にも通じる恐怖である。
 柳の影に追い回されて疲弊した俺が、片手でもできるはずのこと、更には手足なんぞなくともできるようなことさえできなくなって、1日中非常階段で何かから隠れていたことは、今思えば中二病をこじらせたように見えさえするかもしれない。
 とはいえ、である。
 友達になれたと思っていた相手に異邦人のように扱われ、やっとの思いで求めた助けを、一笑に付された記憶は今でもふさがらない傷口だ。
 一生ふさがることはないのだろう。

 どの傷も、俺がつけてきた傷の報いだと思えば納得がいく。
「ふー………」
 鉛のようなため息をつく。
 「心が砕けそうだ」なんて、俺が吐いていい台詞じゃなかったのだ。
 心が血を流すなら、俺の手はもう、洗ってきれいになるような手ではないことくらい、自分でわかっている。
 だから、今回だって友達こさえて楽しい生活だなんて、望まないと決めていたのに、与えられると離れがたくなるのは人間の業だろうか。
 いくら考えても、小説のネタひとつ思いつきもしない上に、ひとりで生きていけない俺なんて、本当に存在している意味があると言えるのだろうか。
 不意に鎌首をもたげる、傷痕のような希死念慮。
 胃の入口がぎゅっと痛む。
 この部屋に刃物の類がほとんどないのも、思いっきり引っ張れば切れる紙ひもで段ボールを縛っているのも、俺がその気になれば大概のことはできる人間だからである。
 その気になれば、ありあわせの自殺ができるような環境を、なるべく整えないように、細心の注意を払っている。

 不意に、抱えたぬいぐるみとおなかの間でスマホが唸った。
 1時間のタイマーだ。
 俺は、1時間もこんな、考えたって今更どうにもしようのないことを考えていたらしい。洗濯物を干しもせず、洗い物もせず、なんとまあ贅沢な時間の使い方をしたことか。
 食欲は見事に消え失せたが、一度始めた料理だ。完成させて冷凍しても、鶏肉は恨まないだろう。
 鍋の蓋を開ける。
 加熱されたトマトの、甘い香りだ。
 乾いていた口の中に唾が湧く。
 コンビニでもらった箸を開けて、鶏肉をひとつつまんでみる。
「あっつ」
 ただでさえ味なんぞわかるかい、という熱々の鶏肉を猫舌が頬張ったのだから、至極当然の感想である。
「ベロ火傷した……」
 今度は注意深く冷ましてから、鶏肉を口に入れる。
 これで味気ない肉塊ならば、生傷の希死で、一族に大切に育てられた俺を害する覚悟もできるものだが、これが美味しいのだから仕方ない。
 この材料でまずいものを作る方が難しいとは言えども、目分量に目分量を重ねて、自分好みの範疇の味を錬成できる程度の経験値を積ませてもらった上に、人権停止月間と2週間の虚無生活直後に、五感がそのことをちゃんと感知できる程度の水準で運転できる身体である。
 軽々に手を出せる代物じゃない。

 蓋を開けて火を強め、ぐつぐつと煮立たせる。
 簡単に崩れるまで軟らかくなった肉をつまみ食いしつつ、ワンパンパスタよろしくマカロニを直接投入である。
 マカロニが食べられる軟らかさになったら、もう火からおろしてしまう。
 早ゆでということは、すぐでろでろに伸びてしまうということでもある。
 茶碗代わりのどんぶりに、えいやっと盛り付ける。
 本当はチーズを乗せたかったのだが、とろけるチーズの賞味期限は10月であった。さすがにそれはちょっとあれである。
 ひと口しかないコンロが空いたら、今度はフライパンで食パンを焼く。
 鍋に残った分や、どんぶりにつく分もお皿のパンしてきれいに食べてしまおうというわけである。

「とりあえず、飯だ飯」
 どうせ俺は一生、生傷だらけ傷痕だらけのこの心と付き合っていかなくてはいけないのだ。
 だったら、これから痛みや傷になる夢も、悔いのなくなるまで大切にしてやろうじゃないか。
「明日、先生たちにどう言い訳するかなあ……」
 単位に関してはちょっと、火急でどうにかしないといけないけど。

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