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【全文】音楽にとって良い仕組み=著作権制度とは言い切れない? 増田聡さん

表現活動やものづくりにおける知財・知財権について学ぶ、その1歩手前から考えるフリーペーパー「ちまたのちざい」。特集記事「知財の実践Q&A」では、専門分野の現場で活動する4名の識者に、知財・知財権に関わるようになったきっかけや取り組み、可能性についてお聞きしました。

特集記事では、紙数の都合上、ご執筆いただいた文章の一部をダイジェストでお伝えしました。しかし、お伝えしきれなかった文章のなかにも、知財・知財権の学びにつながるたくさん重要な内容が含まれており...。そこで執筆者の許諾を得て、ここに全文を掲載させていただくことにしました。

本日お伝えするのは、大阪市立大学大学院文学研究科教授で、音楽学・メディア論がご専門の増田聡さんのご論稿で、以下その全文です。

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(1)知財/知財権について、ご自身が関わるようになった/考え始めたきっかけを教えてください

中学生の頃、パソコンでゲームプログラムを作り、雑誌に投稿することに熱中していました。BGMで既存の曲を使おうとしていた時、著作権というものがあることを知り、それに抵触しないかどうかを調べ始めたことが著作権を気にするようになったきっかけです。何から調べれば良いか分からなかったので、中学校の図書館にあった六法全書を借りてきて読むところから始めました(当時はインターネットのような便利なものはなかったのです)。難解な法文は当然のことながら中学生の理解が及ぶものではなかったのですが、著作権の英訳が”copyright”であることに(英語を習い始めた中学生として)強い印象を受けたことをよく覚えています。「著作権」という日本語にコピーという意味はないのになぜ英語ではcopyrightなのだろう、という疑問はずっと頭に残っており、それがのちに大学で音楽著作権について研究することにつながったように思います。

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(2)音楽制作・音楽鑑賞の現場において、知財および知財権を知る/学ぶ重要性をどのように考えていますか

音楽著作権制度は異なる理念と目的が同居する複雑な制度です。著作権法を守ることと、「作者の権利を守る」ことは必ずしもイコールではないことにこの制度の難しさがあります。そもそもコピーライト制度が18世紀のイギリスで誕生したとき、それが念頭に置いていた保護対象は著者の利益というよりも、書物を商品として刊行する出版者の経済的利益の方でした。その後、フランス革命後に「作者の権利」としての著作権という考え方がヨーロッパで有力になり、近代化を進めていた明治政府が、必ずしも日本の文化意識の実情とはフィットしないにもかかわらずそれを(直輸入に近いかたちで)導入したことによって日本の著作権制度は始まります(そもそも「著作物」という日本語からして、そのとき急拵えで造語された人工的な概念です)。そのような経緯をふまえ、著作権制度が守るものと、音楽や文化の実践において守られるべき価値は必ずしも常に一致するものではない、という認識を持っておくことが重要と考えます。

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(3)項目(2)を実感したエピソードについて教えてください

エピソードとして特筆すべきことは特にないのですが、著作権の制度史や関連する思想史を勉強していくうちに、中学生のときに疑問に感じた”copyright”と著作権の「意味の違い」がだんだんわかってきました。著作権とは「(著)作者の権利」を縮めて明治期に造語された言葉なのですが、コピーライトとは文字通り「複製の権利」を意味します。文化的制作物が複製されることによって生じる利益を保持できるのは「コピーライト」を持っている人ですが、それは必ずしも「(著)作者」であるとは限りません。著作権とコピーライトは実質的に「ほぼ同じもの」として法的には機能しているのですが、そのことは「作者の権利」という美名の元に「複製の権利」がときには作者を搾取するようなかたちで振り回される可能性があることを意味します。ポピュラー音楽産業の歴史を眺めると、アーティストの意に沿わないかたちで勝手に曲をリリースされたり、あるいは音楽が売れても全く本人にお金が入ってこないといった事例が多々見られますが、これらは「コピーライト」がしばしば音楽産業がアーティストから音楽を奪うための法的手段として機能する事実を示しています。

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(4)音楽制作・音楽鑑賞の現場における知財/知財権の活用について、どのような可能性を感じていますか

音楽著作権に関する知識は、しばしば産業における著作権契約慣行の知識と等しいものと考えられがちです。そこでは「著作権を守る」ことは絶対の正義となり、疑われることがありません。そして細々とした具体的な著作権に関する実務知識や、「こうしたらまずいこと」のトリヴィアル(=些末)な知識を多く知っていることが「著作権に詳しい」こととみなされます。私はそのような個別具体的な知識よりも、それらがどのような原理的な基盤によって成り立っているかを知っておくことの方が重要であると考えます。なぜなら現在ある著作権に関する産業内での慣行は、事件や判例によって覆されることがしばしばであるからです。さらに言えば、これらのトリヴィアルな知識は「音楽産業にとって都合の良い仕組み」を維持することに貢献するのですが、「音楽にとって都合の良い仕組み」とは必ずしも一致しないからです。

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(5)音楽著作権に限らず、大学教育の中で知的財産権について扱う際、どのような部分に重点を置いていますか

私は音楽大学で著作権を主題にした講義を行っているほか、より広く「作者性と作品概念」に関する美学的テーマを授業で論じています。授業のレポート課題として「完全パクリレポート」というものを学期末に課することがよくあります。「与えられた主題について、自分の言葉ではなく、ネットや新聞や書物などの『他人が書いた既存の文章』をコピーペーストして論じよ」という課題で、ヒップホップのサンプリングから発想したものです。
われわれが用いる言葉は全て「他人から学んだ言葉」であるにもかかわらず、そこに「オリジナリティ」がある、とされるのはどのようなメカニズムに拠っているのか、ということについて、具体的な作業によって学生に考えて欲しいのです。「知的財産」の基盤にはオリジナリティがある、とよく言われますが、ではそれが具体的な表現のどの水準でどのようなかたちで発露するのか、について根本的に考えられることはあまりありません(制度がそれを担保していると思っており、自分の頭で考えていないのです)。私が大学教育の中で学生に考えさせたいのは知的財産制度についてではなく、知的財産と呼ばれるものが依拠する「原理」についてです。

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増田聡

増田 聡/大阪市立大学大学院文学研究科教授(音楽学・メディア論)
1971年北九州市生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。著書に『その音楽の〈作者〉とは誰か:リミックス・産業・著作権』(みすず書房)、『聴衆をつくる:音楽批評の解体文法』(青土社)などがある。

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