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自信のなさが映す世界

恥ずかしかった話。

おしゃれで元某大手企業にお勤めで、とても素敵な方とお知り合いになるチャンスがあり、お食事に行かせていただいた。

わたしはだいぶ緊張していた。相手の人も、一緒にいるもう一人もすごく和やかなのにわたしは勝手に緊張した。その理由は、その素敵な人の遍歴や持ちものなどの外見に影響されてのものだった。

その時わたしは非常に自分に自信を無くしていた時期で、どうしたら自分に自信が持てるようになるか、自分の今後の働き方などに悩んでいた。わたしは勝手に、その人からすごい下に見られているような気がしてしまった。その人を一生懸命見るけれど正直いてもたってもいられなかった。

会う機会を増やして自然に仲良くできたらという思いと、向き合うのがつらすぎるという思いが、交差してぐるぐるしていた。どちらかと言えば逃げ出したい気持ちの方が優っていた。自分でもこの感情の意味がよくわかっていなかった。美味しかったはずの食事の味も苦い思いしかのこっていない。

「またご飯にいきましょう」

そう気さくに声をかけてくれてから数年がたった。わたしは独立するタイミングにあった。久々にお会いすることになった。今度は二人で会った。

食事をしていると、その素敵な人がこれまでどのようにここまできたのかという話が始まった。わたしが想像していたものと全く違うお話が繰り広げられた。

家が裕福でなかったこと。どうやって大企業に入ったか、入ってからの苦労。やめてからどうやってここまできたかなど。

わたしはびっくりした。勝手に某大手企業の人はみんなエリートだから、自信満々でわたしのようなヤツは見下しているだろうと思い込んでいたことに。

わたしよりも苦労して生きてこられて、それでも真っ直ぐにここまできたんだろうなという想像ができた。その結果がその人の仕事のセンスと外見の素晴らしさに表れていたんだと。過去にわたしが抱いた感情が一気にひっくり返って、急に戸惑ってしまった。

結局わたしは自分への自信のなさから、非常に偏った思い込みをしたし、そこまで自分を下にみる必要もなかったはずなのに、勝手に苦しくなっていた。

嬉しさと恥ずかしさがミックスジュースになってもう何味かわからない。

劣等感という感情がいかに自分自身のマインドを乱すか、そして外見だけで人を判断することの愚かさを知った。

自分の目に映る景色は、リアルに自分の心を映す。
どんな人に会っても自分は自分と思えるように、素敵な人と会っても過剰に謙ることなくいつでも自然体でいられるようにいたい。

終わり

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