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わたしを育ててくれた雑誌

デザイナーになって1〜2年で担当になったFIGARO。
アルバイトの時からずっと楽しみに見てきた雑誌。
とにかくデザインが大好きだった。
当時ADだった山下さんはPenの初代ADでもあり、わたしは山下さんのディレクションがとても好きだった。
毎号ワクワクしながらページをめくった。
そんな媒体のデザイナーになれた。本当についている。

最初にやらせてもらったのは巻頭の連載ページで、
切り抜かれたバックやアクセサリーや洋服、あとは新しいアドレス(お店)の紹介などを盛り込んだページ。
わたしは全然レイアウトができなかった。
たった1〜2ページを終えるのに2〜3日みっちりかかった。
先輩デザイナーさんに見てもらって何度もやり直しをする。何十パターン作ってもうまくいかない。
休日には家にプリントしたものを持って帰って、ベットの上に何枚も並べてどれが1番いいのか一人頭を抱えていたのが懐かしい。

それからなんと12〜13年ほどもの長い期間デザインチームの一員として働かせてもらった。
これ以上ないほどいろいろ学ばせていただいて、わたしの基礎はFIGAROでできているといっても過言ではなく、どの仕事にも応用できるだけの経験をさせてもらった。

FIGAROはファッション、旅、食、美容、カルチャーと幅広く網羅されていて、
この媒体のおかげでいろんな筋肉がついた。とにかく写真が美しいし、ファッションも美容もハイセンスで。こんないい環境で働かせてもらえたのは本当に贅沢なこと。

特に思い入れがあるのは占い特集で、担当の青木さんと一緒にたくさんいろんなページを作ってきた。
袋とじで有名な石井ゆかりさんの初登場の時は第1特集が占いで、たしか3本だてのトップバッターが石井さんだった。
その時わたしは初めて占いのレイアウトをやらせてもらって。その時のことを今でも思い出せる。
数年経ってまさか別冊で石井ゆかりMOOKのメインでやらせてもらえるくらいにまでなって。人生はわからないものだ。


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わたしは本当に何もできなかったし、何もわからなかった。
見出しも本文もキャプションもわからなかったし、リードもキャッチもわからなかった。デザインのデの字もわからなくて、皆さんにたくさんお世話になってここまできたけれど、なんで一冊丸々作れるようにまでなれたかって、とにかくひたすらに続けたこと。ただそれだけ。
楽しくて楽しくてずっと続けたこと。
もうそれしかない。

何もできない自分を丸ごと受け入れて、
恥ずかしい思いも、無能で情けない思いも、全てを抱えて向かうこと。
多分これからもその繰り返し。

これからもこんな大きな経験あるだろうか。
また新たにやりたいことが出てきたら、同じようにただひたすら向かっていこう。
20代〜30代のようにはいかないかもしれないけど、まだまだ。継続すれば必ず何かが見えると信じていこう。

おわり

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