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2020年度グッドデザイン賞 キックオフ・セミナー[書き起こし]

先日オンライン・セミナー形式で行われた、グッドデザイン賞正副審査委員長による「キックオフ・セミナー」の書き起こしをまとめました。
当日の録画はYouTubeでもご覧いただけますが、テキストのほうが見やすい方のために、少々長文ではありますが、(ほぼ)全文書き起こしをこちらで公開します。

【2020年度グッドデザイン賞 キックオフ・セミナー】
日時 2020年4月15日(水)16:00〜17:30
パネリスト 安次富 隆 氏(2020年度グッドデザイン賞審査委員長)、齋藤 精一氏(2020年度グッドデザイン賞審査副委員長)
ファシリテーター 田川 欣哉 氏(Takram代表取締役/ロイヤル・カレッジ・オブ・アート 名誉フェロー/日本デザイン振興会理事)

デザインを取り巻く大きな状況の変化にどう対応していくのか

田川 それではよろしくおねがいします。今回、新型コロナ・ウイルスの影響もあって、グッドデザイン賞初のオンライン・セミナーとなりました。多くのクリエイターやデザイナーの皆さんも、いろんなSNSなどを通じて、今起こっている社会変化をどういう風にとらえているかを発信されています。今は社会的距離を取るという時期ですが、これが次に行った時にどういう新しい形になるのかという議論もいろんなところで活発に始まっています。今日は時間もたっぷりあるので、大きく3つの話題で展開していきたいと思っています。

最初は、安次富さんと齋藤さんが、このコロナの影響と自分の身の回りの変化をどうに感じていらっしゃるかというところから始めていきたいと思います。その後、2020年のグッドデザイン賞では、正副委員長としてどんなところを期待をしているかというお話を真ん中の部分でやっていきたいと思っています。最後は、こういう大きな変化の時期ですから、デザインの果たす役割や新しいデザイナー像など、ちょっと未来に向けた議論もできたらと思っています。

ということで まず安次富さん、いかがでしょうか。グッドデザイン賞の公式ウェブサイト上にも「審査委員長メッセージ」があって、「この文章を書いている今も、新型コロナウィルスが世界で拡散し続けており、私たちを不安に陥れています。」ということも文章中で触れられていました。

安次富 まず一番最初に申し上げたいのは、すでに現時点で世界で多くの方がお亡くなりになっているということに対して心から追悼の意を表したいと思います。
審査委員長メッセージを書いている時はまだここまでの状況ではなかったんですが、日本にもひしひしと影響が及びつつあるときでした。この原始的なウイルスによって、世界が改めてグローバル化しているんだということを実感させられました。まず最初の1人から発生した疾病にも関わらず、もうすでにアマゾンの奥地まで感染が広がっているということは、人と人が接していく中で、そこまでモンスターは行っているということになります。
一方で、このことはメッセージにも書きましたが、コロナウイルスの問題を解決するためには、医学的なアプローチがまず必要なのですが、現在のところ明確な科学的根拠に基づく予防法や治療法が見つかっていません。それともう一つは、ウイルスがグローバルであるのに対して、我々人類はローカル化で対応しようとしていうところが非常に気になっているところです。感染予防という観点から、ローカル化してしまうのは仕方がないことではあるのですが。

田川 ありがとうございます。齋藤さんはいかがですか。

齋藤 僕もメッセージを書いたときには、ここまでの状況になるとは思ってもみなかったので、今こういう状況でトークをするというのも、グッドデザイン賞として非常に予測したがいことでした。オリンピック・パラリンピックも来年に延期になり、万博など文化イベントや、美術館なども自粛しているという状況で、デザイン、アート、クリエイションなどの業界に対して、たくさんの課題が与えられてるなということを、今、僕自身もひしひしと感じています。
多くの人が非常に困惑し、不安を抱いている中で、グッドデザイン賞として今年だからこそ何を言うべきなのか、グッドデザイン賞のあり方とはなんだろうというのを、これからもっと深く考えていきたいです。デザインとして今なにをやるべきなのか、デザインを使う人・生活・社会とはなんなのかということを、もう一度再定義しなければいけない時が来ているのかなと思っています。
ライゾマティクスという僕たちの会社でも、モノを作れたりいろんな人を繋ぐことができる業種なので、オンラインでイベントやってみたり、たとえば今、美術館はどこも閉館しているので、今だからこそできるような美術館の新しい表現方法はなにか、といったことをオンラインでディスカッションしています。
このセミナーをご覧になっている方も、具体的になにをやればいいのかわからないという方も多いと思います。今は社会に対して即時性のあるデザインが求められていると思うので、一体なにをすればいいのか、ということを一つのプラットフォームとして今年のグッドデザイン賞を通して見つけていければいいなと思っています。今日のディスカッションの中でもアクションの話になるかもしれないですが、「なにができるだろうと」ということを悶々と毎日考えている状態です。

「交感」という言葉に込めた意味とは

田川 ありがとうございます。そういう意味では、今回グッドデザイン賞にエントリーされる方も、審査委員もかなり人数が多いですから、相当多くの議論が出てくるかなと思います。
ウェブサイトに安次富さんと齋藤さんからの2020年度グッドデザイン賞のテーマについてのメッセージが掲載されています。これはぜひ皆さんにもご覧になっていただければと思いますが、この中で書かれていることで、いくつか重要なキーワードがあります。まず、「交感」という言葉が、安次富さんのメッセージの中にも齋藤さんのメッセージの中にも入っています。グッドデザイン賞は毎年こういう風にキーワードを定めて、審査のベクトルを示していくのですが、一昨年は「美しさ」、去年は「共振」といキーワードでした。そして今年は「交感」という言葉です。今日はこの「交感」という言葉にどういう意味を込められたのかを聞いていきたいと思っています。
メッセージを読んでいくと、「交感」という言葉をいろんな表現で捉えてらっしゃることがわかるのですが、改めてこの言葉をキーワードにしようと思ったところについて、解説をしていただけますでしょうか。

安次富 「交感」というキーワードが出るまでには、齋藤さんとかなり長い時間をかけて議論をしました。私が今年度から審査委員長を務めるにあたって考えていたことは、一昨年の「美しさ」、去年の「共振」に続くものとしてなにがあるかということでした。
「共振」という言葉は、ある良い面が人や社会、企業などに共振していくことを望んでいたわけですね。そこから進んで、次は何を「共振」するべきかという議論になり、その結果いろいろ出てきたんですが、シンパシーという英単語も挙がりました。これは日本語で言うところの「共感」です。それに対してエンパシーという言葉も出てきました。これも日本語にすると「共感」なんですが、実は英語的なニュアンスが少し違っていて、もう少し相手の身になって考えてみる、というのがエンパシーなんですね。そのエンパシーでもいいかなと思ったんですが、日本語で誰でも共感できるようなキーワードがないかな、ということでさらに議論を続けました。その過程で「相手の気持ちを慮る」「鑑みる」といったように、日本語には相手の気持ちになる言葉があるという話になりました。お互いに慮り合うとか、感じ合うとか、そういう言葉がないかなと考えたときに、初めて「交感」がいいじゃないかと行き着いたわけです。「交感」というのは、一般的には「交感神経」などで使われることが多いのですが、造語ではなく、もともと日本語にある言葉です。「お互い感じ合う」「お互いの感情を交わし合う」というような意味があり、それがデザインにとっては非常に重要なのではないか、と考えました。つまり、いくらいいデザインをしていても、そのデザインを享受する人や社会がそれを求めていなければ、一切作用しないわけですよね。ですので、デザインには相手の気持ちになって考えてみるということが必要ですし、デザインを享受する側も作った人の気持ちを感じ取るというように、ただそこにモノや仕組みがあって、それをただ一方的に与えられるまま受け入れるだけではなく、そこでお互いの感情を交わし合うという双方向性が必要だ、というふうに考えて、「交感」に落ち着きました。

田川 「感」が「交わる」ということですね。齋藤さんもメッセージの中で齋藤さんなりの解釈を書いてらっしゃいますが、いかがですか。

齋藤 僕は昨年、一昨年と、柴田文江審査委員長のもとで副委員長を務めました。一年目は「美しさ」、昨年は「共振」をキーワードとしましたが、「共振」というのは、今まで交わることがなかった領域や業界が一緒になり、社会に対して新しいサービスやプロダクトをデザインしていくということを期待していました。たとえば昨年のグッドデザイン大賞になった富士フイルムさんの「結核迅速診断キット」は、富士フイルムさんの社内の様々な部署が共振したからこそでてきたものでした。

齋藤 メッセージ中でも書いたのですが、従来の意味でのデザインだけではなく、都市開発や社会システムなど、いろんなものがシステムそのもののデザインやテクノロジーの進化に注力して、「人」の存在を忘れていた時代が長かったような気がしていました。
僕なりの考え方なのですが、グッドデザイン賞というのは、創る側と使う側の消費者の両者が、毎回ちゃんと歯車が噛み合っている状態を「グッドデザイン」と捉えて、それを探している賞であり、プラットフォームだと思っています。
今回、安次富さんと議論していく中で、「交感」ってすごく人間臭い言葉で、本当に今年のテーマに合うと思ったんですね。業界や領域の越境だけではなく、本当に社会に必要なコト・消費者に必要なモノ、それが身の回りに連続すれば、最終的には世界をより良くするものが生まれるような気がしていて、それを全部集約した言葉として「交感」が今年のテーマを言い当てているのかなと思います。
ディスカッションの最初のほうは新型コロナウイルスの状況が広がる前で、ずっとシンパシーとエンパシーの話をしていました。そのうちにだんだんこの状況が広がり、結果論にはなりますが、一層「交感」に込められた思いというか、この言葉の強さが出る状況になったなと思います。
デザインとしてはまだまだ成長しなきゃいけないところ、社会インフラとしても実装していかなければいけないことがたくさんあると思うので、今年はもう一つ踏み込んだ新しい価値を見出していこうという中で、「交感」をキーワードにしたいと思っています。
交わる「感動」だったり「感情」だったり「感性」だったり、それを越境してみんなで世の中のためになにが必要なのかということを考えてデザインしたものを、グッドデザイン賞としては見つけていきたいなと思っています。

オーバークロスするプラットフォームとしてのグッドデザイン賞

田川 ありがとうございます。今、環境の方もすごくスピード感がありますが、お二人の理解も進化しているのかなと思いました。ユーザー側のいろんなことを慮るとか、ユーザーに憑依するくらいの共感レベルでデザインしよう、みたいな話は、UXや体験デザインの話ではよく出てくるキーワードです。エンパシーもデザイン思考的な標準プロセスの一部だと思うのですが、その言葉ではなくて「交感」という言葉をわざわざ当てたところに意味を感じました。
モノを使う人と、モノをデザインする人たちが、いかにインタラクションして、やりとりしながら、噛み合って新しいものを作っていくかという、その場面や状況設定が今、非常に大事ですとおっしゃったことは、オープン・イノベーションや領域越境型の開発のもう少し先の話しかなと思うんですよね。
なぜかというと、去年までは経済的にも環境的にも今に比べれば安定していたけれど、今はガラガラポンというか、状況が一回リセットされているので、特定の人がちょっと越境してなにか作るということではなくて、全方位的に、みんなが今どういう状況で、なにに困っていて、自分がなにができてということを、いつもよりやりとりを相当高めないとモノづくりが成立しないよね、という話をされてるのかなと思いました。
この新型コロナがある環境で、そもそも「作る」とか「デザインする」ということは、使う人との関係や、やりとりの作法というか、そういうところまで踏み込んだようなことをメッセージされてるのかなと思ったんですが、いかがですか。

安次富 まったくおっしゃるとおりだと思います。僕は20年くらいグッドデザイン賞の審査に関わっていますが、グッドデザイン賞のいい点の一つは、どんどん拡大していて、モノだけじゃなくていろんな領域の、建築から仕組みからサービスまで様々なものが審査対象になり、いろんな領域のデザインが一同に会してくることだと思っています。
通常、デザインの仕事をしていると、どうしても競争相手を意識して、同じ領域の相手を見ている場合が多いんですね。ところがグッドデザイン賞だと、そこで多分野が一同に同居するので、横を見ることができる。そこが一つは「交感」というか、オーバークロスできる場になっている。それが齋藤さんもさっきおっしゃった「プラットフォーム」として、今のコロナの状況でも有効に機能するのではないか?というのが僕の考えです。
これまでも「プラットフォーム」という点は重要だったんだけれども、どうしてもグッドデザイン賞を取るか取らないか、というところにフォーカスされがちで、それももちろん大事なんだけれども、それよりもむしろ多分野の横を見ることの重要性もあるんですね。たとえばもし自分たちが家電メーカーだったなら、異分野の建築は今なにをやっているか、なにを考えているのかを見ることができる、というのがすごく重要で、その機能をもっと強化していくときにこの「交感」という言葉は、かなり強いメッセージ性をもって機能するのかなと思っています。

齋藤 僕はグッドデザイン賞に関わらせていただいて6年くらいなんですが、その中でも様々な変遷がありました。今の時代は「人新世(アントロポセン)」という新しい地層が始まったと言われていて、メッセージの中でもこのことを少し書きました。プラネタリー・バウンダリーという、地球は限界を迎えているという考え方がありますが、実際に気候をみても、北極で気温が20度になったり、海洋生物の分布が大きく変わったりしています。自然破壊や環境の話に応じて新しいエネルギーの話などもありますが、今まで使っていた方程式を一回捨てて、新しいものを作り直さなければいけないというところに来ており、プラットフォームの仕組みそのものをもう一度デザインし直す時代に来てる気がしています。
グッドデザイン賞は、仕組みのことから、有形物から無形物、ものすごく小さなものから海外のものまでたくさん扱っているので、参加すると毎年のデザイン業界の大きな「うねり」が分かります。しかしもう一度、イチから「うねり」を作り直すというくらいのことを今、やらなければいけないのかなと感じます。ポスト・コロナの話をするのはまだ早いけれど、そのときにもう一度今起きていることを、それに対応する能力をちゃんと兼ね備えた上で、産業なりモノづくりなり、全体をデザインする人の哲学なりを変えていかなければいけないのかなと思ってます。
安次富さんもおっしゃったように、いろいろなモノを作れる人が一同に会しているのがグッドデザイン賞のいいところで、賞としては、ここから作品を選んでいき、最終的に賞がついていくということなんですが、それで今年のこれからの方向性が見えてくるのではないかと思います。今年のグッドデザイン賞に関しては、こういう社会情勢だからこそやっていかないといけないのかなと思います。

「越境」することで、社会に対してなにが提案できるのか

田川 今年応募されてくるものは、すでに商標化されたものや、ある程度の実施に至っているものがエントリーされるはずなので、ウイルスに直接対応したものはこれからの話になると思います。去年のおさらいですが、グッドデザイン賞大賞を受賞した富士フイルムの「結核迅速診断キット」は、僕も素晴らしいものだなと思いました。もともと同社が持っていた技術力と、社会課題を解決するというデザインの力が本当にうまく調和した素晴らしいものでした。たとえばこういうのものが、今のコロナの状況が起こる前に、実は去年のグッドデザイン大賞だったんですね。このときはまだウイルスの状況も全然なかったころなので、グッドデザイン賞がちょっと予言的だったのかなと思ったんですね。結核という肺の病気の検査キットを審査委員たちがなぜ2019年に選んだのかというところ、なにか世の中に漂っているいろいろな情報を、デザイナーたちのある感性でキャッチしてきて選んだわけですよね。今日のようなコロナに重心があるような話だったとしても、今年2020年の審査で最終的に選ばれてくるものの中には、予言的なものはかなり混じってくるのかなとちょっと期待するところもあるなと思いました。

安次富 一つ大事なことは、こういう話をしていると、新型ウイルスの状況やSDGsなどの世界的な問題に対応したものでないと応募対象になりえないのかと思われるかもしれませんが、まったくそんなことはありません。たとえば掃除機を作っている会社のダイソンが、いま人工呼吸器を急遽作っています。「交感」や「横を見る」ことによって、どこで誰が繋がるかわからない世の中です。たとえばエンターテイメントみたいな楽しみを作っている会社であっても、それが急遽別のことをやり始めることも可能なわけで、むしろそういうところをお互いが見合って、「これできるんじゃない?」というようなことが起こるということを、グッドデザイン賞では期待したいなと思っています。

齋藤 「結核迅速診断キット」は、デザイナーやデザイン部を持つ企業が「越境」することで、社会に対してなにが提案できるのか、それが最終的にどうビジネスになるのか、ということを実現した例だと思いました。たとえばダイソンの事例や、アップルとグーグルが一緒に組んだプロジェクト、日本でもCode for Japanが頑張っていますが、こういった取り組みは、すぐにスイッチを入れることができたのではないかと思います。
ですがそれは簡単そうに見えて、実はそのスイッチを見つけるのも大変で、一回もスイッチをオンにしたことがないと、なかなかオンにならないし、押す勇気もなかなか出ない。しかし今こういう状況になって、そのスイッチを押さないと自分たちのビジネスや企業体自体も危うい状況になるという中で、積極的に社内や社外で違う分野と「交感」して、スイッチを押したプロダクトやデザインは今年多いのではないかなと思います。それがきちんと評価されるということは社会的にも非常に大事だし、長い歴史のあるグッドデザイン賞としても重要なことなので、しっかりやっていきたいと思っています。
SDGsなど社会課題をしっかり考えてデザインしているかどうか、というのはすでに基本であって、それプラスアルファ、世の中に対して使う人と作る人がちゃんと交感できているということ、それを実現している取り組みはたくさんあるはずなので、今年はぜひそういったものをエントリーしていただきたいですね。我々のほうも新しいスタンダードが見つけられるといいなと思います。

次のニュー・ノーマル、次の時代を大きく牽引するようなデザインとは

田川 「交感」については、今のお二人のお話で、お聞きの皆さんもだいぶ理解が深まったのではないかと思います。一昨年は「美しさ」というキーワードがありましたが、エステティクスの部分や、たとえば素材の使い方など、いわゆるクラフトやエグゼキューションのクオリティ、この部分を審査上どのように捉えるかというのは、エントリーする方たちもとても気になる部分だと思います。
今年のメッセージの中には、とくに美しさに対する言及はありませんが、「美しさ」から「共振」、「共振」から「交感」ということで、その文脈は引き継いでいますという言葉は齋藤さんからもお話がありましたので、当然考えの中に持っていらっしゃると思いますが、その点についてどのように考えているか、お聞かせいただけますか。

安次富 「美しさ」は、非常に感性に関わる問題なので、論理的にこういうものが美しいということはなかなか言いづらいものだと思います。それに対して「共振」というのは、なにに対して共振しているのか論理的に説明がつく、と考えています。
「美しさ」の部分に関して、もちろん継続するんですが、そこは言葉で議論できない部分で、たとえば同じ服でも年配の方が素敵だなと思う服と、若い人が素敵だなと思う服は感じ方が違うし、そうやって個人差があるものもあれば、夕焼けをみて美しいと感じるのはわりと普遍的であったり、非常に幅が広いので、議論の対象としてではなくて、ある程度みんなが「そうだね、美しいね」と言えるような、やんわりとしたところで僕は捉えています。
それがなくて、すべて論理的に「いいね」「悪いね」と言うだけだと、ギスギスしたものになってしまいます。デザインというのは単純に技術や科学だけではない、もう少し感性に訴えるものが必要なので、そこは「これは美しいんだ」という決めつけではない、ちょっとバッファというか遊びの部分を作っていく上で、非常に重要なキーワードではないかと捉えています。

齋藤 「美しさ」をキーワードにした2年前は、当時の柴田委員長とも話して、ちょっと恥ずかしいけども改めて「美しさ」と言おう、となりました。「美しさ」は確かに感性の話なのですが、応募対象の中には、「取り組みはいいんだけど、表層の美しさが惜しい」「表層はいいけど、仕組みが惜しい」というものが結構あり、そのスタンダードを引きあげたくて、あえて「美しさ」を使いました。
昨年も深く議論になりましたが、たとえば「エコ」という一言をとっても、審査委員の中で様々な捉え方がありました。ペットボトルのPETの素材を使っていたらそれはエコなのか?もしかして海外ではスタンダードとしてエコかもしれないけど、日本の中ではもっと進んだものがある、といった議論がありました。そこの判断というのは、オプションが多くて、長所もあるけれど短所もある、という話になります。どこが主流になるべきなのか、どれが正解なのかは毎回議論になります。
安次富さんと今年最後にお会いしたのは2ヶ月前くらいだと思うので、それ以降さらなる議論はできていないのですが、専門的な知識を持った方々によるチームを作って、全体のオブザーブをしてもらうようにしたいですねと話していました。審査委員にも各分野に精通している方や専門知識のある方は多いのですが、もっと専門的・学術的な視点からみて、どういう風に考えていくかというのを今年はもう一段深めて、プラットフォームの中に実装できたらなと思っています。

田川 僕がなぜこの質問をわざわざしたかというと、マズローの5段階欲求の話でいうところの一番基礎の部分、生理的欲求や安全欲求がこんなにも表立ってくる今の状況は、世界的に久しぶりだと思うんですね。これらの欲求のあとに、上のレベルの高い欲求、社会欲求だったり文化やアートの話が出てくるのですが、今の社会の中だと一方でこれら文化やアートの危機が出てきています。音楽やアートなどの文化的なことは、放っておくと枯れてしまいかねないという状況がある中で、デザインは成り立ちの歴史の中から、文化的な話と経済の話というのがたまたまクロスオーバーしているところだと思います。今回の審査の中で、どちらかというと不要不急というカテゴリーに入ってしまうようなものでさえも、「交感」というところで非常に深いレベルのものがあったときに、そういうことも評価の中に入ってほしいな、と思って聞いてみました。

齋藤 それは入るべきですよね。そういう意味では、僕も審査委員の皆さんも今だから気づくことは多くあると思います。クライテリアが自然と、しかし強制的に変わったし、明確化され拡張されたと思うので、そういう視点で今回も応募対象を見ることができるといいですね。

田川 欲を言えば、そういう再定義にあたるような、メインストリームではないオルタナティブなもの、すばらしい完成度で「こんな手があったのか!」みたいなものが出てきて、それが次のニュー・ノーマル、次の時代を大きくを牽引するようなものがあるといいですね。
前提が変わるからこそ、面白いなと思ったことがありました。アメリカで、ドアノブを直接手で触るとそこが感染経路になってしまうかもしれないから、素手で握るなと、肘で押せという話があって。当然ドアノブというのは肘で押すようにできていないので、そこにメイカーズ・コミュニティが、肘で開けやすいようなアタッチメントを作って、オープン・ソースで公開する、という動きが話題になりました。
ドアノブという人工物は、歴史的には設計・デザイン的には完了していたけれど、もう一回作り直さなくてはいけない状況になって、考えてもみなかったようなデザイン・アプローチが生まれたり、ドアノブの美しさの表現の仕方にもいったん余白ができたんだと思います。僕らが見たことがない形状や設えが、今年はわからないけど、来年になるとかなり出てくるのかなと思いました。まだそういうことを希望的に話せるような社会環境ではないですが、そういうものも出てくるかもしれないですね。

「交感」と「装置」

安次富 「交感」とセットで出してるキーワードとして「装置」という言葉があります。「装置」というのは、そのもの自体が人や社会に影響を及ぼし、作用するものという意味です。装置の具体的な形としては、道具や製品、あるいはその仕組みやシステムだったりと、形はいろいろあると思うんですね。それと「交感」がセットになることで、初めて人や社会の役に立つと思っています。たとえば法律みたいなものも装置の一つとして機能するわけです。
今のドアノブの事例でいうと、今までのドアノブは手で握って回すという作法だったものが、ある時期から肘で開け閉めするという作法に変わったとたんに、装置そのもののデザインが変わっていくという可能性もある。逆の例もあって、たとえば携帯電話が今みたいに普及すると、日常でなくてはならないものになってしまい、それが生活を大きく変えたという例があります。今こうやって遠隔で鼎談できるのも、一つの装置が変わったからで、こういうミーティングは昔はできなかったわけですね。
そういう意味では、デザインというものの持っている可能性はものすごくあって、これから大きな変革の時期で、おそらくいろんな「こんなやり方があったのか!」というのが続々と出てくるのではないかと思っています。

齋藤 僕も先ほど「今までの方程式がきかなくなる」という話をしましたが、たとえばドアノブもそうですし、自動車メーカーが車を作るというカテゴリーを超えて街を作ることになったり、消費家電メーカーが車を作ることになるなど、自分たちが作れるものや自分たちのカテゴリーというのが、本当に変化してきています。デザイン全体のクライテリアが変わっているなと感じます。
それによって今まで解決できなかったものが解決できるかもしれないし、今まで自社内や業界内で一方向からしか見えてなかったことが、違う方向から違うノウハウを持っている企業・団体とともに解決策を見出すということが多く起こってくるのではないでしょうか。今までであれば、マーケティング調査をして、それに対して商品を出していくいう風にやっていたと思うのですが、おそらくそういう漠然とした消費者像というのではなく、もう少しデータを取るなり、会話をするなり、違うプロトコルを持って新しいものを作っていく方法が出てくる気がしています。今までも、もう一回根底からデザインし直すという兆候はありましたが、今の新型コロナウイルスの状況下でより多くなってくるのかなと思います。そこに期待したいです。

安次富 別の事例でいうと今、マスクの問題がありますよね。私がメッセージを書いたときは、ちょうどマスクの争奪戦をしていて非常に悲しい思いをしていたのですが、そのときに私が注目したのが、学生でも一般の人でも、どんどん自作のマスクを作り方をアップしたり、バンダナみたいなものを代用して縫わなくても誰でもマスク作れますよ、と言ってさかんにみんなやってるんですね。この動きを僕はとてもすばらしいと思っていて、みんなデザイナーではないですけど、「デザイン」してるんですよ。グッドデザイン賞はただ応募者だけが参加するのではなくて、秋に東京ミッドタウンで展示を行い、一般の人など大勢の方がいらっしゃいます。そういうときに、「交感」は応募者だけでなくて、学生や一般の方たちも、自分たちがやってきたこと、たとえばマスクの工夫といったものと、メーカーが資本やテクノロジーを投じてできたものとどう違うのか、たぶんそういう目で見ると思うんです。だからそこで起こりうることというのは、大きな意味でデザインというものが人々の注目を集める、という状態にはなっていると思います。みんなが見てるよ、という感じでしょうか。

「これが未来を作るかもしれない」という視点

田川 賞の今年のテーマを起点に、デザインが果たす役割のあたりに話が入ってきたので、ここから少しグッドデザイン賞から離れた話もできたらいいなと思うのですが、事前打合せの際に、お二人から盛んに、「チェンジ」「シフト」というお話がありました。その中で、安次富さんは教育の話をされてて、齋藤さんは今こそ哲学的なレベルまでもう一度深掘りしたほうがいいというお話をされていましたけれど、ぜひ聞いていらっしゃる方にもシェアできたらと思うので、お話いただけますか。

安次富 グッドデザイン賞自体はデザインした結果を見せあっているプラットフォームでもあると私は思っています。ですので、応募者や審査委員だけでなく、デザイナーあるいはデザインに興味がある学生たち、それから、デザイン学校は出てないけれどもデザイナーを目指しているような人たちが、実際のデザインの現場でどういう議論をしているのか、どういうものを作っているのか、どういうアウトプットしているのかを、グッドデザイン賞を通じて見ていくことができれば、教育という点で非常に貢献できるのではないか、と思っています。一般の人々だけではなく、これからデザインに関わろうとする若い人たちやデザインを目指している人たちに対しての教育効果をグッドデザイン賞が持てるだろうと思っています。たとえば今こうして話している議論も、ご覧になっている方々の中には学生さんもいらっしゃるかもしれない。そういうことをもっともっと広げていきたい。そして、まだなにかデザインを実践しているわけではない人たちの意見や評価にも耳を傾けたい、と思っています。

田川 今までだとこういうイベントもリアルな場所に100人くらいの方が参加されていましたが、首都圏以外に住んでいる方はリアルタイムで聞くのは難しいなどの格差があったと思います。逆にこうなると、日本だけではなく海外からもご覧になっていただくことも可能だし、これをきっかけにして交わりの場所を増やしていく、というように、頭を切り替えて設定していけるところはありますよね。

安次富 やっぱりピンチをチャンスに変えるというのが重要で、致し方なくこうやって遠隔のミーティングを行うのではなくて、これが未来を作るかもしれないという視点で、今やっていくときにどういう不具合があるのかというのを整理すると、次のステージにあがっていけるのではないかと思います。田川さんがおっしゃるとおりで、こういう鼎談が決してネガティブではなくて、地域や時間を選ばず見ることができるという新たな利点が生まれていて、今後はインタラクションも改善していければ、もっと変わっていくだろうと思います。

方程式を変えると、スタンダードも変わってくる

田川 齋藤さんは哲学について、さきほどキーワードもいくつか出されてましたが、そう思われた背景をお話いただけますか。

齋藤 この1年2年くらいは、よく第四次産業革命と言われたり、AIは第三次ブームというか初の実装フェーズに入ろうとしていて、産業が伸びていったり違う次元に行く流れがあります。しかし、そもそもそれは何のためなのか、自分たちの利益のためなのか、自分たちの満足のためなのか、新しいものへの探求のためなのか、といったときやはり絶対に忘れてはならないのは、それは社会のためであり、なにかをより良くするためであるということ、そこにもう一度立ち戻らないと大きな進歩は遂げられないような気がします。
たとえば昔ペストが流行して、そのあとに文化がもう一回花咲いてルネッサンスができたということがありました。SDGsも、リーマンショックの後に国連から提唱されたように、経済的に凹んだときに次になにか新しい文化や産業が生まれるという構造がある中で、もう一回ちゃんと考えたほうがいいと思います。
それは、本当に誰のためで、なにをしたらいいのか、それで世の中をよりよくするためには、どの方面から自分たちが作っているデザインによって実現できるのかというのを、もう一度考えてみるということです。哲学という答えのない道筋に入ると、気づいてないことにももう一度気づけたり、出会ってこなかったことに出会える機会がある気がしています。そういった意味では、根底から考え直すときに、一度全部フラットにして考えるのがあるべき姿だと僕は思います。方程式を変えると、スタンダードも変わってくるのではないでしょうか。
先ほどのドアノブの話もそうですが、そうなったときにしっかりデザインを志す人、デザインに従事している人たちが、その哲学をもってモノをつくっていくということが大事だと思います。メッセージをこめて、モノなり仕組みの中に入れていくということをしないと、すぐに流れてしまうような産業やトレンドができるような気がしており、それはデザインとして文化とし、あまりにも時間の無駄だと感じています。、定着させるためにも、哲学をもう一回考えながらモノをデザインしていくこと、存在を再定義していくことが必要だと思います。
その中で教育は絶対外せないと感じています。デザインを志す人たちが、今までと同じコピーを作ってもしょうがないですし、新しい社会のニーズがあれば新しいものをデザインしないといけない。グッドデザイン賞のようなプラットフォームを、今回のオンラインセミナーのようにいろんな方が参加できる方法を利用して、もしかしたら次からもう少しインタラクションを加えて、みんなで活用していけるようにできたら良いですね。今年の正解を、哲学を含めて見つけていけるといいと思います。ですから、専門家チームを編成しようという話の中で、もしかしたら哲学も含めて、最終的に今の事象、今年のデザインのうねりというものをまとめていった方がいいのかなという話もしていました。

「デザイナー」はこれからどのように進化していくのか

田川 たしかにそういう風に俯瞰で見られる専門家の方と壁打ちのようなディスカッションをやるというのは、今、意味があるでしょうね。
ここから数年間いろんなことが変わっていく中で、新しい常識や新しいノーマルが出てくるわけですが、「ノーマル」というのも僕らがもともと思ってたような、定常的で決め打ちというわけではなく、それさえも常に揺らいでいるような、ちょっと動的なバランスのような、そういうノーマルが求められるかもしれない。
こういうことを考えていく中で、デザインという領域が社会の中で果たすべき役割や、そこに関わるいろんなタイプのデザイナーが出てくるのではないでしょうか。「デザイナー」の輪郭自体も今回のことで再定義されたり、「あ、デザインってこんな新しいアプローチがあったのか」というような新しいことも出てくるのだろうと思います。
安次富さんと齋藤さんが、今日時点で思われる社会の中でのデザインやデザイナーの役割、たとえばテクノロジーやビジネスのプロフェッショナルな方がいらっしゃる中で、とくにデザインということをスキルや経験として持っている人たちが果たしうる役割を少しお聞きしたいです。ビフォー・アフターというくっきりした分割ができるかどうかわからないんですけど、デザイナーの姿がここからどういう風に進化していくのかなというあたり、お聞かせください。

安次富 たとえば「装置」について言えば、モノをつくる・仕組みを作るだけだったら、技術だけあればできてしまいます。ところが、それを人や社会に受け入れられるように実装させていくためには、どうしても人の気持を考えていける人がいなきゃいけなくて、そういうことができる人たちを「デザイナー」と呼んでいいのかなと僕は思っています。要するに、装置を作る能力と、交感する能力が両方ある人が「デザイナー」なのではないか。そうすると、ほぼなんでも、どんな分野にもデザイナーは存在するということになりえます。
だから、デザインというと、いまだに見栄えや見た目の良し悪しというところにフォーカスされがちですが、幅広い考え方をもって、どの分野にも接続していくのがデザインであるというところで、人々がものごとを考え始める時代に本格的に入っていくのかなと思っています。

齋藤 デザイナーの役割というのは、今回のテーマである「交感」、昨年のテーマである「共振」、それの指揮者になるようなひとたちかなと僕は思います。
たとえばグッドデザイン賞の審査委員が全員集まるときも、モビリティの人、仕組みの人、取り組みの人、プロダクトデザインの人と様々な領域の方がいます。しかし、業界で縦割りに分かれていると、なかなか領域を超えた分野の方とは交流がなかったり今回の言葉でいうと「交感」がありませんでした。
僕が副委員長を拝命した2年前からは特に心がけて、そこを解消するよう努めてきました。今では横のつながりも活発ですし、審査の中でわからないことがあれば他の分野の方たちに聞くということもやっています。たとえばシステムの分野にMaaSが応募されてきたけど、モビリティの人はどう思っているのか?地域デザインをやっている人はどう思っているのか?いろいろな人に聞きながら検証して、審査の精度を高めています。その様子をみていて思ったのは、デザイナー自身が「交感」して、いろんな分野に接続された「交感神経」になることも、デザインに携わる人たちの1つの大きな役割なのではないかということでした。
デザインに関わる人と一言でいっても、建築や取り組み、有形物・無形物、いろいろな分野や領域がありますし世界の様々な文化圏でプロダクト作ってる人、サービスを展開されてる人がいます。その人達が「デザイン」という一つの同じ言語を持っているので、それを繋いであげるとまちづくりの話や素材の話、人権の話、今の社会問題の話からすべてを踏まえた上でどうやって解決していくのか、というところで乗り越えられそうな気がするんですよね。

安次富 今のお話を別の言葉でいうと、ある目的や目標を立てたときに、それを達成するための企画・アイディア出し・設計、そしてそれを具体的に実行していく、というプロセスが必ずあるわけです。この一連のプロセスをトータルにすることこそが「デザイン」であって、それを全部統括できる人・指揮者のことをデザイナーというのだと僕は理解しました。

齋藤 ありがとうございます。そのとおりでございます(笑)。なので、それぞれの指針や、さっき出てきたSDGs、今回だったら新型コロナウィルスがある社会だからこそなにをすべきなのか、というクライテリアにちゃんと合っていること、細部までデザインされてるということがスタンダードになってほしいなと思います。

田川 僕もよく「デザインとはなんですか?」という質問を受けるのですが、非常に答えが難しい問いなんですよね。今、安次富さんも齋藤さんもかなりクリアに答えていただけたので良かったなと思いました。

行為としての「デザイン」

安次富 ずっとこういう会話を齋藤さんとしてきて気づいたことがあったんです。デザインは、数多くある分野の一つ、という見方が多いんですが、それは違うと思ったんですね。デザインというのは行為を示している言葉だろう、と思ったんです。だからこそ様々な分野と接続できるし、横断できる。行為そのものがデザインだからこそ、デザイナーというのがそれを実行している人たち、ということなのではないかと思っています。
そうすると概念がちょっと変わってくるんですよ。「デザインとはなにか」といったときに、他の領域と比較して、こういう領域ですよと説明しようとすると非常に難しくなるんだけど、「デザインする」という、デザインそのものが行為なんだと考えていったほうがいいのではないかと思います。

齋藤 最初にいろいろな考えや哲学があって、そこから誰かのことや世の中のことを思った志をもったものが出るという行為こそがデザインである、というのは本当におっしゃるとおりだと思います。デザインは結果論ではなくて、プロセス、もしくは始まりだと思っています。

安次富 例えばパッケージのデザインの審査では、「なんのためにこのパッケージを作ったんだろう」という質問が審査委員から出るんです。「きれいなパッケージ作りました」だけだと評価がしづらくて、「なぜこういうパッケージを作らざるをえなかったのか、作ろうとしたのか」というところまでを理解した上で、はじめてデザインの評価ができる、というふうに審査委員はみんな思っていると思います。

田川 僕も常々「デザインとはなにか」を考えていますが、統合思考と、そこに掛け算するものとしてのヒューマン・ファクター、この2つが揃ったときに、自分がやってることはデザインだと言えると感じています。

安次富 そうなんです。僕が期待してるのは、「誰もがデザインできるじゃないか」ということです。デザインの入り口の敷居は低くしたい。ところが、いいデザインや高度なデザインというのは、企画から実装までのプロセスをトータルにできるための力量が相当いるんですね。だから、すごいデザイナーが作ったものと、デザインをしているけどそうでないものとの違いというのは、あきらかにならなきゃいけないし、同じじゃだめなんです。だから、デザインというのは誰でも参加はできるが、出口、アウトプットは非常に難しい。「いいものを出すにはそれなりの力がいるよ」ということが、デザインのすごくいいところなのではないかと思います。

田川 今日は「交感」というキーワードでいろんな角度からお話いただきましたが、お話を伺っていると、人間中心や体験中心的なことをもう一回認識しようということではなくて、さらに今だからこそできることを根本から考え直して、その手法自体のアップグレードしていかなくてはいけないね、ということだったのかと思います。人新世の話もありましたし、どこかに「中心」を置くこと自体がそもそも違うのではないかという話もありました。これから、考え方や哲学はかなり相対的で多様化していくと思うんですが、だからこそテーマとして「交感」という言葉があったのがおもしろいなと思いました。
僕は「越境」が大好きなんですが(笑)、越境というと、いわゆる「境界」が前提としてあって、「超える」ということに対して意味を見出します。ですが、今は起こっていることも非常に多様で、「たぶん今の世の中はこうだよね」と一つの言葉で断定的に語れない状況で、しかもその状況がつねに揺れているという、状況です。
たぶんその中にデザインが入っていったときに、どういう風に役割を発揮できるのかというところで、「交感」することが鍵になっていくのかもしれないですね。「感」の中には、「美しい」と感じること、「心地良い」と感じること、「悲しい」もあるかもしれないし、感情移入の「感」かもしれないし、いろいろあります。「交わる」という漢字と「感」という漢字を、今回とくにエントリーしていただく方やデザインに興味を持っている方たちに、掘り下げていただいて、こちらが考えてもいないようなレベルで解釈をして、提示してもらえるとうれしいですよね。

境界を超えた「グッド」の集合体が世の中を変えていくパワーを持つ

安次富 越境という話が出てきましたが、境界を作ってるのは人間なんですよね。自然界にはもともと境界がないはずなのに、いろいろな国や地域、専門分野といった境界を作ってるのは人間なんです。それが実は今、非常に問題なんだということを改めて思い知らされている状況だと思います。デザインは「そもそも境界なんかないんだ」という認識で、取り組み方を変えるべき時期に来ているのではないか、というのが僕の見方です。
それを受け止めないと、この逆境は乗り越えられないんですね。もっともっと国同士がお互いに交わりながら、交感しながら、助け合っていくという世界を作っていかない限り、この大きな問題には太刀打ちできない、コロナの件も含めてそういうふうに感じています。
グッドデザイン賞も同じで、審査の都合上、領域別で審査をしていますが、それはディテールの話で、一番大事なのはそれが集合体となったとき、たくさんのグッドが集まったときにものすごく大きな力を持てる、ということだと思います。一つひとつを評価するのももちろん大事なのですが、集合体として、境界を超えた「グッド」の集合みたいなものが、世の中を変えていくパワーを持つだろうと思っています。そこに参加するかしないかというのが非常に重要であって、そのときにお互いが横を見ながら、手を取り合っていくということが交感なんだろうな、と思っています。

齋藤 今までは僕も含めてですが、建築、プロダクト・デザイン、フィルム、広告など、様々な分野にカテゴライズされていましたが、デザインは一つなんですよね。その人がどういう文化圏にいようが、そこの中で旗をあげているものがいくつもあり、見えているものが一緒だったらそれは繋がるべきだと思います。
「交感」に込めたのは、越境という壁を乗り越えるのではなくそれぞれにプロットされている点を繋いでいく、というイメージで作ったのでまったく田川さんがおっしゃったイメージのとおりです。その志を持って社会実装されたものをグッドデザイン賞の中で見つけていき、それを繋いでいきたいです。

田川 今日いろんな角度からお話を伺って、とくに「交感」については深いお話をいただいて、聞いてらっしゃる皆さんも理解が進んだのかなと思います。
最後に僕からの提案ということで、一つ挙げさせてください。ひょっとすると今年の審査では、ものすごくたくさんの仮説が出てくる可能性があるなと思ったんですね。
そうすると今年選ばれるグッドデザイン・ベスト100のラインナップにどれだけ将来のポテンシャルを見いだせるかというところが大事になるのかなと思いました。たとえば、さっきおっしゃっていた外部の専門家のアドバイザリー・チームのような外の目線も入れて、ベスト100の優れたデザインの中からそこに潜んでいる背景の文脈や、貫く一本の線を多様な角度から見てもらい、それを交差させながら、文脈やナラティブを作っていくということができるのではないでしょうか。それを聞いた人が「次になにを作らなければいけないか」を考えるきっかけになったりもするでしょう。グッドデザイン賞が「交感」のプラットフォームとして、提案されたものの中から、社会に対して「こういうふうにできるかもしれないよね」という軸線を紡ぎ出せて発信できると社会貢献としてすごくいいのではないかと思いました。

安次富 そういうことを考えています。客観的に全体を見ていただくアドバイザリー・チームを考えています。審査委員たちが選んだものを客観してもらって、そこに対して哲学的な知見や文化人類学的な視点を挟み込んで、いろいろなアドバイスや評価、意見をいただきたい、と考えているんです。全体像を俯瞰した上で、まったく異なる分野の人から意見をもらいたいと僕は考えています。そこはまだこれからなので、どうなるかわからないですけど、田川さんのおっしゃっているリクエストにはお応えできると思います。

田川 楽しみにしています。今日はありがとうございました。

2020年度グッドデザイン賞は、現在応募受付中。
応募締切は6月2日(火)です。
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