第二章:監査法人と窓際社員
※この物語はフィクションです。
閲覧中に気分を害されたり、過去のトラウマがフラッシュバックしたりした場合は一度深呼吸をするか、閲覧を控えてください。
入社後2~3年も経つと、同年次内での立ち位置が漠然とわかるようになる。2-6-2の法則とは言い得て妙であるが、やはり下位層の2割は一般的に生産性が低いといえよう。しかし中にはなんらかのきっかけで中間層に、場合によっては上位層にランクアップできる可能性もある。もし監査法人内で下位層にいる自覚があるなら、まずは自分の立ち位置を自覚した上で、所属している層に適した行動を実行する必要がある。これら3層への配分は一次的には監査チームへの配属(アサイン)で決まる。4月新卒入社を前提にすると、アサインは以下のとおり決定される。
まず1年目は、4月から5月中旬までの繁忙期を乗り切ったあと、正式に監査チームに配属される。最初のチーム配属自体は、『第一章:監査法人とリクルート』記載の入社前の面談や面接で概ね希望通りにされ、その他2、3チーム程度関与することになる。余程のことがなければ繁忙期で関与したチームにそのまま配属されるはずだ。この段階での立ち位置はほとんど横一線である。一方このタイミングで2年目以上のアサインも見直される。この決定方法が各監査チームの管理者以上で構成されるドラフト会議と原則3年ごとに行使できるFA権である。ドラフト会議2か月前から全員と面談を行い、チーム残留か移籍の希望を聞く。その後、各チームの規模や繁忙時期、職位等を加味して暫定的に人数を割り振る。必要な情報がある程度揃うとドラフト会議が始まる。なお実際はFA権行使者と上位層は原則希望通りに中間層、下位層については部分的に希望を満たせられるように妥協点を探るのが会議の大局となっている。
中間層と下位層でも会議内の取り扱いは違う。例えばFA権行使先のチームが人的補償をする際、チームに必要だと判断された者に対しては管理者がプロテクトを行うが、プロテクトから外れた者は、希望にかかわらずチームから放逐されることになる。基本的には生産性が低いか、問題行動が目に余る下位層の者又はそのチームに馴染めなかった者が対象になる。なお判断自体は管理者の独断ではなく、クライアントやチーム内の意見を尊重した総合的判断である。本人の意思でチームから外れたいと意思表示をしなければ、基本的に2~3年は同チームに関与することになるため、ここで梯子を外されると黄色信号であると考えてもらって構わない。そして既存のチームメンバーも職位や能力を加味して必要な者から選ばれていく。優秀なシニアスタッフや主査は一巡目で選ばれる。実はこの指名順位も重要で、例えば他のチームがヘルプ要員として人員を欲する場合、順位が低い者から駆り出されることになる。
そして早ければ5月中旬にはチーム配属面談で本人に所属チームが通達される。幾度かのドラフト会議を経て推敲されたアサイン表は、チーム関与年数や職位と共に部署内の全メンバーに一斉送信される。三度の飯より噂話が大好きな監査法人の職員は、アサイン表を肴に「Aさんがまた1年でチームを外された」「Bさんが2年目なのにC監査チームに飛ばされた」等と愉快に話すのである。
さて、プロテクトから外れた者がどのような監査チームにアサインされ、どのような仕事をすることになるか。大まかな流れは以下のとおりになる。
(1)小規模監査チームへたらい回し
ここでの小規模監査チームには、大規模監査チームとは対照的に①決算期が3月末や12月末以外で②報酬が監査計画時間に対して低いという特徴がある。故に繁忙期が局所的に発生しており、採算も悪いため常に人を欲している。作業指示は現場を取りまとめる主査が行うが、その主査自体も大半は他の大規模監査チームに所属しており忙しいため、チームメンバーとのコミュニケーションの場が限られる。基本的には前期に別の者が実施した作業をそのままなぞることが求められるため、単純な作業遂行能力と適時な進捗報告が必要である。与えられた作業を必死にこなし、最低限のコミュニケーションを取ることができれば、チーム内での信頼が積み重なり、与えられる業務の幅も増える。ゆくゆくは同チームの主査になることも大規模監査チームへの所属も可能であろう。
(1)の段階では、中間層にランクアップする可能性は比較的高い。そもそもチームで作業する以上、チーム内の軋轢は往々に発生しているからである。一度チームから外されたからといって悲観的になる必要はない。ただ、ドラフト会議の時期以外で短期間でチームを転々としていると、チームでの仕事は向いてないと判断されている可能性が高い。与えられた作業を碌にすることができない単なる能力の問題か、チーム先々で起こす人間性の問題かはそれぞれであるが、特に後者については今後の大きな障害になる。問題行動の数々は、噂が唯一の娯楽である監査法人の文化的に、すぐに尾ひれをつけて広まってしまう。陰では不名誉やあだ名やイニシャルで呼ばれ、面識がないはずの他部署の者にまで名が知れ渡っていることさえある。やがて彼らは受け入れ先が見つからず、一日の大半を待機監査人として過ごすことになる。
(2)監査に直接関連しない特殊業務の作業要員
(1)の段階で、監査とチーム行動の適性が低いと判断されると(2)に移行される。ここでいう特殊業務とは、新たなツールの導入支援や、品質管理関連、外部モニタリング対応等の臨時的な業務である。または、データ分析や、データ整理等の限定的な作業もある。優秀な人材もわずかにいる一方、下位層の受け皿としての側面が強いため、基本的には1対1のコミュニケーションに特化されている。作業指示は監査法人で辣腕を奮ってきた管理者以上が取りまとめることが多い。簡単なマニュアルを読みつつ、独自に作業を進めることが求められ、監査とは別の作業遂行能力や集中力が求められる。 (1)と同様与えられた作業を必死にこなし、最低限のコミュニケーションを取ることができれば、その管理者からの信頼を積み重ねることができるだろう。ただ緊急性の低い案件については監視の目が緩いため、人間性に問題のあるような者は手を抜いてしまう傾向にある。
(2)の段階では、中間層にランクアップする可能性は低い。監査法人である以上、監査以外で評価をされることは難しく、余程の専門性を発揮できなければ監査チームに復帰をすることができない。ただ言い換えれば、高い専門性を発揮できれば、先述した3層とは別の評価軸で独自の立ち位置を得ることも可能であろう。 (2)の業務をする上で身についたデータ分析能力や情報処理能力は、IT監査や業界分析目的で重宝されるかもしれない。ただ彼らはチームそれぞれとは隔離されて作業をしているため、チームに噂が回ってきたときは、犯罪に類するような笑えない状況が起こったときだけであろう。
(3)特定の管理者の下、大規模監査チーム専属の作業要員
(3)までくると監査法人内での巻き返しは極めて厳しいため、メンタルに自信がなければ転職をしたほうが賢明だ。どの分野でも成長の見込みがないと判断され、一生出世をすることがない彼らには、入社1年目もやらないような5分で終わる簡単な事務作業を振られる。彼らに労力を割くのは時間の無駄であるため、特定の犠牲者1名が名目上の管理者になり、目立たないように人員に余裕がある大規模監査チームにひっそり配属させる。「Dさんは何をしているのですか?」と気軽にたずねてはいけない。何もしていないのだから。たとえ2日3日失踪していたとしても誰も気づかない。
(3)の段階では、ほとんど何の経験もしていない彼らと、順調に出世した同僚、部下とで天と地ほどの差がついている。話しかけてもメリットはないため、話題にすら出ることもなく、存在しないものとして扱われる。どうしても話しかける必要がある場合は、たとえ上司だとしても会社の役員に応対するがごとく慇懃に声をかけられる。
彼らは最低水準の給与でさえすれば、存在だけしてくれれば構わない。
唯一の役割は「あの人みたいにならないように頑張ろうと」密かな心の拠り所になることだからだ。