『5歳児バックパッカー』3 孤児院とマイティネパール
ネパールで孤児院に行った時の話。
マイティネパールとは、人身売買のレスキューやストリートチルドレンを保護するNGO団体らしい。
俺達が行った孤児院は、エイズの母子感染でキャリアとなって捨てられた子供達や売春宿からレスキューされた子供達が大半の孤児院だった。
俺達は孤児院に突然訪問した訳ではない。事前に母がマイティネパールを支援する日本の団体にアプローチをかけて、そこからマイティネパールを繋げてもらいメールでやりとりして訪問が決まったらしい。
日本ですらまだまだネットが普及していない時代によくぞそんなことが出来たもんだと感心するよ。
幼かった俺は、日本で言うところのハナイチモンメみたいなことをして遊んだ記憶とこの写真の女の子の記憶しかない。
後にその事実を知った時に、なんとも言えない行きどころのない感情が込み上げた。
子供達が大きくなって自分がエイズキャリアと知った時の絶望は計り知れない。顔も知らない自分の親を恨んだり自分の人生すらも恨んだりしたことだろうと思う。
「生きていることに感謝」なんて月並みな定型文を言うつもりはないが、俺は家族もいて幸せな子供だったんだなと実感する。
これを書くにあたって久しぶりに母に連絡を取ってみた。
「この写真の女の子はあのあとすぐに亡くなったんだよ」と返信が来た。
シーンと静まりかえって風が冷たくなるのを感じた。
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