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生きる願い

2022年9月21日、午前8時30分。

日本中を騒がせた大型台風が何食わぬ顔で去った。今朝は気温が下がり生々しい冬の息吹を感じる。この時期になると、一昨年の冬を思い出す。まだ心に魔女を飼っていたあのころ、収入が少なくひもじい思いをしながら冬を越した。

家族にはひもじい思いをさせまいと、知恵とアイデアと技術で何とか乗り越えた冬であった。

当時はちょうど社会復帰しようと必死だったが、一方で幸福と幸運を実感した冬でもあった。

十分な収入がなくても、我々家族は幸せにやっていけることが証明できた年だったからだ。夫婦の絆がもっとも深まった年であり、妻や息子にもっとも感謝した年でもあった。

私は思う。

人生はサバイバルだ。

まるで少女のベッドルームのように、現実の過酷さは文明や文化という薄手のカーテンで見事にカムフラージュされているが、我々がどれだけ目を背けようと、あるいはその現実に気付かない振りをしようと、一歩間違えると転落する綱渡りのような脆さがこの社会にはある。

私のように家庭を持つ身で心を病み、あまつさえ仕事や住居まで失ったら、人生が詰んでもおかしくないだろう。

悲劇的な結末から自らを救うために身につけておくべき知恵、それが「自力で稼ぐ力」だ。

日本社会で「自力で稼ぐ力を養う」というのは、サバイバルにおいて「水を獲得する知恵を身につける」や「食料を確保する術を身につける」と同等である。施しを受けるだけでは、主(あるじ)がいなくなってしまったときや野にほっぽり出されたときに死ぬしかない。

一昨年の冬は、私のサバイバル能力が人生でもっとも試された年だったと思う。

きっと冬がくるたび、あのときのひもじさやプレッシャーや不安を思い出すのだろう。同時に、家族のありがたさや物質に依存しない暮らしにも感謝するのだろう。

そして何より、自信をもってその苦境を乗り越えた自分を誇らしく思うのだろう。

私は息子に「勉強しなさい」と言うつもりはない。

「生きろ」と言いたい。

そしてそのために「まずは金を稼ぐ能力を身につけなさい」と言うだろう。

こういう私の価値観は、世間一般の教育論や常識とは相容れないのかもしれない。それもそのはずだ。私は秘密のベールの向こう側を見てしまった。少女のベッドルームに足を踏み入れてしまった。だからこそ、現実から目を背ける怖さとリスクがよくわかる。

学歴に偏重する人間が一度失敗すると一気に転落する理由がよくわかる。

失業してから後悔する人間が減らない理由がよくわかる。

生活苦を受け入れてしまう人が増える理由がよくわかる。

いざというときに無力であるということは、いざというときに社会的な(場合によっては生物的な)死を受け入れなければならないということだ。そんな悲しい生き方を私はしたくないし、大切な人にもしてほしくない。

息子には今後、じっくりと時間をかけて「現代日本を生き抜く力」の種を植えてあげたいと思う。

やがて彼が大人になり人生の選択に迫られたときに凛と開花することを、彼が幸福に生きてくれることを願って。



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