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人生の節目に思うこと~感謝について~

今月、第二子が生まれて二児の父になった。
まさか自分が!って感じである。
20年前の自分に「お前20年後には結婚して二児の父になってるよ」と言っても、おそらく「は?うるせぇどけ」とかなんとか言って信じないだろう。

さて、出産で入院していた妻と赤ちゃんを自宅に迎える本日、自分自身の尊大さと傲慢さを反省しているので記しておこうと思う。

私は自分を尊大で傲慢な男だと思っている。

人生、ここぞというときに必要なのは、謙虚さでも繊細さでもなく実行力だ。謙虚さで実現できないことは世の中にはたくさんあるし、繊細で傷つきやすいと損をすることもたくさんある。

まぁ謙虚さで得することはあるにしろ、繊細さで得をすることは皆無だわね。

これらを克服して自分勝手に幸せを追求する生き方こそ、私のこれまでの人生の命題であった。自分らしく生きるために、少なくとも私のように根が繊細な人間には傲慢さが必要だと思う。傲慢に生きつつ周りを幸せにできるのが理想だ。ほとんど達成できたと思う。

だが、ここにきて運命が私に「ストップ!」をかけているような気がする。

妻が入院していたこの一週間、私は息子と二人きりで過ごした。

息子と二人きりでこんなに長い時間を過ごしたのは初めてのことだ。

その間、彼は色々と私を気づかったり手伝ったりしてくれた。本当に優しい子だ。ゆーてもまだ7歳なのに。これはもしかしたら私のケツまで拭いてくれるんじゃないかとすら思った。

私は家事には慣れているので、家のことをすべて自分でやらなければならないからといって負担ということはない。ただ、彼の私に対する優しさが嬉しかった。

おぼつかない手で一生懸命私をサポートしてくれようとしているその気持ちに気分が安らいだし、精神的に助けられたように思う。彼を本当に信頼できると感じたし、彼に対して本当に心からありがとうと毎日のように思った。

そんな彼に対し傲慢な自分でいられるかというと、否である。

なぜなら彼に感謝しているからだ。身の丈以上の努力を試みた息子。しかもその動機が私をサポートしたいという純粋な気持ちなのだ。掛け値なしの彼のそんな思いに、どうして傲慢さで応じられよう。

そこで私は思った。

傲慢に生きてきた今までの自分は、もしかすると感謝の気持ちを忘れていたのではないかと。

思えばカサンドラになって以降、私は人に感謝するのをやめたように思う。

そもそもそれ以前から、人に対する感謝の気持ちが希薄だった。

なまじいろいろなことを自分でできてしまうものだから、人に助けられる機会がとにかく少ない。むしろ助ける側だった。それが不満だった。いろいろなことに気付きいろいろなことができてしまう人は、いろいろな仕事と責任が増えてしまうのだ。本当に理不尽だ。

こういう理由で私はもともと人に対する感謝の気持ちがやや足りないように思う。カサンドラ症候群に陥り、いよいよ私の中の福祉精神が死んだ。他人に対する慈愛が死んだ。妻や息子や親しい友人しか愛せなくなった。

この一週間の息子の態度は、そんな私にとって生命の水のようなものだったのかもしれない。

とても美しい体験を与えてもらった

もう少し、人に感謝しようと思う。

裏を返せばそれは、もう少し他人に甘えてみてもいいのかな──ということでもある。

問題は、他人に甘える理由がないことだ。

了!


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