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カウントダウンは突然に

人でも、街でも、人生でも何かとの関係性があと何日、何ヶ月、何年でもう明確に終わるんだと知ったとき、カウントダウンのタイマーを突然手渡される。すべてのものごとはタイマー付きでこの世に現れる。でも、たいていのことについて、そのタイマーの残り時間がどれだけなのかは知らされていない。でも、何かの出来事をきっかけにその残り時間を知らされるのだ。ときには、タイマーされ渡されず関係性が終わることすらある。

最近、そういう出来事が2つあった。

ひとつは、来月に引越しが決まったことだ。引越しの検討は前々からしていたけど、いざ引越し日まで明確に決まったとき、僕にカウントダウンのタイマーが手渡された。

・近所を散歩できる日数:あと20回くらい
・近所のコンビニに入る回数:あと10回くらい
・隣の部屋のカップルのケンカの音が聞こえる回数:あと2回くらい
・近所の商店街を自転車で通り抜ける回数:あと8回くらい
・今の部屋で寝る日数:あと28日
・よく来る宅配便のお兄さんと会う回数:あと5回くらい
・近所をうろつく猫と偶然会う回数:あと7回くらい

脳内のカウントダウンのタイマーに表示されたあらゆるものごとの残り時間や回数を眺めると、これまでなんとも思っていなかった事柄が突然たいへんに貴重なものに思えてくる。大げさに言えば、自分の寿命はあとこれだけですよ、と宣告されたような。もちろん、引越し後も僕は生きる。だけど、この街との関係性はもう終わるのだ。生きる、とは何かの関係性の集まりであると思っている僕にとっては、何かとの関係性が終わるとは、その度に少しだけ死ぬことと同じなのだ。

また時には、カウントダウンのタイマーさえ渡されずに何かとの関係性が終わることも起こる。心の準備ができていない分だけ、それが一番悲しいかもしれない。

それは、人との別れだった。ある日、ある人との関係が突然終わった。関係が終わる1時間前までは、まさかそうなるとは1ミリも思っていなかった。今振り返ると、カウントダウンのタイマーは、僕の知らないところでカチ、カチ、カチ、と時間を刻んでいたのだった。もし、その関係が終わる1週間前にタイマーを渡されていたとしても、それはそれで困っただろう。だけど、関係が終わった後で、実はあのときあの瞬間には、知らないところで動いていたタイマーに表示されていた残り時間はわずかだったのだと想像すると、そのときの僕はなんて能天気だったのだろう、と思う。1時間後には残り時間がゼロになってしまうとも知らず。

これまでの人生でいくつも関係性が始まり、そしていくつも終わることを経験してきた。今では、誰かと出会い、新しい街に住み、新しいものごとを始めるとき、その瞬間から、知らないところでカウントダウンのタイマーが動き出すことを知っている。だから、そのタイマーをある出来事をきっかけに手渡される前から、すべてとの関係性がすでに貴重であることも、うすうすは感じているのだ。

タイマーが目の前にあってもなくても、すべてとの関係性を大切だと思いながら過ごせば、その関係性がいつに終わると明確にわかったときでも、その関係性に「これまでありがとう、それじゃあバイバイ」とちゃんと言えるかもしれない。




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