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カラスのともだち

街を歩いていると、嫌われ者と出会う。その嫌われ者は自分が嫌われていることを知っているのか、僕たちに心を閉ざしているように見える。

ある日、電車のホームに一羽のカラスがいた。彼はホームにエサを見つけたのか、その場所をなかなか離れようとしない。僕がホームの狭い場所を歩いていたとき、彼のすぐそばを通り過ぎようとした。彼は警戒したのか、僕が近づいてくるのを確認すると、すぐに飛び立ち、近くの電線に降り立った。僕がその場所を通り過ぎると、彼はまたすぐに元の場所に戻って来た。だけど、その場所は人の往来が多くて、彼はまたすぐに飛び立たないといけなかった。

何回か同じことを繰り返して、ようやく少しだけ人の往来が途切れて、彼はその場所でエサを食べていた。だけど、人はまたやって来て、それは小さい女の子とその母親だった。その母親はとても嫌なものを見るように「うわっ、カラス!」と足早に避けていった。だけど、小さい女の子の方はカラスのことを嫌ってはいないようで、「あ、カラスさんだ」と言って指を指していた。その眼差しは、街中でともだちに出会ったかのような。

子供は大人の背中を見て育つ。だから、その小さい女の子も母親のように、大人になるにつれてカラスのことを嫌いになっていくのかな、と思った。カラスの彼は、人間に嫌われていることに、もう慣れているようだった。彼は、人間が近づけば飛び立ち、いなくなれば戻ってくることを淡々と繰り返していた。

だけど、あれだけあからさまに誰かに嫌われているのを目の当たりにすると、もう少しだけ彼に優しくしてもいいんじゃないかな、と思った。人間をいつも警戒しながら、何度も何度もエサを食べるのを中断して飛び立たざるを得ない彼。そんな彼の大変さも知らず、通り過ぎていく僕ら人間たち。

ハトやスズメと違って、カラスは黒くて大きくて確かに威圧感はあるし、鳴き声も大きくてどきっとすることもある。だから、カラスのことが苦手な人が多いことはわかる。でも、彼らもたまたまその姿でこの世に生まれて来たに過ぎない。まだ人間や鳥の住む世界をはっきり区切ることなく、ひとりのともだちとして見ていたあの小さな女の子のような気持ちを少しでも思い出せれば、彼らは僕らに心を開くのかもしれない、と思った。



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