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誰も何も知りえない

きっとみんな自分のことをいちばん知らなくて自信がないんだと思う。だから、他人の思慮浅い発言に過敏になって、お前は変だと言われたら、馬鹿だと言われたら、価値がないと言われたら、その言葉が自分の本質のように感じてしまう。ポジティブの根源にはネガティブがあるのだと思う、それ故に10の陽性は1の陰性によって意図も容易く、まるでオセロのように陰性に変えられてしまうのです。 だから私達は本質を見通す力を備えなければならない。  いつからか本質の前に覆われたフィルターばかりを見つめていたんじゃないのか。常識や先入観、偏見や経験、これらを通して何かを見つめても本質と同じ色を見ることは出来ない。赤い下敷きを通して見る世界は赤色だったように。 幾つもの共通点が積み重なれば帰納法的に私達はそれが普遍なのだと盲信してしまう。しかしそれは共通点ばかりに目をやってその他の部分を見ないようにしていたのではないか? 摩擦をゼロにしたり、空気抵抗を考えないように、私達は世界を簡単にしようとするばかりにたくさんの何かを見落としているのではないのか? 何億万年も前から存在している地球を構成する全てすらも私達は未だ知りえていないように。私達は何かを学んでも学んでも学びきれないのだ、それだけはこの謎多き宇宙の生命体である者の普遍の事実です。 分からないものを分かった気になるのは本質を探す努力をしていないということだ。それは素直さでも優しさでも賢さでもない。私達は全てを知ることは出来ていないということを、無知の知を忘れてはならないし、忘れないことで世界に謙虚に生きられるのではないかと思う。ソクラテス的転回でこの話を締めようと思います。