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戯曲 アリのキリギリス

パノプティコンの真ん中にいる人(@LBB_4523)

(2024年いちょう祭にて、「大阪大学ネタツイから卒論まで本にするサークル」部誌『Output vol.2』に寄稿した記事です)

前書き

 勤勉なアリと、放蕩者のキリギリスを対置し、冬を越えられる前者とそうでない後者というオチにより、享楽を非難し勤勉を称賛するイソップ寓話の一つ、アリとキリギリス。「冬のことは冬に考えればいいのさ」――夏、冬に向けてせっせと食料を集めるアリの姿を見ていたはずのキリギリスは、しかし「愚かにも」そのロールモデルを無視し、寒さという不快がそれを不可能にするまで快楽主義を貫きます。

 しかし、考えてみたことはありませんか。「もしキリギリスがほんの少し素直で、アリの生き方に従っていたら」と。この脚本は、そんな、アリとキリギリスの「もし」の世界線を描こうとした試みです。

 この脚本は、狩猟採集社会を捨て、農耕を始めたことでむしろ個人の幸福を下げた農業革命の風刺かもしれません。「生産性」を神聖視し、「遊び」を無駄として切り捨てる資本主義の風刺なのかもしれません。はたまた、私的所有が階級を生み、階級が社会を生み、社会が戦争を生むのだという私的所有の風刺で、原始共産制礼賛なのかもしれません。はたまたそれ以外のとらえ方もあるのかもしれません。とにかく、極めて規範的な「アリとキリギリス」を、あえてさらに規範的にする――キリギリスがアリの生き方を受容する――ことにより、何かを発見できればと思います。


二〇二四年春

大阪大学豊中キャンパス 待兼山及び阪大坂

キリギリス

アリ

妻      キリギリスの妻

友人     〃の友人 妻とも旧知の仲

学生     大阪大学在学の一年生

声一     語り手

声二~三   「アリ」の敵軍の斥候

村民A~C  キリギリスたちの集落の住民


第一場(キリギリス・学生)


舞台

二〇二四年四月末の朝の阪大坂。ラッシュアワーは過ぎ、まばらに学生が登校している。


(開幕、明転)

(春、風のざわめきが草花を揺らし、鳥たちが歌うような環境音。しばしの後フェードアウト)

(学生、上手から入場。下手に向かい、いそいそと歩く。学生は講義棟を目指している)

(キリギリス、下手から入場。命からがら逃げてきた様子。学生を見つけるやいなや、すがりつくように

話しかける)

キリギリス おい、おい!

(学生は動じず歩き続ける。人間はキリギリスの言葉を理解できないからである)

キリギリス (すがりつきながら)聞いてくれ!間違ってたんだ!

(学生が歩き続け、下手の退場口に近づく。)

キリギリス そっちに行っちゃだめだ!

(学生が下手に退場)

(キリギリス、その場に膝から崩れ落ち、慟哭)

(暗転。声一のセリフ中に、第二場の準備)

声一 夏のある日のこと。野原で歌を歌っていたキリギリスは、アリの一群に出会いました。彼らはみな食べ物

を背負って汗びっしょり。聞くに、「冬に備えて食べ物を蓄えているんだ」と。「冬のことは冬に考えれば

いいのさ、俺には俺の生き方があるのさ」と一蹴して、キリギリスは歌い続けます。原っぱを見晴らす小

石の上、眩しいほどの陽光を背に……


第二場(キリギリス・アリ)


舞台

二〇二三年秋の待兼山某所、アリたちが食料を運ぶ獣道。時間は昼。冬が近づきつつある。舞台中央やや

後方に丸太が横倒しで置かれている。


(明転)

(秋、やや冷たい風が吹き抜ける環境音。しばしの後フェードアウト)

(キリギリス、下手から入場。陽気で口笛を吹いたりしているが、時折少し寒そうにする)

(アリ、やや遅れて上手から入場。食料の葉っぱが詰まった袋を重そうに抱き、下手へ歩く)

キリギリス 手伝おうか?

アリ (歩きながら)いや、いいよ。

(先のセリフを言うや否や、アリの抱く袋から葉が溢れる。アリがそれを拾おうとして、袋の中身の大半をばら撒いてしまう)


キリギリス (落ちた葉を拾いながら)お前さん、今日も精が出るねえ。

アリ いや、どうも。

(――小間――)

キリギリス なあ、前から聞きたかったんだけどさ、体こいつら、どうするんだ?あんたのところのおっかさんはそんな大食いなのか。

アリ (急にいきり立って)母上を馬鹿にしているのか!

キリギリス すまない、すまない。そんなつもりじゃ……謝るよ。

(落ちた葉を拾い終える。袋は丸太に立て掛ける)

アリ (葉を手に)一つ、どうぞ。

キリギリス いいのか?

アリ 礼くらいさせてください。

(両者、丸太に腰を下ろす。アリも葉を取り出し食べ始める)

キリギリス で、結局そいつらはどうするんだよ。

アリ 貯めておくんですよ。

キリギリス 貯めるって、周りを見てみろよ。食うに困る方が難しいぜ。

アリ 今だけですよ。

(下手から枯葉が飛んでくる)

アリ ほら。

キリギリス 冬に芽を出す酔狂者だって一つくらいはあるだろう。だいたい、いくら貯めたって天国にはせいぜ

い針の穴に通るくらいしか持っていけないさ。楽しみは別だけどね……お前、嫁さんとかいないのか。

アリ あいにく、色恋にうつつを抜かしている時間はないので。第一、子を成すのは私の仕事ではありません。

キリギリス もったいない。春は一瞬だぞ。

アリ 秋もね。まさか、冬になって嫁さんの腹を空かした様を見るのが「楽しみ」とか?

キリギリス 手厳しいなあ、お前は……まあ、そうだなあ。

(キリギリス、しばし逡巡)

キリギリス 冬は越せそうか、今から貯め始めても。

アリ まあ、あなたのところの嫁さんと、お友達数人分くらいなら。

キリギリス よし、じゃあ早速働くとするか。

(キリギリス、勢いよく下手に向かうが、途中立ち止まり、やがてアリの前に戻る)

キリギリス なあ、集めたとして、風でも吹いたらどうするんだ?飛ばされるぞ。

アリ はあ……しばらく泊まらせてください。巣の作り方から教えましょう。

キリギリス そりゃありがたいが、おっかさんはいいのか?

アリ 冬を越せたら一仕事してもらいますよ。(食料袋を抱えて、下手に歩き出す)

アリ (下手に退場しながら)これを届けたら来ます。

キリギリス したたかなことで……まあ、いいぜ。じゃあまた。

(キリギリス、上手に退場)

(暗転。声一のセリフ中に、第三場の準備)

声一 秋、向こうの森はその色を青から紅に変えてしまいました。けれどもみんなの様子は夏と変わら

ないようです。アリは変わらず働き続け、キリギリスも変わらず歌い続けます。ただ、小石に立つキリギリスを照らす陽光も、眼前の草花も、心なしか、前よりか細く見えます……


第三場(キリギリス・妻・友人)


舞台

二〇二三年冬の待兼山某所、キリギリスと妻の住処。アリの指導により作られた真新しい小屋のような「巣」の中。外の寒さとは対照的な暖かさを感じる。中央やや下手寄りに木の机と椅子が置かれている。机にはココア二杯と葉っぱが山のように盛られた皿が置かれている。


(妻、下手から入場。椅子に座り、ココアを飲んでいる)

(明転)

(キリギリス、上手から入場し、舞台中央に向かう。マフラーと手袋を着けている)

 (キリギリスの元に駆け寄りながら)おかえり。外寒かった?

キリギリス (妻が防寒具を脱がせている)相変わらずね。でも中は暖かい。

妻 巣のおかげね。

キリギリス (妻の肩を掴んで)君のだよ。

 もう……

妻 さあ、冷めないうちに飲んじゃいましょ。

(両者席につく。妻はキリギリスの防寒具を机の上に置く)

(しばらく机上のものを飲み食いする)

妻 ね、なんで時々外に行くのよ。これだけ貯めてあるのに。

キリギリス 「定期的に巣の周囲を見回るように」って口酸っぱく言われたからね。

妻 誰に?

キリギリス アリ、あいつだよ。

妻 こんな寒いのに……まあ、あの人が言うなら仕方ないわね。

キリギリス まあね。

(少し間を開けて、ノックの音が聞こえる)

友人 (声のみ)入っていいかな。

キリギリス 友人に向けて閉める扉なんて持ってないぞ!

友人 (上手から入場。防寒具を着ている)やあ。

友人 また一緒にいる。いいなぁ。

キリギリス へへっ。

妻 あなたも外にいたの?

友人 うん。(防寒具を指さして)これがなかったら凍え死んしゃうよ。

妻 あっ、そういえば、他の虫たちはどうなっていたの?

キリギリス どうした、藪から棒に。

 だって、あなた長老さまに言ってたじゃない。「冬が来たら遅いんだ!他の虫どもみたいに野垂れ死にな

んてごめんだぞ!」って。あのときのあなた、かっこよかったわよ。

キリギリス よせよ。

(友人、居心地悪そうな様子)

キリギリス (本心から)ああ、すまない……それで、外は?

友人 誰もいない。木も全部枯れちゃってるよ。

キリギリス そうか……

友人 残念そうだね。あんな言い方してたのに。

キリギリス いや、長老、頑固だから、大げさに言ったさ……

妻 でも、アリさんの言う事聞いていてよかったわね。

友人 (前二つのセリフ中に、机の方に行き葉っぱを取り食べている)おかげで食っても食い尽くせないくらい

の食べ物もあるしね!

キリギリス (冗談めかして)お前、本当に食い尽くすなよ?

(一同笑う)

(暗転。キリギリスと妻は上手に、友人は下手に退場。声一のセリフ中に、第四場の準備)

声一 木々はその紅い葉を落としきり、代わりに白い雪を枝に乗せています。白い空の下、これまた白い野原の中、独りぽつんと立つキリギリスは青い肩を落としていました。自分の歌声も絶えて久しい静かな雪原に、キリギリスはアリたちが通っていた道の跡を見つけました。彼はその跡を辿りはじめます……


第四場(キリギリス・妻・友人)


舞台

二〇二四年春の待兼山某所、キリギリスと妻の「巣」の中。前幕と同じ場所であるが、巣は前幕よりやや暗い雰囲気を漂わせている。机の上には、空いた皿が置かれている。


(キリギリスと妻、上手から入場し椅子につく)

(明転)

 どうなの?

キリギリス ん?

妻 アリさんに教えてもらった「ハタケ」ってやつは。

キリギリス うーん……ああいうのは苦手だ。毎日毎日同じことの繰り返しで。しかも、周りが全部「ハタケ」になりやがって自分で草も採れやしないし……あいつはよくやるよ。

妻 「あいつ」って?

(下手からノックの音が聞こえる)

キリギリス (小声で)ほらきた。どうぞ!

(友人、下手から入場 ハットを被り、ハットと合わない派手なジャケットを着ている)

友人 ……またかい?

キリギリス なあ、昔のよしみだろう。

友人 「これっきり」って言ったろう。もうだめだよ。

キリギリス たんまりと蓄えているんだ。少しくらい分けてくれたって飢えやしないだろ。助け合おうぜ。

(妻に)なあ?

妻 だから、どういうことよ?

友人 彼はね、寄生虫なんだよ。

キリギリス 寄生虫……その言い草はないだろう、なあ。

友人 (無視して、妻へ)彼が何度言ってきたと思う?「これが最後だ。貸してくれ」って。僕が汗水垂らして作った葉を!

キリギリス お前じゃないだろ……

友人 は?

キリギリス 汗水垂らしてるのはお前じゃないだろう。何が寄生虫だ?お前だろ。他のやつに働かせて、その上がりを掠め取りやがって。ずっと思ってたさ。

友人 そんなに羨ましいなら自分でやりなよ!僕はね、自分で稼いだ元手を自分の頭使って増やしてるんだよ。

キリギリス お前が餌場にしていたところがたまたま「ハタケ」に向いてただけだろう。大地はみんなのものだ。

自分の脚で切った草は自分だけのものだ。寄生虫は寄生虫でもね、俺は血の吸い方の巧さを自慢したりはしないぜ。(友人のハットを軽く叩く)

友人 (キリギリスの手を払う)触るな!︙︙君たちは僕をバカにしているんだ。昔も、今も。

キリギリス は?

友人 (妻を指さして)散々いい思いしやがって、僕がやっと成功したら今度はそれをバカにするのかい!

キリギリス いい思いって、ただ愛し合っているだけじゃないか。別に誰かに見せつけようとかじゃ......

友人 ......もういい。仕事があるから。借りたものは返してくれよ。

(友人、下手に向かう。引き留めようとする妻の手を振り払う)

友人 せいぜい腹空かしているがいいよ!僕のせいじゃないからね!

友人 (退場間際に、呟くように)僕を選んでくれたらよかったのに......(下手に退場)

(――小間――)

妻 ちょっと、どうしたのよ!

キリギリス ......昔はよかったな。誰が上とか下とかなかった。葉っぱを貯め始めてから全部おかしくなった。

妻 昔を懐かしむのもいいけど、どうするのよ、これから。

キリギリス 「働く」しかないのか。

(暗転。キリギリスと妻は下手に退場。声一のセリフ中に、第五場の準備)

声一 足跡を辿り、アリの巣にたどり着いたキリギリス。巣の中は暖かそうです。すっかり痩せた腕でその戸を叩きます。しばらくすると、向こう側から声が聞こえます。その声はノックの主を尋ねています。キリギリスは名乗り、一つのお願いをします......


第五場(キリギリス・アリ・友人)


舞台

二〇二四年春の待兼山某所、キリギリスたちの集落。野外にある彼らの「集会場」が舞台。森の中で、人工的に切り開かれたような様態であり、背景には彼らが「巣」とする小屋が数軒見える。舞台中央に、丸太を二、三ほど横向きに並べて作られた「演壇」が置かれている。


(アリ、すでに演壇に立ち、舞台の方を向いて演説している)

(友人、住民A~Cと共に下手の方で熱心に演説を聞いている)

(明転)

(キリギリス、上手から入場)

アリ さて諸君、我々、そう、我々は同じ脅威に直面している。

キリギリス またか……

アリ 父祖の代から我々を、そして今や君たちをも養う、あの青々とした草原に魔の手が迫っている。

キリギリス 似合わない喋り方だ。

(キリギリス、上手の方でやや離れたところで冷ややかに演説を聞く)

アリ それは彼方、中山池からやってきた余所者であり侵略者のアリだ。彼らがこの草原に住まう資格は一アールもないのだ!

(友人と、住民Aは同意の声を飛ばす。住民B・Cは「それがどうした」という反応)

アリ それが、野営地を立て、我々の大地から収奪を繰り返している。あの汚らわしい触角で聖なる待兼山を汚そうというのだ!あまつさえ、我々を追い出そうとしているのだ!父祖の地から!

アリ 阪大坂沿いの領地はすでに奴らの手に落ちつつある。ここ中枢部も安全ではない。

アリ そして、我が友たちよ。君たちも決して無関係ではない。思い起こしてほしい。君たちが誰一人飢えに苦しまず冬を越せたのは誰がためか?君たちが寒さを知らずに夜を越せる家を手に入れられたのは誰がためか?君たちが文明と安全を得たのは誰がためか?

(友人、住民Aは聞き入る。住民B・Cも少し納得し始める)

アリ それは私達アリのためだ!我々が君たちに文明と安全を与えたのだ

アリ しかし、同時に我々は一蓮托生である。我々の教化への対価として、君たちが進貢を忘れたことはなかった。君たちはこの地の豊かさを享受し、この地を守るという点で、我々はもはや一体である!

(友人、住民Aは感激の様子。住民B・Cも深い共感を示す)

アリ 君たちの体格、君たちの狩猟民としての経験、そして君たちの脚は我々の武器だ!

アリ さあ!共に戦おう!我らが戦列に加わり、名誉と報酬を手にするのだ!中山池の畔に我らが旗を打ち立てた暁には、君たちにも新天地が約束されているのだ!

(キリギリス以外、熱狂的な声援)

(熱狂の中、小間。アリは上手に下がる。住民A~Cは各々の生活に戻る)

(キリギリスと友人、舞台中央に動く)

友人 (キリギリスに)君はどうするんだい?

キリギリス どうするって、何を?こんな平凡な日に。

友人 平凡?何を言っているんだい、この有事に!

キリギリス 「有事」って、俺たちに思い悩むべきことなんて一体どこに有るんだ?

友人 さっきの演説を聞かなかったのかい?

キリギリス 聞いていたさ。それで?

友人 我々に危機が迫っているんだぞ!

キリギリス 「我々」じゃなく、「彼」にとってだろう。

キリギリス 俺たちにとっちゃ、あいつらが負けても税を払う先が変わるだけさ。

友人 あいつらが我々を追い出そうとしたら?

キリギリス 手を出してくるというならどこか別のところに移ればいいんだ。

友人 僕たちの土地を捨てて!(大声で)ありえない!

(住民A~C、キリギリスに注意を向ける)

キリギリス ありえない?ありえるさ。ずっとそうしてきただろ。食べたいときに食べる、遊びたいときは遊ぶ、

行きたいところに行く、そうだったろ?(周りを見渡す)

(住民A~C、否定の意を示す)

友人 だいたい、君にとっては行く他にないんじゃないかな?

キリギリス なぜだ?

友人 君が戦って得た俸給の……そうだな、5割でいいだろう。それで貸し借りはチャラだ。

キリギリス 自分の利益のために他人を殺せっていうのか!?

友人 この際君がどう思おうが勝手だけどね、借金は感情に左右されないんだよ。

キリギリス ……もういい、勝手にしろ。精々「奴ら」が勝つことを祈っているよ。そうすりゃ「借り」とやらもチャラになろうから。お前らはそんな吹けば飛ぶようなものにしがみついているんだよ。

(キリギリス、下手に退場)

(暗転しながら、友人、住民たち、キリギリスの言動に困惑と不快感を示し、各々の生活に戻る様子を見せつつ上手に退場)

声一 「何か食べる物をくれ、お腹が空いて仕方がないんだ」キリギリスは扉越しにお願いします。しかし、アリには取り付く島もありません。冬に飢えないために夏から努力を重ねてきたアリには、その努力を怠って飢えたキリギリスに恵んでやる気など毛頭ないようです。キリギリスはついに扉に背を向けます……


第六場(キリギリス・妻・アリ)


舞台

二〇二四年春の待兼山某所、キリギリスと妻の「巣」の中。中はひどく荒らされた様子。中央に木の机が置かれている。机の下には布切れが落ちている。


(妻、机の上手側に寄りかかる。ひどく負傷している)

(明転)

(キリギリス、下手から入場)

キリギリス (入場しつつ)何が「新天地は君の手に」だ、最初から負け戦だったんじゃないかよ……

キリギリス おい!もうこりごりだ、逃げるぞ。

(キリギリス、妻の姿を見つける)

キリギリス おいおい、勘弁してくれよ……

妻 よかった、無事で。

キリギリス どこ「よかった」だ、どこが!

妻 ごめんなさい、蓄えは守れなかったわ……

キリギリス そんなのどうだっていい!

妻 でも、先立つものがなかったら……

キリギリス どうにだってなるさ。俺が惜しむのはお前だけだ。それ以外全部なくなったって生きていけるさ。

(――小間――)

キリギリス なあ。

妻 なに?

キリギリス これからの話をしないか。

妻 ……うん

キリギリス これからは二人で、二人だけで暮らそう。起きるのは日も高くなったころだ。腹が減ったら野原に出て草を刈るんだ。食べたい分だけだ。その後は散歩したり、歌ったり、日向ぼっこでもして時間を潰そう。日が暮れてきたら帰るんだ。着いたころには暗くなってるから、もう寝るんだ。誰にも邪魔されない。

妻 いいわね……雨が降ったら……中でくだらない話でもしましょう……それはそれで楽しそう……

キリギリス 誰にも邪魔されない。誰の邪魔もしない。二人だけで幸せにな。

妻 確か……昔はそんな暮らしを……

キリギリス そうだな。巣も蓄えも、なかった時のほうが幸せだったんじゃないか。

(――小間――)

妻 ねえ……最後に……お願い……

キリギリス 最後?俺たちはまだまだ……(妻がキリギリスの口に手を当てる)

妻 あの人……会ったら……ごめんねって……

キリギリス 自分で言えよ、そんなの。あいつだって、俺が言ったって拗ねるだけだろう。なあ、そういうのはお前が言うのが筋だろ。俺を選んだのはお前だったろ!なあ!

(キリギリス、すすり泣く)

(キリギリス、暫しの後、埋葬のため妻を抱え上手に運ぶ。妻退場)

(キリギリス、上手から舞台に戻る)

(下手で物音。その後、傷だらけのアリが脚を引きずるように下手から入場。武器を手にしている。)

キリギリス お前もかよ……

(アリ、舞台中央やや下手側で倒れ込む。武器を落とす。)

アリ 脚の手当てをお願いできないかな。

キリギリス (傷を見て)どうしろって……

アリ 行かなきゃ駄目なんです!

アリ ……借りますよ。(布切れを取り、脚に巻き始める)

(――小間――)

アリ 巣が危ない。母上が……

キリギリス なあ。ここは一つ、俺みたいに生きてみないか。自由になろう。冬を越そうと苦しんだり争うよりさ、楽しい思い出を抱いて枯れたほうが良くないか。

声二 ここは当たったか?

声三 まだです。

声二 行くぞ。

キリギリス 立てるか。逃げるぞ。

(アリ、武器を手に取り、立ち上がる)

キリギリス そうかい。

(キリギリス、もどかしさに悶えながら上手に退場)

(暗転)

アリ 女王陛下万歳!

(――小間――)

声一 アリの元を去ったキリギリスは、あてもなく雪原を歩き始めます。歌声はもう聞こえません。キリギリスがとぼとぼと作る足跡を、降る雪は消していきます。

(――小間――)

キリギリス おい!聞いてくれ!俺たちは間違ってたんだ!

(閉幕)

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