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Live in clover



春になると畑の野菜たちはぐんぐん大きくなる。
野菜だけじゃなくて野草たちもまた急速に成長する。ふと見るとあぜのシロツメクサもずいぶん大きくなっていた。
土手やあぜにあってもふしぎと圃場内には広がらない。絨毯のように根を広げ冬の寒さに耐えながら越年する強靭な草だが、時間をかけてゆっくりと勢力を拡大する性格なのだろう。ひんぱんに耕されるような場所には適さないのだ。
あまり茂りすぎれば草刈りもするがわざわざシロツメクサを抜いたりはしない。このように根を広げ敷き詰める草は土手やあぜが崩れたり流亡するのを食い止める。野草ひとつひとつにも得意なことと役割があるのだ。
シロツメクサは外来野草である。原産地はヨーロッパで牧草として使われていた。英語ではいうところのクローバーだ。「live in clover」という言い回しがある。平和に暮らす、とか安逸に暮らすといった意味だ。牧畜民族であるヨーロッパ人にとって家畜の餌になるシロツメクサに囲まれた土地は暮らしやすい場所だったのだろう。
シロツメクサは江戸時代にヨーロッパから輸入したガラス製品の入った荷物のパッキンとして渡来したという。詰め物にしたから白詰草。反対に日本の陶磁器をヨーロッパに輸出するときには古くなった浮世絵(江戸時代の商業ポスターである)を詰めて送ったらしい。それを広げて見たヨーロッパ人が「なにこれかっこいい!」と驚愕して浮世絵ブームが起こったそうな。
この草はアイルランドの国草で彼の地ではシャムロックと呼ばれる。古来から聖人の島と呼ばれる信仰篤い土地だが、伝説によるとキリスト教を伝えた聖パトリックはこの草の3枚の葉を見せてローマ教会の重要な教義である「父と子と聖霊の三位一体」を人びとに教えたという。日本ではただの雑草だがなかなか由緒ある植物なのだ。
こんなことを考えたりしながら日々畑を眺めて暮らしている。妻は呆れ顔で「あなたって役に立たないことばっかり考えてるのね」と言う。
自分でもそう思う。これは子どもの頃から本ばっかり読んでいたぼくの性分なのだ。同級生たちが真っ黒になって汗かいてスポーツしていた時にぼくは家に帰って本を読んでいた。その同級生たちがいまスーツを着て都会のオフィスで働いている中で
もやしっ子だったぼくは真っ黒になって泥と汗にまみれている。人生ってふしぎだなと時々思う。それでもぼくにとってはこんな生活がけっこう幸せなのだ。

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