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アルバムを利く 〜その7

PINK FLOYD 「wish you were here」1975年

曲目紹介



A-side①shine on you crazy diamond
               part1〜Ⅴ
         ②welcome to the machine
B-side①have a cigar
            ②wish you were here
            ③shine on you crazy diamond
               partⅥ〜Ⅸ

風の中のブルース




アルバムはシンセサイザーが描き出す広い青空のような風景で始まる。小さな鈴のような音が聞こえる。あるいはなにか目に見えないものが空をひっそりと横切るような音。そしてクリーンなトーンのギターが鳴る。
はじめてこの曲を聴いたときぼくは「これsomebody loan me a dimeじゃん」と思った。ボズスキャッグスがデュアンオールマンと録音した曲(原曲はシカゴのモダンブルースマン、フェントンロビンソン)だ。正確には同じ曲ではない。たがムードとハーモニーの感覚はとてもよく似ている。プログレッシブロックの範疇に入れられるこの作品は、しかしモダンスタイルのエレクトリックブルースなのだ。このアルバムの音楽的なテーマはブルースである。もともとブルースバンドとして出発したピンクフロイド(バンド名はふたりのカントリーブルースマンの名の合成である)の面目躍起といったところだ。
バンドのギタリストのデビットギルモアはアフロアメリカンのブルースマンみたいなクリーンなトーンでソロを弾き始める。それからギターは鐘の鳴るような音で印象的なテーマを弾く。続くギターソロの音は少し太くなってロックっぽくなる。短いキーボードのソロのあとギターは軋む音色で抑えきれない激情が溢れ出すかのように泣き叫ぶ。そして歌が始まる。歌の後のアウトロはギターソロではなくサックスによるソロ。
聞くたびに感心してしまう。アルバムのオープニング「shine on you crazy diamond part1〜Ⅴ」は13分もあるが全くだれる部分がない。ピンクフロイドは他のプログレバンドのように超絶技巧のアンサンブルで圧倒するようなバンドじゃないけど、だからこそひとつひとつの楽器を適切に配置して楽曲を構成しているのだろう。延々と続くギターソロでリスナーを置いてけぼりにしたりしないのだ。
歌の内容はアイドル的な人気をはくしながら精神を病んでバンドを去ったシドバレットを歌ったものだ。そしてこれがアルバム全体のテーマでもある。
気のふれた予言者のブラックホールのような瞳に映し出されるのは…


時間をさかのぼる



A②「welcome to the machine」はシンセサイザーとサウンドエフェクトによる機械音から始まる。学校に反発する子どもはギターを手にしてロックスターになることで体制からの脱出を試みる。しかしロックスターになっても逃げ場はない。歌の主人公は新たな「マシーン」の中に取り込まれるだけなのだ。
「マシーン」は管理社会の比喩だろう。シンセサイザーの演奏が「マシーン」を表現している。対するアコースティックギターは生身の個人をあらわしているのだろう。単純だけど効果的なやり方だ。
続くB①「have a cigar」はそのマシーンを操作するレコード会社重役の歌。リズムはファンクである。「funk」の原義は多様だが「うさんくさい」という意味もある。このリズムは「ところで誰がピンク君だい?」と聞く重役の様子を描写するのにぴったりだ。このA②B①の文明批判はバンドの次作「animals」「the wall」につながっていくテーマだ。
ロックスターになって体制に飲み込まれる主人公はA①で歌われる人物の狂ってしまう前の姿だろうか。そうであれば「空に浮かぶブラックホール」のような瞳に映るのは過去の自らの姿なのかもしれない。

勘違いの音楽



B①の終わりにラジオのSEが入りアルバムのタイトル曲B②「wish you were here」が流れてくる。はじめにラジオからの音楽として曲が流れ、もうひとつのトラックがそれに合わせるように演奏を開始する。この曲もブルースだ。アコースティックなカントリーブルース調。それは前曲の主人公が「儲けようゼ」という重役の誘いに乗って歌っているようにも聞こえるし、それとは別の人物がラジオに合わせて歌っているようにも思える。このあたりの仕掛けは重層的だ。
タイトルはyou are hereではなくyou WERE here。仮定法過去形。「ここにいてほしい」と思う相手はここにはいない。これを恋人に対するラブソングだと思い込んでいた、という感想をブログで読んだ。それでもいいと思う。この作品の前のアルバム「狂気」は大ヒットしたが、アメリカではこれをベッドタイムのBGMとして購入した人が多いという。シドバレットの狂気と向き合った芸術的なアルバムをムード音楽にしてしまうなんて勘違いもはなはだしいけど、そういう勘違いがピンクフロイドというバンドの人気を支えていたのだと思う。バンドを貶しているつもりはない。リスナーのさまざまな幻想を巻き込んでいく絶妙な設計がピンクフロイドのアルバムにはあった。
だけど全く意味のわからないものに人は心を寄せることはできない。シドバレットの破滅という具体的なドキュメンタリーがあったからこそこのアルバムは多くの心を吸い寄せていくブラックホールになれたのだ。


鋼鉄の風に乗って


アルバムの最後に「crazy diamond」がまたやってくる。こんどはギターはスライド奏法だ。スライドバーはブリッジ近くの高音をヒットしてすすり泣くような声をあげる。
「輝き続けろ、狂ったダイヤモンド」という印象的な歌詞が正確に何を意味しているのかぼくにはわからない。ただしこの言葉はあちら側に行ってしまった友を単純に憐れんでいるのでも羨んでいるのでもないように思える。複雑な感情なのだ。
そしてシンガーは歌う。
「狂気を積み重ねていけばいつかぼくもそちら側に行けるのだろうか」と。そこでぼくは気づく。狂った予言者がブラックホールの瞳に映していたのは自らの過去ではなく残されたバンドメイトの未来の姿だったのだと。
ここで何度も繰り返される「鋼鉄の風」というフレーズ(「スティィール・ブリーズ」と風に乗るように歌われる)が生きてくる。この矛盾した比喩表現は決して見ることもつかむこともできない狂気への入り口だ。「あなた」はその風に乗って行ってしまった。その風はいつか「わたし」のことも捉えるのだろうか。アルバムの冒頭で聴こえた空を渡る鈴のような音はこの鋼鉄の風だったのかもしれない。まるでひとつの映画のようなドラマがこのアルバムにはあるのだ。

おわり


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