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アルバムを利く 〜その8

queen 「hot space」1982年


はじめに


ヒットした伝記映画では悪者扱いになっていたこのアルバム。たしかに発売当初から「クイーンやっちまったな」的な迷作扱いだけどほんとにそんなに悪いアルバムだろうか?ぼくは大学生のときにクイーンにハマってアルバムぜんぶ買い集めたけど(サントラの「フラッシュゴードン」も持ってた)実家を出てひとり暮らしを始めるときに全て売り払ってしまった。そのあと買い直したオリジナルアルバムは3枚だけ。ファーストアルバムと「シアーハートアタック」とこの「ホットスペース」。世間の評価と違ってぼくはこのアルバムかなり好きなのだ。


クイーン後期のはじまり


ぼくはクイーンの作品全体を「グレイテスト・ヒッツ」を区切りとして前期と後期に分けて捉えている。シンセサイザーをおおっぴらに使い始めた「ザ・ゲーム」までが前期。そしてこの「ホットスペース」からが後期。ぼくが思うにクイーンが真にアグレッシブでプログレッシブだったのはこのアルバムまで。このアルバムの失敗がクイーンの作風に変化をもたらした。そういう意味でもこの「ホットスペース」は重要作なのである。


フォークランド紛争


作品の背景として、このアルバムがリリースされた年にイギリスとアルゼンチンの間でフォークランドランド紛争という名の戦争があった。アルゼンチンの沖合に浮かぶフォークランドランドという島の領有権を巡って武力衝突が起こったのだ。西欧先進国が当事者となったものとしては第二次世界大戦以来の大規模な戦闘だった。紛争が起こったのが1982年3月〜6月。アルバムのリリースが1982年5月。紛争が勃発した時にはすでにレコーディングじたいは終了していたと思うけど、レコーディング中にもイギリスとアルゼンチン両国に高まってゆく緊張はイギリス人であるバンドのメンバーにも伝わっていたはずだ。
争いとそれを越えるもの。これはこのアルバムの隠されたテーマである。


アンダープレッシャーの居場所



この頃のクイーンはアルバム制作という形にこだわらずにレコーディングを進めていたらしい。デビットボウイとセッションして出来上がった「under pressure」はまずシングルとして発売され、そのあと出た「グレイテスト・ヒッツ」の日本盤にも収録された。現行の「グレイテスト・ヒッツ」には入ってなくてぼくはこの「ホットスペース」ではじめて聴いたんだけど、往年の日本のクイーンファンは「under〜」の本来の居場所は「グレイテスト・ヒッツ」でこのアルバムに収録されたのは付け足し、という認識らしい。
「under〜」の居場所はどこなのかということもこのアルバム評論の重要なテーマです。


アルバム曲目



それでは実際にアルバムを聴いてみましょう。
CDの①〜⑤曲目までがオリジナルのアナログレコードでいうところのA面です。


度肝をぬくオープニング


アルバムのオープニングは①「staying power」。シンセ・ベースにドラムマシーンのリズムセクション。「ロックじゃない!?」と思いながら聴き進めているとホーンセクションの音が飛び出してくる。
ホーン!?
前期のクイーンはいつもアルバム一曲目にリスナーの度肝をぬくような仕掛けを持ってきていた。「queenⅡ」ではギターによるオーケストラ、「jazz」ではいんちきアラビア語ロック、という具合に。しかし今回はロックですらない。ダンスミュージックだ。きっとフレディ主体で作られたのだろう。感触はフレディの初ソロ作「mr.bad guy」(1985年)にとてもよく似ている。でもこっちのほうがダンスに徹していてソリッドだ。悪くない。「びっくりしたろ?このアルバムはダンスでいくゼ!」とフレディが宣言してるみたいだ。
staying power 持続力。踊り続けるスタミナはバッチリだぜ!と言ってるだけの曲みたいだけどよく聞くと「Did you hear last call?」さいごの呼び出しは聞こえたかい?と言っている。さいごの呼び出しって何のことだろう。わからない。いまは先を進めよう。


バンド内の不協和音


続くブライアン作の②もシンセベース。でも今度はハードなギターリフが鳴っている。ディスコナンバー「地獄へ道づれ」のヒットを受けてフレディとベーシストのジョンディーコン主導で作られたこのアルバム。対するギタリストのブライアンとドラマーのロジャーはバンドがロックから外れていくことに納得していなかった。バンドには不協和音が鳴っていたのだ。
それでもアルバムコンセプトに沿ってダンスナンバーを持ってくるのが真面目なブライアンらしい。「ぼくはパーティに案内されていない」という冒頭の歌詞はこのときのブライアンの心情なのだろうか。
③「back chat」はジョンディーコン作のディスコナンバー。リズムギターを弾いているのもジョンだ。ジョンはギターソロのないR&Bナンバーとしてこの曲を仕上げたかったらしいが、バンド内で論争が巻き起こりブライアンが強引にギターソロを主張した。ブライアンの怒りに満ちたギターはなかなかの聴きどころだが、当初の予定どおりロックギターがなければ曲はブラックチャートを上がったかもしれない。曲のタイトルは「口応え」という意味だがぼくにはこの時のバンド内の言い争いを連想させる。曲の最後にはフレディが「火薬さ、火薬!」ときな臭いことを叫んでいる。

機械の刻むビート


④はフレディ作の高揚感のないクールでぬめるようなファンクナンバー。シンセベースのリフが作り出す人工的なリズムに乗って歌われるのは「言葉なんていらない。体で触れ合いたい」というメッセージ。ひじょうにセクシーなイメージを持つ曲だが(プロモーションビデオは放送禁止になったらしい)、管理化され機械化された現在の文明社会からの人間性の復権を歌っているようにも思える。深読みしすぎ?しかしこのテーマをアルバム全体に展開したのがバンドの次作「ワークス」なのだ。
次の⑤はドラマーのロジャーテイラー作。ダンス路線反対の急先鋒ロジャーは頑固にもアルバムコンセプトに反抗する。この曲はロックだ。しかし70年代までのクイーンのロックとは違う。ロジャーの作ったこの曲と⑧は当時流行していたニューウェーブの影響を感じさせるリズム。ロボットみたいな機械的なビートの上で宣言されるのは「即日実行!今夜決行!」というメッセージ。ロジャーはフレディのダンス路線にもっとも反抗したメンバーだが(③のプロモーションビデオではロジャーはあからさまに不貞腐れた表情をしている様子が見える)機械文明からの反抗という曲のテーマはフレディの③とつながっているように聞こえる。
ここまででレコードA面のダンスサイドは終了。


銃と地雷原


レコードB面はクイーンサウンドの伝統に回帰したようなロックナンバーが続く。⑥「put out fire」はブライアンのギターが轟くハードロックナンバーだが70年代のそれとは感触が違う。サウンドはハードだが明快でヌケの良い80年代的なロックだ。ファルセットのコーラスはソウルミュージック的である。銃社会への批判はこの前年に射殺されたジョンレノンに捧げられた⑦「life is real」と対をなす。その⑦はフレディが書いたバラードの中でも1,2を争うような美しい曲。謎めいた風情で自らのことを多くは語らなかったフレディだが「目覚めれば地雷原」「人生はとても現実的」という歌詞はこの時のフレディの孤独がひしひしと伝わってくるように思う。


愛のことば


⑧「calling all girls」と⑨「las palabras de amor」はやはりふたつでひとつの対を構成する。
ブレイクビーツ的な⑦が世界中の女の子、男の子を呼び出して語るメッセージは⑧の「愛のことば」なのだ。それは銃と暴力についての⑥⑦曲目とコントラストをなす。
⑧のタイトルはスペイン語。南米のファンのための曲ということだが冒頭に述べたフォークランド紛争の相手国アルゼンチンもスペイン語国である。時間が経過した2023年から見るとわからなくなってしまうけど戦闘中の相手国の言葉で歌うってけっこう過激だと思う。尖閣諸島を巡って日本と中国が紛争を起こしたときにテレビで日本のポップスターが中国語で歌う姿を想像してみたら、このシチュエーションがよくわかる。
このときクイーンはテレビ番組「トップオブザポップス」に出演してシングルになったこの曲を歌った。フレディはびしっとタキシードを着込んで「どんな言葉でも構わない。聞かせてよ愛の言葉を。」と歌った。ロック歌手がタキシードを着て歌う姿はいささか滑稽でもあるんだけど、そんなことは関係ないゼという姿勢がじつにロックだった。
アルバムとしてのいちばんの盛り上がりは実はこの曲で⑩「cool cat」はメインディッシュのあとのデザートみたいなものだろう。ブラックミュージックで始まってロックサウンドに回帰したアルバムはここでソウルミュージックに戻る。このフレディのファルセットボイスが本当に素晴らしい。往年のノーザンソウルの名シンガーのようだ。付け焼き刃ではなくソウルをコピーしオリジナルな世界を表現するフレディはほんとうに耳がいい人だったんだなと思う。「feeling the beat of my heart」ぼくの気持ちを知りながら、というアウトロのフレディの声をいつまでも聞いていたくなる。
そしていよいよアルバムの最後には歌って踊れる社会派ナンバー「under pressure」が来る。アルバム全体のコンセプトの中でこの曲はどのような意味を持つのだろう?ただの付け足し?
少し長くなるが歌詞を訳して掲載してみる。


under pressure 〜歌詞


①プレッシャー 求めもせず ぼくの上にもきみにも
あんなプレッシャー ビルを崩して家庭を引き裂き人を通りに押し出してゆくよ
(スキャット)
この社会の真実を知るのは恐ろしいことさ
友達が「助けてくれ!」と泣いてるよ
明日は良くなると祈りながら
通りにいる人々にのしかかる

②身を削られ 倒されて床に脳みそぶちまけ
晴れの日でも雨漏りの気分
(スキャット)
通りに押し出された人々
この社会の真実を知るのは恐ろしいことさ
友達が「助けてくれ!」と泣いてるよ
明日は良くなると祈りながら
通りにいる人々にのしかかる

③盲人のように視界を閉じて 座り込んでも行くあてもなく
求めていた愛も引き裂かれ
なぜーーなぜなんだ

抑圧の下 ひきつった笑いに押し潰され
(なんでチャンスをくれないの
なんでもういちどチャンスを
愛に力を そう愛を 愛を…)
だって愛なんてもう今は古臭い言葉で
だけど愛はぼくらに気づかせる
夜のはざまに立ち尽くす人たちのことを
そして愛は変える ぼくたちの生き方を
そう、これがラストダンス
これがラストチャンス
さいごの…
アンダー・プレッシャー…


under pressure=hot space 


これ以上付け加えることはないんだけど、このアルバムの収録曲のすべての要素がこの「under pressure」には集約されている。銃も戦争も言い争いも暴力も「抑圧」の具体的な姿なのだ。そしてそれを越えるものとしての愛。そういえば①「staying power」の「最後の呼び出し」は「under pressure」でのラストダンスのことを言っていたんだと気づく。
アルバム「hot space 」は先行して発表されたシングル「under〜」のメッセージをアルバム全体に渡って展開したものなのだ。つまり「hot space 」収録曲①〜⑩までと11曲目「under pressure」一曲は等価なのだ。この仕掛けがわからないと散漫で取り止めのないアルバムに聴こえてしまう。


おわりに


いかがでしたでしょうか?以上が独断と偏見に満ちたぼくのこのアルバムの評価です。冒頭で述べたようにこのアルバムの失敗以降、フレディとバンドがこれほどのチャレンジと冒険心をアルバムに込めなくなってしまったのはひじょうに残念だと思う(異論もあると思いますが)。
ぼくはこのアルバムが再評価されて名盤に格上げされてほしいとまでは思わない。やはりこれは特殊で異色のアルバムなのです。ただ公式アルバムのひとつとしてカタログに残り続けてほしいと思う。今は亡きフレディが心血注いで作り上げたアルバムのひとつであることだけは確かなんだから。

おわり


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