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浮世についてフワフワ考える
今日もこじらせてみようと思います。
人生の半分以上を演劇というフィクションの世界に片足を突っ込んで過ごしてきてしまった私ですが、そもそも現実とフィクションの違いはそんなに無いのかも、と最近思うようになりました。
私がちゃんと理解できているのか微妙ですが、社会と言うのが共同幻想だというのは納得です。国家や貨幣など実際には存在しないものを人類はいっせーのせで「ある!」と言うことにして社会は成り立っています。
概念と言うこの世にないものを言葉によって共有できるようになったホモサピエンスはすごいなぁと思います。
ただ量子力学の本などを読むと、ビックバン以前は物質と反物質が混在していたのに、ほんの偶然から現在の物質のある宇宙になることが決まった、とあります。
観測者の有無によって有無が決まる素粒子と言うのも面白いよなぁと思います。
私達は物質になったから、時間や確率を持っている。でもそんな気がしているだけで本当は何もないのかも。
社会も宇宙も「ない」のに「ある」。
この世界はすごい人がプログラムしたのかもしれないなぁと半ば本気で思ってしまいます。そんなすごいならたぶん人じゃないかもしれないけど。
「色即是空空即是色」
「はじめに言葉ありき」
お釈迦様やイエス様は大天才だから、私達凡人に「世界」と言うものを説明するのに、もしかしたらお釈迦様は宇宙的な感じから、イエス様は社会的な感じからアプローチしたのかもなあと思いました。
我というスクリーンで観測されたものが世界。
創造主が作り出したものが世界。
ちなみにある方が、society が社会と翻訳されるまで、日本人が使っていた一番近い言葉は「浮世」だと仰っていました。
うきよ学部うきよ学科。なんかかわいい。
うーん、とっ散らかっててごめんなさい。
頭良くなりたい。
今日はここまで!
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