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大切のカタチ

オンラインで古書を買うときは、どんな状態のものが届いても仕方がないと、ある程度覚悟をしている。
文字が読めればそれでいいと、自分を納得させてから購入ボタンを押すのだ。
だから、本が届いて、思いのほかきれいな品だとかなり嬉しかったりする。
先日買った詩集も、半世紀以上も前のものだから覚悟していた。
でも届いてみると、小口のヤケはともかく、ページの中は白くてしゃんとして、発売当時の状態を保っているようにさえ見える。
もちろん嬉しかったが、でも同時に、ちょっと複雑な気持ちもした。
たぶん、ほとんど開かれたことがなかったのだ。この状態を詩人が見たらきっと、何とも言えない気持ちになるに違いない。

以前J・K・ローリングが、散々読まれてクタクタになった本にサインをねだられて、「 I love this condition! 」と満面の笑みだったことを思い出した。相手は子どもで、彼女はよほど嬉しかったに違いない。
こんな状態になるまで読み返してくれて、しかもそこにサインをして欲しいと言われる。作家にとってはもう、何よりの出来事だろう。

もう少し読んであげればよかったのになと、届いたばかりの詩集をぱらぱらとめくり、奥付のあるページで手を止めた。
薄くて白い、和紙の小片がはさみ込んである。
著者検印の朱肉が、本に付かないようにするための和紙だと気づいた。
それが、ちょっと本を開いただけでは落ちないくらい、真ん中にしっかりとはさんである。
この和紙(パラフィン紙のほうが多いかもしれない)は簡単にはがれてしまうので、残っていないことも多い。くっついたままだとしても、折れたり縒れたりしていることが大半だろう。
でもここにある和紙は真っ白で、どこにも折れ目はない。
はがれたときにすぐ、落ちないように、しっかりはさみ込んだに違いない。しおりと違って、透けるほど薄い和紙を傷めずはさみ込むには、少々手間がかかるはずだ。それでも、小さな和紙をそのままにしたかった。
ほとんど読まれなかった気の毒な本。そんな見方が一変した。
大切にされていたのだ。
読む読まないはともかく、持ち主にとってこの本は大切な品物で、ずっと手元に置かれていた。詩は解さなかったのかもしれないが、詩人とは親しくしていたのかもしれない。
詩人は男性だから、もしかしたら女性かしらと、あれこれ楽しく想像してみる。

大切にすると一口に言っても、カタチは様々だなとあらためて感じた。
擦り切れるほど読み返して、本としての形はなくなったとしても、読んだ子どもの中には間違いなく何かが形作られる。
ほとんど読まれなかったとしても、持ち主の思いが、しっかりと本を包み込んで守っている。

古書を買ってこの手の出会いがあると、わたしを選んでやって来てくれたのだなと、勝手に解釈することにしている。
わたしを見込んで来てくれたに違いないと、ひとり悦に入る。
あなたならきっと、「大切」を引き継いでくれるに違いない。
もちろん、これからずっとずっと「大切」にしますとも。

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