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解離性同一性障害という生き方 ~100人超の交代人格と私~

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私がかかわったことのある解離性同一性障害をもつある人物の話を中心に、その他数名の話を参考程度に織り交ぜて、その人の人生と、関わりの中で知りえた驚くべき事実を全11話でお届けする前…
1話ごとに衝撃的な内容がつづられています。3話以上読まれる方は購読がお得です。
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#虐待

#4【人格】解離性同一性障害という生き方 ~100人超の交代人格と私~

ここからは客観的な観察記録として書いていきます。 まずは、基本人格とその他の交代人格は完全に分けて考えなければなりません。 ケースとして、基本人格=主人格のケースです。その場合、基本人格(主人格)を基準に他の交代人格たちが活動します。 もう一つ、基本人格の影武者的存在として主人格が別人格として存在しているケースがあります。これは、基本人格がストレス超過になりそうな時に主人格が出て代わりに日常生活を過ごしながらフォローする体制のことで、その他人格は、主人格さえもストレス超

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#3 【診断】 解離性同一性障害という生き方 ~100人超の交代人格と私~

高校生の時、解離性同一性障害の診断が出ました。 それは、強迫性障害の症状が強くなり日常生活に支障をきたすため入院したのがきっかけなのですが、入院中、看護師たちが異変に気付き経過観察ののち診断が出たのです。多重人格という言葉は知っていました。ですので、今までの『自分じゃない自分』は、あながち間違った認識ではなかったということと、どうやら彼らのことを『人格』と呼ぶらしいことも、それぞれに名前があることも、そして、自分とは性格が全く違うということなど色々と知ることが出来て、これま

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#2 【もう一つの日常】 解離性同一性障害という生き方 ~100人超の交代人格と私~

小学校3年生くらいになると親に連れられて出掛けることが多くなっていました。平日が多かったので当然学校を休むことが増え、出かけた先には、怖いおじさんたちがいて雑用を手伝わされました。 おじさんたちの間には上下関係があるらしく、ヘマをした下っ端はボコボコに殴られ、動かなくなった人は青い大きなシートに包んでどこかへ運ばれていたこともありました。 自分もヘマをするとそうなってしまうかもしれないと、必死でいろいろなことを手伝いました。

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#1 【私じゃない私】解離性同一性障害という生き方 ~100人超の交代人格と私~

#1【私じゃない私】 父は中小企業の社長、母は看護師というそれなりに恵まれた環境で長女として生まれた私は、生後半年で乳児院に入所となりました。理由は母親による虐待でした。 その頃から、1日の中で記憶のない時間ができるようになりました。1歳になっても2歳になってもたびたび記憶がない時間があったけど、他の人もそうなのだろうと気にも留めず過ごしていました。それが異常なことだとは疑いもせず。

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