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産まれる前に亡くなった子たちの救い

クリスチャンの中には、「死後には天国と地獄があって、地上で(今の人生で)イエス・キリストを信じないと地獄に行くんだ!だから、イエス・キリストを信じろ!」
と、これは極端な言い方で書きましたが、このような脅し文句の発信をされる方がいます。
しかし、非常に申し訳ありませんが、今までの教会生活の中で私はそのような言葉で、地獄に行きたくないからと救われた人を見たことがありません。

救われていく人は皆、イエス様の底なしの優しさや十字架の罪の赦しに感動して、涙を流して、イエス様のことが大好きになって救われていくのです。
他にも、今出した理由とは違う理由で福音を伝えられてイエス様を信じる人もいるでしょう。

しかし、地獄を持ち出して、死後の裁きを強調する人に欠けている視点があります。

それは、生まれる前に亡くなった子たちや、物心がつく前の赤ちゃんは救われているのか、その子たちの魂はどこへ行くのか?という視点です。
地獄落ちを強調する人の中でこれを説明出来る方はおられるでしょうか?
お母さんのお腹の中にいる胎児だって、生まれてすぐの赤ちゃんだって、神様から見たら愛すべき人間なのです。
私は子どもたちの救いのことを、私が救われる前に教えられました。

子どもたちの救済を説明出来ないと、亡くなった子たちの家族は一生苦しむのです。
罪責感・喪失感・悲しみ・苦しみ・痛み。
胸が張り裂けるような痛みと、あの子を失ったのは自分のせいだと思うような、そんな苦しみを背負って生きていく。
これは苦しい以上の、言葉に出来ない辛いことなのです。


私は根拠なしにこのようなことを書いているのではありません。
私自身が、切迫流産で自分の双子のきょうだいを亡くしています。
そして、切迫流産の影響で私自身も死の淵目を彷徨って、母は絶対安静を強いられた事実があります。
ですから、私が産まれてこられたことは奇跡なのです。
母が、寝返りをうつことすらも許されない状況を必死に守り通したから、無事に産まれてこられたのです。
ちなみに、「きょうだい」と表したのは、私はその子の性別を知らないからです。
母は女の子だという前提で話していました。双子だったからだとは思いますが、そして、その子に名前をつけていたのが強く記憶に残っています。
私は、流産したことでずっと自分を責めている母を見て、それ以上は何も聞けませんでした。
そのことを未信者である母に思い出させることさえも、私は辛かったのです。

私は双子の死を知ってからキリストを信じるまで、死生観を追い求めて学び続けていました。
死んだ双子がどこへ行ったか知りたかったからです。

私が初めに辿り着いた死と生は、人は死んだら混沌といったような場所へ行き、そしてまた混沌から生まれるといった、仏教の輪廻転生とはまた違った、東洋哲学的な死生観でした。

そこから、私は天国を知って自分の魂が救われました。

ここからは、キリスト教における子どもたちの救いについて書きます。
福音を伝えると同時に、悲しむ人たちに慰めの言葉が届いてほしいと祈りつつ、したためさせていただきます。


亡くなってしまった赤ちゃんたち


流産や死産で亡くなった赤ちゃん、突然死や病気で亡くなってしまった子たち、イエス様はその子たちを見捨てることはありません。

先述した言葉をもう一度書きます。

お母さんのお腹の中にいる胎児だって、生まれてすぐの赤ちゃんだって、神様から見たら愛すべき人間なのです。

それは、聖書の言葉に書かれています。

[詩篇 139:13,14,15,16]

 あなたこそ 私の内臓を造り
 母の胎の内で私を組み立てられた方です。
 私は感謝します。
 あなたは私に奇しいことをなさって
 恐ろしいほどです。
 私のたましいは それをよく知っています。
 私が隠れた所で造られ
 地の深い所で織り上げられたとき
 私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。
 あなたの目は胎児の私を見られ
 あなたの書物にすべてが記されました。
 私のために作られた日々が
 しかも その一日もないうちに。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4-2-3号

私たちにとっては、とても不思議なことです。
お母さんのお腹の中で、受精して赤ちゃんの体が作り始められる時から、神様は赤ちゃんのことを知っているのです。

私はこのように教えられました。
「お腹の中で亡くなった赤ちゃんも、生まれてからイエス様のことを伝えられる前に亡くなった赤ちゃんも天国に行くんだよ」と。

私は藁にもすがる思いでそのことを信じました。
私が洗礼を受けることに導かれた全てのきっかけです。

このことには根拠があります。

それは、イエス様が誕生された時のことでした。
ユダヤ人の救世主(イエス様)が誕生したという知らせを聞いたヘロデ大王という人が、その救い主なる人自分の政治的立場が脅かされるのをきらって、赤ちゃんを大虐殺したのです。

[マタイの福音書 2:16]

 ヘロデは、博士たちに欺かれたことが分かると激しく怒った。そして人を遣わし、博士たちから詳しく聞いていた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子をみな殺させた。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4-2-3号

ベツレヘムとその地域一帯の男の子の赤ちゃんたちがヘロデ大王の命令によって殺されてしまいました。

この男の子たちは神もキリストも知らないまま死んでしまったわけです。
じゃあ、神を知らないから地獄行きなのでしょうか?

そんなことはありません。
イエス様は子供が大好きでした。
そして、この聖書に書かれている赤ちゃんたちがもし、神様を知らないから地獄行きだなんて言ったら、私のきょうだいも地獄にいることになりますし、生まれてくることも、キリストを知ることも出来なかったのに、地獄で苦しむことを神様は強制なさるお方ということになります。

[マルコの福音書 10:15]

まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4-2-3号

おわりに


ですから、神様は生まれてくることの出来なかった子供たちや、キリストを知らない子供たちを地獄に落とすお方ではありません。
むしろ、天国で、地上で生きられなかった分をたくさん生きるようにしてくださっているのです。
私はそれを信じています。

余談ですが、Yahooのニュースで中学生がボランティアでエンジェルドレスという、死産した子供が着るドレスの手作りのものを病院に提供したというお話が取り上げられていました。

それを見て、「偽善的だ」と言っておられる方がいました。
ですが、私はとても素敵な活動だと思いましたし、もっと広まってほしいと思いました。

流産や死産、早くに子供を亡くしてしまった人の慰めは必要なものなのです。

私はきょうだいが流産していなくなってしまったのに、自分は生きていることに罪悪感と、きょうだいが生きられなかった分、私は生きなきゃと重荷を背負っていました。
ですが、「きょうだいは天国にいる」。
これを教えられて、縋り付くように信じた時に、とても心が楽になり、何としてでも天国に行って、きょうだいと会いたいという思いが強く強くなりました。
だからこそ、私はイエス・キリストを信じたのです。
それからの私の教会生活に関しては、様々な記事に書いているので、気になる方はそちらをお読みください。

地上で神を信じなければ、天国に行くことは出来ない?
ならば、早くに亡くなった赤ちゃんはどうなる?
神様はその子たちを天国に行かせないお方ですか?

私はイエス様を信じなければ、天国に行けないと脅し文句のように言っている人たちに…ごめんなさい。飛び蹴りを喰らわせたくなります。

それほど、私自身のきょうだいを失った痛みは辛くて深いのです。

このように書いたことを私は何度も母に伝えてきました。
しかし、母は自分を責め続けたままでいます。
私の、母の魂に対する無力さを思い知らされます。
誰も悪くないのに、誰のせいでもないのに。
流産から20年以上経った今でも、母は罪悪感に苛まれています。
「お母さんは悪くないよ」と言うことすら憚られる。
これが、我が子を失った痛みです。
お寺の水子の像に毎年お菓子を供えているのが私の母です。
私は母にそんなことをしてほしくありません。
イエス様を信じて、天国で失われた子と会ってほしい。
そして、これを読んだ方々にも...
それが私の願いです。

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