子育てが辛いと思っていたあの頃 息子の13歳の誕生日に振り返る

長男はとにかくヤンチャで負けず嫌いでした。児童館でも自分が使っているオモチャを人に譲るということができなかった。私が無理矢理取り上げて、お友達に譲ると、お友達を押して取り返すこともありました。
幼稚園バスでは、一番前の席に座りたくて、みんなが外で遊んでいる時間も帰りの支度をしてバス乗り場で待っているような子でした。
家では、妹を可愛がるとても優しいお兄ちゃんでした。でも外に出ると、お友達とのトラブルが絶えず、私は息子を叱り、周りにはいつも謝ってばかりでした。
私は、周りの目ばかり気にして、「なんでみんな穏やかなのに、うちの子だけ・・・」思ってとても苦しかったです。

幼稚園の先生から呼び出され、「匿名ですが、苦情がきてまして・・」と息子の話しをされたこともありました。
ある日、幼稚園の公園遊びで、息子が遊具をお友達に譲ることができず、周りにいる子供たちから囲まれて「ダメなんだ~」と言われている姿を目にしました。それを見て、周りに親や子供たちがいるにも関わらず、私は泣いてしまいました。「どうやったら、普通にできるようになるのかな・・。何でこんな風になってしまうのだろう・・・」と息子を責める気持ちありましたし、い方で強がって遊んでいる息子が仲間外れにされているようにも感じてしまい、本当に辛かったです。周りの親子が困ったような顔で見ているだけの中、一人のママが「大丈夫だよ。やりたいことを思い切りやってるだけだものね」と声をかけてくれました。その言葉を聞いて、さらに涙が止まらなくなったのを覚えています。
その言葉をかけてくれた方はすぐに引っ越しをしてしまいましたが、7年経った今も1年に1回は会う、私たち親子にとって大事に友達です。

その頃は、私の育て方が悪いのか、どうやったら普通になってくれるのかと自分を責めていました。夫は、息子を丸ごと受け入れ、「一番になりたい負けず嫌いなところは素晴らしい」といつも褒めてあげていました。当時は、「あなたは日頃の周りとの関わりと直接見ていないから、そんな呑気なことが言えるのだ!」と腹立たしく思っていました。また一方で夫の言っていることが正しいとも思っていました。

息子は強い意志を持っているからこその態度で、これを否定したり無理矢理「普通」を押し付けるのは、息子の良いところを摘み取っているのではないか?とも不安にも思っていました。周りの目を気にして私が叱ることで、自己肯定感も自己効力感も育たないのではないか?と。

そこで、ひらがなが読めるようになった息子に「今日できたこと」「良かったこと」だけを毎日ノートに書いて渡すことにしました。そのノートを始めてから、私自身の気持ちが落ち着き、周りの目を気にするのではなく、息子の心の動きに気を配ることができるようになりました。また、息子も徐々に周りが見えるようになっていきました。

小学1年生くらいまでは、お友達とのトラブルで謝ることも数回ありましたが、3年生になる頃にはなくなりました。

そんな息子は今日で13歳です。
今では、どちらかというとマイペースで、幼い頃の「なりふり構わず一番になる!」という姿とはかけ離れているようにも感じます。中学のサッカー部に入り、キーパーとフォワードの二刀流で充実した日々を送っています。

今でも私が叱ったことで、息子の大事なものを奪ってしまったもしれないという思いもあります。しかし、強い意志を持って周りの言葉に惑わされず、目標に向かって努力していた中学受験に臨む姿を見て、息子の良さはちゃんと残っていると思うことができました。

今では「この子は大丈夫。自分の意思をしっかり持って、どこでも生きていける」と思えるようにもなりました。
いずれは自立して、一緒には過ごせない日がやってきます。息子と一緒に過ごせる1日1日を大切に過ごしたいと思います。


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