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人間失格【読書感想】

少しだけ「分かる」と思ってしまった自分

太宰治の『人間失格』を初めて読んでみた。
皆さんは本作にどのような感想を抱くのだろうか?

友人に本作を読んだ話をすると、
「俺は女たらしの物語という記憶しかないな」
と言っていて、あまりにもストレートな感想なので、
「まあ、そうだよな」
と笑ってしまった。

自分は、嫌なことに、「分かるな」と思ってしまったのだ。
人生の「悪癖」というものは、フライパンについたコゲのように、なんとか取り除きたいと思っても難しいものだ。
そして、それは生来の性質だったり、ふとした拍子に身につくものだと思うのだが、その「癖」が良質であれば人生には正の循環が廻るし、悪質であれば負の循環が廻るのではないかと思う。
例えば「他責思考」という「悪癖」が一度つくと、それは自分を取り巻く人間関係や環境などに悪影響を与えていく。

「人間失格」は、悲しいかな、おそらく生来の性質により身につけた「悪癖」による、負の循環の物語なのではないかと感じた。

主人公の葉蔵は、自分が他の人間と「違う」がために、人間に恐怖を感じ、「道化」を演じることとなる。
絶えず笑顔を貼り付け、自己主張も控え、滑稽な言動をする。
常に不安と恐怖を持つから、オドオドしているが、顔面の良さも相俟って、何か放っておけない雰囲気を放つ。

彼は「世界とは個人である」と気づくまでは、この「悪癖」と共に生きていたのでは無いかという感じがする。

自分を殺し、奥底では恐怖を感じながら、他人からは気に入られ、一層表裏の乖離に悩むことになる。

だから彼は酒やモルヒネに溺れてしまう。
ずっと怖いし、ずっと演じているから疲れるし、自分が無いから何か人生もつまらないからだ。

彼にとっては、顔面の良さという、他の人間からすれば羨ましい性質も、他の要因と絡まって負の性質になっているように感じる。
顔が良いから女性達が寄ってきて、共依存の関係に陥ってしまうからだ。
これも生来の性質の、運命の悪戯なのだろう。

もちろん自分は美男子と対極(とまではいかないと信じたいが)で、そこで「分かる」と言っているわけではない。

前の記事を読んで貰えば分かるが、自分は人生の途中段階まで「自己の願望」などもなく、自信もなく、オドオドしているタイプだ。
幼少の頃、両親や祖母からは「いつもニコニコしてるねえ」と言われていたが、何かいつも心の奥底には黒いもやっとしたものが漂っていた。

私は社会人になってから、良い人に恵まれ、コゲを少しずつとれていった感じがするが、本作の主人公は「得体の知れない存在」という感じはしないのだ。

なんとかしたいと思っても、自分の持つ性質と、それによる外部との相互作用で、なんともならず、地獄へ引き摺り込まれることもあるのだろう。

自分にとっては、少しのシンパシーと共に、寂寥を感じた作品だった。

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