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うつ病ってなに?しってるよ

はじめに

私は2024年4月時点でうつ病を9年ほどわずらっていまして、あらかじめ知っておきたかったことや、考え方、うつ病とその周辺にまつわる体験談をつづっていきたいな、と考えています。

ブラック企業勤めで精神を病み、うつ病の診断をうけても復帰できるだろうと焦って失敗を繰り返してしまいました。無理をした結果でしょうか、上手く治りません。そんな中で知った、いろいろな経済的な支援制度があることや、自分自身でできること、注意することがあり、まとめてみたいなと考えています。

この記事はその1つ目にあたります。

私は昔から、死にたい、希死念慮(きしねんりょ)、をわずらっており、それでも義務感によって社会生活ができていました。
「ちゃんと生きなければスイッチ」というのが、幼い小学校などからゆっくり育ってきっと出来上がって、なんとか社会生活を送れていたのだと思います。
ただ、残念なことに、ブラック企業勤めとなり、全てを投げ出す選択肢をとる勇気もなかった結果、「ちゃんと生きなければスイッチ」が壊れてしまいました。

するとどうでしょう。朝ちゃんと起きて仕事にいかないと、とか、そういったあらゆる社会生活に必要なことができなくなりました。
1週間に2つ、この時間にこうする、と予定を入れるのもかなりしんどいというのが現状です。

私にとっての「ちゃんと生きなければスイッチ」のようなものは皆さんもお持ちだと思います。
うつ病となってそれが壊れて、立ち直れなくなる前に、早く診断を受ければ、きっと社会復帰はすごくスムーズなんだと思います。
残念ながら、私自身は深みにはまってしまいましたし、その武器をまた育むように小学校からやり直せるわけでもありません。
違うもので補いつつ、少しずつ、希死念慮がうすれたりしつつも、なんで生きてるんだろうなぁと思ったりもしています。

それゆえに、知っていることも多くあり、半分自分のために、また、これを読んで運よく深みにはまらない人がいたらラッキーだな、と思い書いていこうと思います。

まず、うつ病のこれを知っておこう

うつ病というのは、風邪とおなじく、休まなければ治りません。放っておくと、他の病気との合併症になったり、発熱によって臓器を悪くし、それを一生背負うことになります。

まず知るべきは、「休む必要性」、「どんな社会的支援があるのか?」、「休むというのはどういうことか」を知っていくことです。

休む必要性

風邪をひいていた経験は多くの人にあります。そのため、ベットで横になって、体を温めて、頭は冷やして、お医者さんにかかって、薬をのむことをするのが大事で、決して治すためになにか頑張るなんてことはしないのではないでしょうか。

でも、うつ病になったことのある人はなかなかいません。ですから、ついつい、治そうと頑張ってしまうんです。風邪をひいて熱が出ているのに、いろいろ心に負担のかかることをしてしまいます。

例え方を少し変えましょう、足の骨を折ってしまったとします。そんなとき、まだ走れるんだ、歩けると無理をしていると、骨はくっつかないかもしれません。運よく足の骨がくっついても、歪んでくっついてしまい、ちゃんと走れるように、歩けるようには二度とならないかもしれません。

ですから、まず、骨が正しくくっつくよう、ギブスをはめ、やすむ、うつ病もそれと同じようなことをする必要があります。

といって、なかなかそうできない理由もあります。何か問題が起こったとき、それを解決するために、原因を調べて何とかしようと行動することは、生きていくうえで必要な力です。また、ついつい社会生活を維持しなければならないんだと考えてしまいます。

とくにうつ病は、明確に「あなたはうつ病ですよ」と教えてくれる指標もなければ、風邪や骨折のように経験しやすかったり、周囲によくみかける、見て判断できるというわけでもありません。「あ、この人うつ病っぽいな」と見てわかることはないですよね。そして、自分がそうなっていたとしても、本当にそうなのか、よくわからないんです。

私の場合は「状態が悪い」ということは認識していてもそれがうつ病なのか、判然としない期間がずっと続いていました。今だから、あぁ、うつ病なんだな、と認めることができます。

そういうものですから、うつ病は、明瞭にうつ病ですというのが分かりません。風邪であれば、体温や頭痛、鼻水、背中がぞくぞくしたり、味覚や嗅覚がへんになったり、骨折であればレントゲンで明瞭にわかります。癌などの病気も、お医者さんから示される証拠によって、それがしっかりわからなくても、きっとそうだろうとなれるわけです。ところが、うつ病というのは、お医者さんからそういった証拠が提示されることもありません。治ったかどうかも、経過を見るしかありません。

だからまず、自身で納得できなくとも、お医者さん、精神科にかかり、判定されたのであれば、しっかり休むということが必要です。ここが難しいですね、重症になる前に、早めに治そうと思っても、自認することがむずかしいのですから。

どんな社会的支援があるのか?

さて、休むためには、社会的支援、とくに経済的な支援の制度を知っておく必要があります。風邪と異なり、1年ほど治療にかかることもあります。それは、傷病手当や障害年金、障碍者手帳の受け取りからはじまるA型やB型のサポートのある働き方と、最終的に向き合わなければならない生活保護です。症状によっては入院することもあります。

この辺りは、別の記事で細かくまとめていきたいと考えています。ひとまず、「傷病手当」「障害年金」「障碍者手帳の受け取りからはじまるA型やB型のサポートのある働き方」「生活保護」というものがある、ということだけ、頭に入れていていただければよいかと思います。

休むというのはどういうことか

また、風邪ではありませんから休むといっても、休み方も変わってきます。

ついつい、うつ病にとって休むのとは逆方向、悪化するような行動をとってしまうこともあります。

例えば、薬について、調べたくなります。うつ病を治すためにはどんな薬を飲んだほうがいいのだろう、どういう効果があるのか、気になりますよね。

でも、案外、周囲に出回っている情報は一般的な効果でしかありません。その効果をうのみにしても、気にしても、個人で差があるため意味がなかったりします。本来そこについて頭を悩ますべきは、お医者さんであって、患者さんではありません。患者さんがするべきことは、今飲んでいる薬だとどういう状態なのか、ちゃんとお医者さんに説明して、どうなっていきたいか、自身の都合も含めて相談することで、適切な薬が処方されているかを気にするのは、むしろ余計な心労を増やす行動、休むとは反対の行動のように私は考えています。

とはいえ、風邪のときに水分をしっかりとるように、できることもあります。

それは、マインドフルネス瞑想で自身の心の動きに寛容になるようにしたり、筆記開示で思いを言語化しはきだしたり、ストレス源を見つけて減らしていくようにするのは大切なことです。

ついついニュースやSNSでの悲劇や騒ぎを追いかけたり参加したりしてしまう、ストレス源を習慣にしてしまっていることもあり、そうしたものを発見し、止めたり距離をとっていくというできることがあります。

それに近いこととして、うつ病でありながら、うつ病に詳しくなる必要は果たしてあるかどうかです。風邪をひいているのに、風邪の原因やその仕組みについて詳しくなる必要はあるでしょうか?

私は、治すために必要なこととどんな社会的支援があるのか、に情報というのは絞ったほうがいいように感じています。社会的支援を知っていれば、安心できる材料になりますし、必要なのに知らずに使えなかった、ということも防げます。

現在は、本やインターネットなど、情報がたくさん獲得できる時代になりました。その取捨選択をするのは健常者でも容易ではありません。それを、しんどくなっている人がやってしまうことに、疑問があります。

世の中には、こうしたら治りますよ、みたいな安心のための食材的な情報がたくさんあり、誘惑されます。

1つ知っておかなければいけないのは、成功者の体験談はあてにならないということです。これは生存者バイアスと呼ばれるもので、治った体験談ばかり見ても仕方なく、治らなかった人達を含めての情報には至っていない偏った情報であることは少なくありません。こうした点を克服したような情報は学術論文のようなものになってしまい、手が出しずらく、手の出しやすい、安心材料となる情報を求めてしまうことが多いように感じています。

「治ったよ」と情報発信する人と「治らなかったよ」と情報発信する人、どちらが多いでしょう?

ですから、「こうしたら治った」という情報に焦ってとびつきすぎるのも、良くないと考えています。糧になるものはあるかもしれないので、同じ境遇の人はいる、と勇気づけられる形で見ていくくらいがちょうどよいのかと思います。

周囲の無理解について、うつ病や生活保護

うつ病や生活保護を受けることに対して、周囲の無理解があります。それは、どちらも、怠けているだけだとか、みっともないであるとかです。

そう言ったことは、おそらく、どうしようもないのだろうと思います。というのも、風邪をひいたことのない人に、風邪を引いた人の気持ちが、痛みが、辛さが、どうしようもなさが分かるかというとそうではありません。風邪は、多くの人がかかっています。風邪をひいたことがない人でも、風邪をひいた人を見て、そういうもんなんだな、と社会全体での共通認識がとられています。

ですが、うつ病というのは、残念なことに、一般的にそれが病気であると理解されてはいません。

これは定番の「うつ病の人に頑張ってといってはいけないの?」というよくある疑問からも分かります。この疑問が定番である時点で、うつ病を病気だと理解している人は少ないということです。

風邪をひいた友人のお見舞いで、帰り際、なんと声をかけますか?「頑張れ」と言いますか?言いませんよね。「お大事に」や「ご自愛ください」でしょう。病気だと認識できていれば、そういう言葉が自然と出てきます。

といって、うつ病で、経済的にどうしようもない、しんどくなっている人々が、その無理解をどうこうするというのは酷な話です。ですから周囲の無理解はあきらめ、すっぱりうつ病を治すことに専念するのがよく、理解できない近い人は残念ながら切り捨てるしかないのだと思います。

状況によっては、生活保護をとるしかない場合もあります。私はそれでよいと思いますし、私も生活保護を受けています。すこし、頭が回るため、だいたいの手続きなどは自分でやってしまいました。

生活保護に対する無理解もありますし、家族がどうにかするべきだ、という考え方もあるかもしれません。ただ、原因が家族で会ったり、実家で暮らすことがなかば軟禁のように自己コントロール感を損なうものだったるすると、それはうつ病の治療としては良くないように思います。

私の場合は、実家が頼れるかというとそうでもなく、むしろ介護、という段階で、このままでは共倒れだな、と感じたりもしました。

資本主義を中心とした個人主義にひっぱられ、自己責任という言葉で切り捨てられやすい時代になってしまったように思います。ですが、景気が悪いのも、ブラックな職場が多いのも、なんら個人の責任ではありません。社会的な問題です。また、個人の責任といいながら、安楽死をちゃんと認めたがらないというのは社会の矛盾のように感じます。

そのため、無理解は有る、ということをまず受け入れて、「無理解にまどわされずに、治療に専念していい、そのための手段は全部使っていいい」というのが私の考えです。

まとめ

今回は、まずこれを知っておけばよいのではという3つ、「休む必要性」、「どんな社会的支援があるのか?」、「休むというのはどういうことか」をあげました。

「休む必要性」では、分かりにくさを、風邪や骨折に例えて明瞭にしたつもりです。

「どんな社会的支援があるのか?」では、「傷病手当」「障害年金」「障碍者手帳の受け取りからはじまるA型やB型のサポートのある働き方」「生活保護」の4つが主なキーワードです。ほかにもご存じの方がいらしたら、いろいろ教えてほしいです。

「休むというのはどういうことか」では、焦ってつい逆効果になることを少しご紹介しました。

さいごに、周囲の無理解について、仕方がないという割り切りと、そのうえで動く必要性を明示しました。

私自身はまだまだ治りません。割と難しくて、この1カ月ほど調子が良くなったかな?とおもったら、冬になるとガタンと崩れてしまうこともあります。冬は太陽にあたりづらくビタミンD不足となり、自律神経の働きも悪くなるようで、長い目で見ないと分からなかったんだな、と思うこともありました。

今ならはっきり言えるんですけど、なかなか、自分が「うつ病である」と認めるのって難しいんですよね。

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