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第19回 受験生の親として

中学受験の時は、私が国語や社会のテキストを見ながら、よく口頭で息子に問題を出していた。模試で間違えた所は一緒に見直していた。正に二人三脚で初めての受験に臨んだ。しかし大学受験となるとそうはいかない。私が出来ることは、息子が勉強に専念できるようにサポートしつつ、静かに見守るだけだ。勉強の進捗状況や模試の判定などはあえて聞かなかった。必死の姿の息子に対し、気安く頑張ってね、きっと受かるよなどとは言えなかった。

息子の部屋は常に綺麗な状態を保った。机の上の消しゴムかすは捨て、ゴミ箱も空にしておいた。鼻炎持ちの息子はしょっちゅう鼻を噛むので、ティッシュ箱の補充も忘れなかった。

帰宅して夜ご飯を食べ勉強に取り掛かっている間に、通学かばんの中を整理し、ポケットティッシュの補充をした(学校でもよく鼻を噛む)お財布に入っている1000円札の枚数を確認し、足りなければ入れておいた。学校は携帯が禁止なので、何かある時は校内の公衆電話から自宅に電話することになっている。そのため10円玉を何枚か入れておく必要があるのでその確認もした。

そんな私を見て夫は「過保護過ぎる。全部自分でさせるべきだ。」と言った。夫の意見も一理あると思う。否定はしない。でも私は自分のやり方も間違っているとは思わなかった。理三を受験する子の中には、いわゆる天才と言われる子達がいる。しかし息子は、本人が言うようにいたって凡人であり、だから人の何倍も努力しなければならなかった。身の回りの細々としたことに、気を回している時間的余裕はなかったのだ。

受験を終えて強く感じたことがある。最難関と言われる所で学んでみたい、と息子自身が願い、自分の限界を超えるまでに努力した結果、その努力が報われたということが母親として嬉しかった。母親というのは、子供が目標を達成して喜んでいる姿を見るのが幸せなのだ。それはどんなジャンルでも同じなのだと思う。よく言われる様に、親は我が子の一番の応援団なのだ。


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