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相手に求め過ぎではないか?

久々に『ひとりごと』を書く

日本語は母国語なんだから簡単なはず!
自由自在に操って、細かいニュアンスまで伝えられる。そう思っていた。毒親対決をするまでは…

私が毒親対決をした時、何でこんなに通じないんだろう?って思った。
少し話でも駄目なら一から全て説明すれば良い、そう思って頑張った。
でも、かけた時間とエネルギーとは反比例して、怒りと悲しみだけが増えた。
そんな時に、日本語だから通じるはず、親なんだから分かるはずって思うのは欲張りなのかもしれないと思う出来事があった。

英会話カフェに通う事になった。みんなでお茶をしながら英語で会話をするのだ。
常連さんはお年寄りから若者まで、自分のレベルで上手く会話が出来ていた。
私は分かる単語を拾って聞き、分かる単語を並べて返事をするのがやっと。
それでも英語の会話に自分が混ざれている事が嬉しかった。サポートをしてもらいながら、自分の言いたい事が伝わった時の喜びとやら!

その興奮の中で、私はこう思った。
自分の気持ちなんて、相手にこの程度伝われば良しなんじゃないか?って…
母国語だから、日本人だから、血の繋がりがあるからなんて幻想かもしれない。
細部の微妙な事まで伝えてたいと、求め過ぎていたのではないか?
相手が誰であろうと、自分以外は他人であり、完璧に分かり合うのは無理なんだと改めて気付いた。
もう少し自分にも他人にも、緩く行こう!大雑把なニュアンスが伝わればオッケーってくらいで♬
私はだから英会話カフェに通い続けるだろう。あの快感を求めて。

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