見出し画像

嬉しかった事をまず一つ

ガイド(仲間内では自分達の仕事をこう呼びます)になって二年目、三日間の仕事をいただきました。
20人程の団体を8時間の契約で、一日目は長野の地獄谷野猿公苑へ。三日目は松本城へ。お客様方はL.A.の医療関係の皆様で、グループで毎年海外に行っているとの事。この年は日本においでになったのでした。
バレンタインデーだったので、小さな個包装のチョコレートを持って行きました。バスで移動中、クイズを出して当たった人にあげました。私の英語は当時準一級レベル。目的地や地域の説明など、説明しようとすると「あ、北限って英語でなんて言えばいいんだろ」などと語彙も無く発音も悪い。今考えると全てが未熟で皆さんとどんな会話をしたか、あまり憶えていません。チェックインの手続きも、ホテルのフロントの方との間の通訳が全くスムーズにできませんでした。
でも私はお客様と一緒にいるだけで嬉しくて、半ばボディランゲージで、まるで長年の友人よろしく全員と会話を楽しみました。
三日目の前日、私もホテルに泊まっていたので、皆さんが夜お別れパーティーを開いてくださいました。そしてウイスキーの贈り物もいただきました。
お別れしてからもメンバーの何人かの方から何度もメールをいただき、温かい交流が続きました。そのメールの中に、帰国してからメンバーに、日本のツアーについたガイド達の中で誰が1番か、と聞いたら、なんと私だとの事。他のガイドさん達はベテランなのに、何故私なんだろう、とからかわれているような気さえしました。
毎年クリスマスカードを送り合い、そうこうするうち、私をL.A.に迎えるプロジェクトを発足させたと知らせが届きました。初めてのL.A.初めてのお客様のお宅でのホームステイでした。行く前から、自分がこんな幸運に恵まれるなんて生きていてよかった、と心から思いました。2013年の事です。
10日程の滞在でしたが、メンバーが代わる代わる仕事を休み、私を観光に連れ出してくれました。サンタモニカ、ビバリーヒルズ、ハリウッド、ミュージカルも見せてもらいました。全て僕たちのおごりだからね、とお金は受け取ってもらえませんでした。地元の人しか知らないような場所もたくさん行きました。メンバーの誰かの家で毎晩ディナーやバーベキューをして夢のような毎日でした。英語が上手になったね、と言われたのも嬉しかったです。
帰ってからはまたひたすら働きました。新人のうちは仕事を断ってはいけないと言われたので、粛々と働きました。
そんな折、L.Aのメンバー達が日本にまた来たいとメールをくれました。今回は北海道。雪まつりを見て、ビール工場に行って、スキーをして、その後は本州中部地方をぐるっと周りました。二週間また彼らと過ごす事ができました。これもまた、自分の頬をつねりたくなるような、信じられない素晴らしい出来事でした。
あれ以来、私はガイドとして自信を持つことができました。これでいいのだ、でも更に努力してもっとよいガイドになろう、と何か強い芯が自分の中にできました。
また、もう一つ私が彼らからもらった宝物があります。それは、赤の他人でも、国籍が違っても、相手を思う事で、人は人を幸せにできるという事です。私は彼らに一生分の幸せをもらいました。
彼らの普段の生活は楽しい事ばかりではないはず。でもそんな事を一切家に置いて、仲間といる時間はとことん楽しむ、それは誰にとっても必要な時間だといつも思うのです。
ガイドはそのお手伝いをして、自分もその輪に入り、日本人である事さえ忘れてお客様と楽しい時間を過ごすのです。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?